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2017年12月16日01:23

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川合玉堂展と日展と

出張で東京に行ったついでに、その時やっていた山種美術館の川合玉堂展https://goo.gl/YeU93yと国立新美術館の日展https://goo.gl/SJNpbjを観覧した。
川合玉堂をつらつら見ていたら、これはマンガだなと思った。現物を記号化して想像的に配置している絵で、いわゆる近代的リアリズムとはかけ離れているビジョンだと思った。ところが川合玉堂の一般的評価は近代的写実性にある。昔はこれがリアリズムに見えたのだ。その隔世感を感じることの出来た展覧会だった。
僕が一番感心した作品は二十そこそこのデビュー作だった。伝統的表現技法で描かれており個性はないが、とにかく緻密でスキのない完成された絵で、今、これほどの絵を描ける画家はいないんじゃないかと思った。それはやはりマンガ的記号絵画なのだが、その記号を完璧に表現しているのはすごい(アジア絵画は2000年前からこのスタイルを守っている)。一方、晩年は記号が恣意的に我流となって筆が流れていささか見苦しいときもあった。大家と言う奴なのだろう。僕のような、作品がその在るべき所から自らを遠ざける力、いわばディスタンス(隔差)があることを評価して見る鑑賞者からすると、そういう予定調和の技術的淘汰はあまり評価できないのだが、一般的にはそれを持って玉堂は大家となったのだろう。常に自分に対する概念を裏切るような表現を模索したピカソと逆に、玉堂の絵画とはこういうものだと言うのを突き詰めていったのが彼の芸術なのだろう。
玉堂の初期のあの恐るべき巧緻を、今の作家で再現出来る人がいるのだろうか。その後見た日展で暗澹たる思いがした。歴史の淘汰を過ぎた作品と現状の有象無象を比較しても詮ないことだが、玉堂だって日展(かつては文展)で評価された画家。今の日展に陳列されているのと同じ立場なのだが、あまりに完成度が違いすぎる。ほとんど詐欺のようなレベルだ。
とにかく汚くて下手くそ。逆にそういう描き方をしなければ評価されないようだ。洋画で阿部弘見という作者の絵がとてつもない技術で目を見張ったが、新入選で二段掛けの上部という酷い扱いで、日展がどういう姿勢で評価をしているかがよくわかった。
今、川合玉堂がそのデビュー作を日展に応募したらどんな扱いを受けるだろうか。
ちなみに日本画部門で阿部弘見に匹敵するような作品はなかった。本当にレベルが低い。いつからこうなってしまったのか、院展にしても同じようなもののようだ。https://goo.gl/5JPeJo これらが玉堂や応挙や等伯と並ぶことは間違いなくない。
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