夏頃から鬱陶しい天候が多い今年でしたが、ようやく冬晴れのサイクルに入ったような…
そこで、今月は久々に千葉県の山を歩きに行こうと計画しております。
小湊鐵道と久留里線に挟まれた一帯、この辺りには、壬申の乱に破れた大友皇子(弘文天皇)に纏わる伝説が多く残っています。
乱に破れた大友皇子(明治になって諡号「弘文天皇」を贈られましたが、即位したか不確かな為、大友皇子と呼ばれるのが一般的)は、近臣や十市皇女らと共に上総へ逃れ、鑓水に小川御所を築きました。
しかし、天武天皇による追討軍に破れ、大友皇子は腹を切って自害。
小数の供と更に山奥へ逃れた十市皇女は、筒森の地で産気づき、ここで出産したものの、死産で自らもここで亡くなりました。
それを裏付けるように、付近には「飯給(いたぶ)」「御腹川」「小櫃」といった地名が有り、それぞれ村民が皇子に食べ物を献上した 、皇子が腹を召した、皇子の遺骸を棺に入れた事に因むとされています。
ならば、やはり大友皇子は上総へやって来たのかと言えば、それは史実とは認められておりません。
おそらく、源義経や豊臣秀頼が死地から脱出して生き延びた〜という伝説と同じようなモノなのでしょう。
そしてこの辺りには、御所塚山とか壬申山という山も有ります。
もちろん、千葉県の山ですから低山であり、御所塚山は270m、壬申山に至ってはなんと98m!
高さはともかく、御所塚山は大友皇子が仮宮を設け、山下で民が田植をするのをご覧になった、壬申山は御所を営んだ…となっているのだそう。
つまり御所塚山が仮、壬申山が正の御所という事?
この辺り、今ひとつよく分かりませんが…
それぞれの位置や道路状況等を考えると、近くまでクルマで行って、フォールディングバイク背負って行くのがベストでしょうか。
実は、去る土曜日に行こうと企んでいましたが、今のアバラの具合で、重い背負子背負って歩くのは厳しいか…と判断して延期しました。
せっかくの快晴でしたが(∋_∈)
残念
写真は本文とは関係無く、上野広小路近くのベローチェの2F窓から見た電柱です。
あんな重そうなモノを色々ぶら下げているのに、こんな傾いていて大丈夫なんだろうか…
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