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2017年11月06日16:07

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11月国立劇場・珍しい「新」歌舞伎二題だけの上演

17年11月国立劇場 (「坂崎出羽守」「沓掛時次郎」)


大正昭和初期の「新」歌舞伎二題


今回観るのは大正時代に初演された新歌舞伎の時代もの。武士の社会を描いた「坂崎出羽守」。昭和初期の新歌舞伎の世話もの。庶民の社会を描いた「沓掛時次郎」。二つとも、私は初見。新歌舞伎は、当初は、原作者が贔屓の役者の魅力を引き出す新作をということで書かれたものが多い。例えば、「坂崎出羽守」は、小説家の山本有三が、六代目菊五郎のために書き下ろし、1921(大正10)年9月、東京の市村座で初演された。六代目菊五郎は、古典歌舞伎では表現されない心理描写を試み、写実的な演技で、当時の観客を魅了した、という。「沓掛時次郎」は、小説家の長谷川伸が書き、明治期以降生まれた「新国劇」という演劇改良運動の流れの中で、沢田正二郎によって、1928(昭和3)年12月、初演された。さらに、歌舞伎の十五代目羽左衛門によって、1934(昭和9)年7月、歌舞伎座で初演された。人気役者の古典歌舞伎では出にくい魅力を引き出そうというのが、どの原作者に取っても共通するモチベーションだったことだろう。従って、新歌舞伎は、古典歌舞伎の作品とは一味違う。その後の再演の中で、原作者も亡くなり、初演した役者も亡くなったりしてきても、良い演目は、新たな役者たちの工夫で時空を超えて生き残ってくる。そういう新歌舞伎の作品もあるだろう。

新歌舞伎は、原作者も役者も、何よりも新しい芝居を作ろうというチャレンジ精神があった。その一方で、歌舞伎役者が演じる芝居だけに古典歌舞伎の味も大事にし、ほかのジャンルの演劇との違いを滲ませようともしているだろう。そういう魅力のあれこれを見つけ出すのも、おもしろい。どういう工夫や違いがあるか、おいおい解析を試みてみよう。私は、今回の二演目はいずれも初見。初見ならではの視点もあるかもしれない。


松緑の音羽屋系が代々磨いてきた「坂崎出羽守」


山本有三原作の新歌舞伎「坂崎出羽守」四幕。科白劇である。六代目菊五郎が初演した「坂崎出羽守」は、二代目尾上松緑、初代尾上辰之助(後に、三代目松緑を追贈された)、そして、当代の、四代目松緑が引き継ぐ。この三代は、祖父、父、そして息子と繋がる。当代は、今回、初役で坂崎に挑む。36年ぶりの上演である。

徳川時代開幕を告げた戦国時代最後の内戦・大坂夏の陣で燃え盛る大坂城から徳川家康の要請に応えて、孫の千姫(家康の子・秀忠の娘で、家康の孫に当たる)を救出した武将・坂崎出羽守は、顔に大火傷を負う。醜いと千姫に嫌われ、家康にも裏切られ、遂に異常な行動に出る。武骨一辺倒だった武将の恋の破局の物語。千姫、出羽守とも、史実がどうなっているかは、諸説があるので、私にはよく判らないが、千姫をめぐって、出羽守が事件を起こしたことは事実だ。原作者の山本有三は、小説家らしい想像力を巡らして、この狂言を書いたので、芝居見物としては、原作者の意向を優先して、芝居の展開そのものを楽しむことにしよう。

今回の場割り(場面構成)は、以下の通り。
第一幕「茶臼山家康本陣」、第二幕「宮の渡し船中」、第三幕(一)「駿府城内茶座敷」、第三幕(二)「同 表座敷の一室」、第四幕「牛込坂崎江戸邸内成正の居間」。

主な登場人物と配役は、以下の通り。徳川家康(梅玉)、千姫(梅枝)、坂崎出羽守(松緑)、金地院崇伝(左團次)、本多忠刻(坂東亀蔵)ほか。

「坂崎出羽守」は、今回、初見なので、あらすじもコンパクトに記録しておこう。
第一幕「茶臼山家康本陣」。前年の「大坂冬の陣」から中断を挟んで1615(元和元)年、「大坂夏の陣」となった。徳川家康は、大坂の茶臼山に本陣(戦場で大将のいる本営)を構えている。茶臼山は、大坂の地名で、形状が茶の湯で使う「茶臼」に似ている(「茶臼山」は、富士山のような末広がりの形の山や地形のことをいう、いわば普通名詞。山の名前としては、全国に200以上もあるという)。本舞台中央に二つの鎧櫃を並べ、その上に天板を載せて、仮のテーブルを作っている。そこに地図を広げ、本多正純(権十郎)が陣頭指揮を取っている。その上手側には、大きな木があり、物見が枝の上に座り込み、離れた戦場の状況をウォッチングしつつ、本多正純ら参謀たちに知らせている。本陣と戦場の大坂城との間を伝令たちが盛んに行き交っている。戦況を聞いていると、どうやら、徳川方が優勢のようである。下手から鎧の上に母衣(ほろ)を背負った坂崎出羽守(松緑)が、本陣に入ってくるが、どうも、表情が冴えない。どうやら、未だに戦功を上げていないらしい。

優勢と聞いて上手御座所から徳川家康(梅玉)とそのブレーン・金地院崇伝(こんちいん すうでん。左團次)らが登場する。家康は、「勝ち戦」の予兆には、満足しているが、何か懸念があるらしい。大坂城には豊臣秀頼に嫁した孫娘の千姫がいるからだ。大坂城落城となれば、千姫の安否もおぼつかなくなる。

大坂夏の陣で、大坂城が炎上し落城寸前の折、家康の「千姫を助け出したものに、千姫を与える!」という言葉(実は虚言)を受けて、勝ち戦の中で、何の功績も残していなかった坂崎出羽守は、これこそ、残された「手柄」とばかりに飛びつき、勇猛にも燃え盛る大坂城の中へ飛び込む。そして、命を懸けて千姫を救い出すことになる。

以後、千姫との結婚を執拗に拘り続けるようになるのだが、後の場面では、狸親父の家康は、千姫が坂崎を嫌うことからのらくらとして、約束を実行する気配がないことが描かれる。

第二幕「宮の渡し船中」。「宮の渡し」とは、東海道五十三次(宿場)の桑名(現在の三重県桑名市)宿と宮(現在の名古屋市熱田区)宿を結ぶ海路。「七里の渡し」ともいう。7里=およそ28キロ。本舞台いっぱいに船の大道具。それも、船の半分から後ろ、鞆の部分を「船中」として使用している。花道七三にある「すっぽん」は、花道の床から花道下の奈落まで、客席からは見えないが、階段の大道具となっている。船中には、葵の紋などを染め抜いた幟がはためいている。海風に幟が舞台奥に向かって揺すられている。その背景には、青い海原が広がっている。この場面での主な登場人物は、坂崎出羽守(松緑)、その忠臣・源六郎(歌昇)、坂崎家の家老・三宅惣兵衛(橘太郎)、千姫(梅枝)、その乳母・刑部の局(萬次郎)、本多平八郎忠刻(坂東亀蔵)ほか。

千姫を駿府城(現在の静岡市。江戸に幕府を開く前の徳川家康の居城)に送る。警護の責任者は無骨な坂崎出羽守。ただし、宮の渡しは、桑名藩の管轄。海路部分のみの管理者として船に乗り込んでいた桑名藩主の嫡男・本多平八郎忠刻(ただとき)を千姫が見初める。本多忠刻は、美男な上、文部両道で、聡明、機転が利き有能。坂崎は、無骨で不器用なくせに、嫉妬心を燃やす。

第三幕(一)「駿府城内茶座敷」。家康は、坂崎出羽守に千姫を嫁がせようとしたが、千姫は、千姫を救い出した際に坂崎が負った大やけどの醜い顔を怖がって、命の恩人ながら坂崎に嫁ぐのを嫌がり、坂崎と逢おうともしなかった。出羽守の無骨で傲慢、ひねくれた性格も嫌った。宮の渡しの船中で本多忠刻を見初めたとも告白する。祖父の強引な政略結婚をも批判する。家康も孫娘には手をこまねく。この場面は、科白劇となる。家康は、千姫に手を焼き、ブレーンで策士の金地院崇伝に知恵を借りることにする。崇伝は、臨済宗の僧侶。幕府の法律の立案・外交・宗教などの政策の相談役を引き受け、「黒衣(こくい)の宰相」と呼ばれた。日本史上、この異名を持つ僧侶は複数人いるが、金地院崇伝も、その一人。

第三幕(二)「 同 表座敷の一室」。坂崎出羽守が家康を訪ねてくるが、家康は仮病を使い、面会を拒み、代わりに金地院崇伝に対応を委ねる。崇伝は、千姫が夫だった秀頼の菩提を弔うために尼になり、仏門に入る(虚言)ので、結婚はできない、諦めろと坂崎に告げる。出羽守は、本当に誰とも結婚しないのかと執拗に念を押した後、千姫を諦める決意をする。この場面も科白劇。

第四幕「牛込坂崎江戸邸内成正の居間」。元和2(1616)年、やがて、家康が亡くなり、この約束は反故同然となり、千姫は自らが見初めた美男の本多忠刻に嫁いで行くことになった、という。忠臣・源六郎(歌昇)は、主君・坂崎出羽守成正に血書で、千姫強奪を訴えるが、それは、立場上できない出羽守を余計に怒らせるばかりだ。出羽守も本心は強奪したいと思っているので、そのイライラを家臣たちに当たり散らす始末。出羽守の居室。小姓の酌で酒を煽り、次第に分別を無くして行く。居室の障子を開けさせると、暗闇の中、遠方に仰々しい提灯を多数ぶら下げた行列が通るのが見える。それは千姫の輿入れの一行だと出羽守も察する。千姫一行は、これ見よがしに坂崎の屋敷の前を通って輿入れをしようとしている、という。これを知り、面目を潰された坂崎は、室内の長押(なげし)に掛けてあった槍を手に取ると、外へ飛び出して行く。その行列を襲って千姫を奪おうとしたのだ。主君の後を追った大勢の家臣たちに阻まれて暴挙は失敗するが、行列の提灯が、一時、乱れたのが見えたから、未遂ながら「事件」は千姫側にも知られてしまった。その後は、乱れもなく、暗闇の中を提灯の行列が進む。坂崎の屋敷の向かいを本多忠刻家に輿入れする千姫を乗せた駕籠が無事に通って行ったのだろう。

この事件について、坂崎の友人の柳生但馬守が「出羽守乱心」という措置で、武士の面目(プライド)と坂崎家の家督相続を保たせようとしたが、坂崎は「乱心のために、行列を襲おうとした訳ではない。せめて武士の一分(いちぶん)を立てたいだけだ」、正気の人間として死にたい、と幕切れ直前の場面で叫ぶことになる。1616年没。生年不明。「千姫事件」を起こした時に何歳だったのか、諸説ある。

その後、松緑は、舞台中央で、一旦、観客席に向かって進んでくるが、途中で、ユーターンして観客席に背を向けた後、後ろ姿のまま、その場に座り込む。出羽守が刀を前方に捧げ持ち、武士の作法に則り切腹しようとするポーズとなったところへ、緞帳の幕が下りてきて、閉幕となった。

坂崎出羽守の屈辱と武士の一分(プライド)対千姫の政略結婚拒否という娘の意思。権力者の虚言が、青年武士の人生をいかに狂わせたか。フェイクニューズの怖さは、現代にも通じる。この芝居のテーマは、そういうことであろうか。

登場人物たちの、それぞれの行動原理。
坂崎:無骨で傲慢、意地っ張り。性格も悪いが、家康に二度騙される。ひねくれた性格にも問題があるが、武士(もののふ)のプライドもある。武士の一分(いちぶん)=山田洋次監督作品「武士の一分」(藤沢周平原作)という映画もあるが、「武士の一分」とは、武士として命をかけても守らなければならない面目、名誉のこと。
家康:権力者のご都合主義。
千姫:美男子好き。坂崎の性格を嫌った。政略結婚批判、個人意識の目覚めも見受けられ、近代的ですらある。若い女性として当たり前の対応。
崇伝:戦略家の「浅」知恵。家康も代理の崇伝に任せるとはずるい。
忠刻:美男子で聡明、若大将という感じ、千姫でなくても、女性に好まれるだろう。史実では、千姫と忠刻は、1616年に結婚するが、10年後の、1626年、忠刻は病死する。千姫は長生きをし、さらに40年後、1666(寛文6)年に没する。

坂崎出羽守直盛は、宇喜多忠家の長男。従弟の宇喜多秀家に仕えたが、拘る性格で、秀家と意見が合わず、仲裁にあたった徳川家康に預けられる。その後、関が原合戦の時には家康に認められ、東軍につく。後年、西軍の宇喜多の名を捨て、坂崎を名乗った。こうしてみてくると、出羽守は、かなり、「厄介な人」だったのではないか。松緑は、その辺りは熱演していたように思う。


梅玉、初役の「沓掛時次郎」


長谷川伸原作の新作歌舞伎「沓掛時次郎」三幕。何回も映画化された若いやくざ者(博徒)のシノギ(生活)と慕情の人情話。やくざ(博徒)の渡世の義理で、縄張り争いの助っ人となり、斬った男の妻子を連れて放浪の旅に出る時次郎。旅の途中で時次郎に愛情を抱きながら病死した女。女から託された男の子を連れて、時次郎は、やくざから身を洗う旅を続ける。主な登場人物:沓掛時次郎(梅玉)、三蔵(松緑)、おきぬ(魁春)、太郎吉(左近。松緑の息子)、安兵衛(橘太郎)、安兵衛女房・おろく(歌女之丞)。

場割り(場面構成)は、次の通り。秋から、冬、春へ。序幕(一)「博徒六ッ田三蔵の家の中」、同(二)「三蔵の家の外」、同(三)「再び家の中」、同(四)「再び家の外」、同(五)「三たび家の中」。二幕目「中仙道熊谷宿裏通り」、大詰(一)熊谷宿安泊り」、同(二)「喧嘩場より遠からぬ路傍」、同(三)「元の安泊り」、同(四)「宿外れの路傍」。

この演目も初見なので、あらすじをコンパクトに記録しておこう。
序幕(一)「博徒六ッ田三蔵の家の中」。暗転のうちに、緞帳が上がると、薄暗い闇の中に貧しい民家が浮かぶ。秋の下総。博徒六ッ田三蔵(松緑)と女房のおきぬ(魁春)、息子の太郎吉(左近)が、荷造りを急いでいる。博徒同士の喧嘩(縄張り争い)から逃げてきた三蔵が、襲われる前に、と夜逃げの準備をしている。舞台が回る。

同(二)「三蔵の家の外」。相手の博徒三人(松江、坂東亀蔵、菊市郎)が三蔵の家の外で待ち伏せをしている。四人目の男。旅人の時次郎(梅玉)も一宿一飯の義理もあり応援でついてきた。時次郎は、一匹狼、さすらいのギャンブラー。舞台が戻る。

同(三)「再び家の中」。夜逃げの準備が整い、三蔵は外の様子を伺う。やがて、雨戸を叩く音。博徒たちが戸を蹴破って、侵入してきた。チャンバラになる。抵抗する三蔵。舞台が回る。

同(四)「再び家の外」。三蔵の抵抗で、怪我をした仲間が出たので、博徒たちは逃げ帰ってきた。時次郎が三蔵と一騎打ちを呼びかける。時次郎が家から出てきて、一騎打ちとなった三蔵を斬る。舞台が戻る。新歌舞伎ながら、回り舞台を十二分に活用する。

同(五)「三たび家の中」。勢いを取り戻した博徒たちが家の中へ入り、母子を追い立てる。「女子どもに何をしやがる」と時次郎は怒り、博徒たちに立ち向かい一人を叩き斬る。母子を逃す。

二幕目「中仙道熊谷宿裏通り」。暗転から明転へ。雪の熊谷宿。去年の秋に下総を出てから、時次郎とおきぬ・太郎吉の母子と旅を続けている。熊谷宿の裏通り。川に橋が架かっている。貧しい町を門付の三味線を弾きながら流しているおきぬ。時次郎は、博徒をやめて門付の一員となり、「小諸追分」を歌っている。おきぬは、三蔵の子を宿していて、身重だ。流れ者の時次郎と一緒に旅をするうちに母子は時次郎へ家族のような情愛を抱くようになった。

大詰(一)「熊谷宿安泊り」。春、庭には菜の花と桜。桜の花もほころび始めた。時次郎と母子が身を寄せている安宿。下総から時次郎を追ってきた博徒二人が姿を見せる。安宿の宿泊者の改めにきたが、宿の女房(歌女之丞)が追い払う。歌女之丞がいい味を出している。三蔵の最後を見届けた時次郎は、母子のために博徒生活から足を洗おうと決意するが、そのためにも金が欲しい。その金を稼ぐために時次郎は、一度は捨てた刀を再度手にとって、もう一度だけと草鞋(わらじ)を脱いだ八丁徳一家の一宿一飯の義理を果たすべく、やくざ者の出入り(抗争、縄張り争い)の助っ人となる決意をする。助っ人代は、一両だ。

同(二)「喧嘩場より遠からぬ路傍」。博徒同士の喧嘩場が近い。時次郎から一両を預かった安兵衛は自分が経営する安泊りへ戻ろうとしている。おきぬに金を渡して安心してお産をさせたい。しかし、八丁徳(楽膳)と敵対する博徒たちに阻まれて通り抜けができないでいる。下手から現れた時次郎が安兵衛を助ける。

同(三)「元の安泊り」。菜の花が咲き乱れ、桜も満開である。数日の差で春が酣となってきた。喧嘩場から無事に急いで戻った時次郎だが、おきぬはお産がうまくいかず、既になくなっていた。死に目に間に合わなかった。初七日を終え、太郎吉を引き取って太郎吉の祖父のいる遠州(現在の静岡県)へ向かうことにする。博徒稼業をやめ、百姓になるつもりだ。

同(四)「宿外れの路傍」。親子のように見える二人連れ。時次郎と太郎吉。時次郎は、丸腰。太郎吉はおきぬの骨を収めた骨箱を置き、路傍の地蔵さんに和讃を聞かせている。下総から追ってきた博徒二人が下手から現れる。しつこくつきまとう二人。時次郎は奪った刀で男たちを斬ろうとするが太郎吉が必死で止める。時次郎は男を殺すことを思いとどまり、叩きのめすだけ。今度こそやくざの足を洗う。時次郎と太郎吉は、父子のように連れ立って、花道から旅立って行く。

「沓掛時次郎」は、博徒というアウトローと貧しい母子の間に流れる慕情がテーマ。疑似家族の物語。長谷川伸の母恋いもの。長谷川伸にとって幼い時に生き別れた母しか母はいない。太郎吉は作者を投影。時次郎の、男の純情。おきぬは純愛。太郎吉の慕情。博徒の渡世の義理と世俗の人情。日本の古くからの価値観。太郎吉には、長谷川伸の自画像が写し取られている。時次郎は、強いが純情男。渥美清が演じた映画「男はつらいよ」の主役・車寅次郎の源流のような位置に立っているように思えた。

贅言;やくざ者・博徒=無宿者たちのやくざには、無宿=戸籍もないし、苗字もない。地名を冠して、名乗っている。やくざとは、サイコロ賭博で、8(やっつ)9(く)3(ざ)と出ると、足し算で、20となり、一桁の位がゼロになってしまうので、賭博ルールでは無価値の数字となる。己らは、地域社会で無用の存在、無価値者だという自重を込めて、893=やくざ、と呼んだ、という説がある。やくざは、無宿者、地域社会からはみ出した者である。やくざの親分になるような者は、それなりに人望や財力がなければ、子分たちもついてこないので、庄屋の息子のうち、家督を継いだ長男以外の者たちが無宿者ながら親分にのし上がった。農民、百姓も長男は家を継ぎ農業をやったが、長男以外の者たちは、無宿者として親分たちの手下になった。

さて、国立劇場では珍しい新歌舞伎二題の上演だったが、気がついたことを書き留めておきたい。

1)今回の新歌舞伎が、古典歌舞伎とは違う点。

★歌舞伎のシンボルである定式幕を全く使わなかった。緞帳を上げ下げして、開幕閉幕とし、途中の場面展開は、暗転の中で緞帳を使い、場面展開。緞帳が上がり明転すると、次の場面になっている、という繋ぎ方が多かった。

★「坂崎出羽守」:白鳥の鳴き声、モズの鳴き声など鳥の声などは、鳥笛を使っているのだろうが、印象的な鳴き方で登場人物の心理描写の効果も伺えた。波の音、雨の音などは、歌舞伎独特の下座音楽ではなく、擬音か。戦場の爆撃の音などは録音した音かもしれない。いずれにせよ、効果音は、効率的に、多様的に使われていたようで、古典歌舞伎の演出とは一味違うように思えた。

2)今回の新歌舞伎も、古典歌舞伎同様、歌舞伎の芝居小屋としての機能を生かしていた。

★「沓掛時次郎」:既に触れたように、回り舞台で「半回し」(90度)を積極的に活用し、序幕の場面展開のテンポアップに効果を上げていた。

★「坂崎出羽守」:宮の渡しの船中では、大型の和船が舞台いっぱいに使われていたが、大道具は、和船を横に輪切りにしたような装置で、私たちの観客席をも見事、船中に載せていた。花道「すっぽん」の空間を利用して、甲板と船底の出入り口とし、大型船の立体感を出すことに成功していた。第二幕の幕切れ近くで、船が目的地に着船したという想定で、大きな本帆(主たる帆)を引き下ろすと、鞆の部分で二人きりの時間を楽しんでいた千姫と忠刻の姿が、出羽守だけでなく、観客の目にも晒されるが、ここは印象の残る場面になった、と思う。
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