タイトルにひかれて読んでみました。
蘇我入鹿(そがのいるか)とは、飛鳥時代の豪族です。
一般には、大化の改新に先立つ、中大兄皇子と中臣鎌足による乙巳の変(いっしの変)で弑された蘇我氏の暴君…と言った程度の認識でしょうか。
…と偉そうに言っていても、入鹿についての知識はは私も似たような程度でした。
写真は4年くらい前、奈良を旅した際に写した「入鹿の首塚」です。
実はここに行ったのは2度目。
40年以上前、大和郡山に親戚が住んでいた事から、小学生の頃、親に連れていって貰っていました。
「いるか」とは変わった名前だなと思った事と、首を切られた悪人だと教わった記憶が有ります。
この頃の歴史は、古事記や日本書紀に負うところが大きいですが、この両著は数代後の天武天皇の命によって編纂されました。
天武天皇は中大兄皇子、後の天智天皇の弟(異説有り)で、天智天皇の死後、壬申の乱を起こして即位した人物ですが、乙巳の変については勝者側にいた訳ですから、自らを正当化し、蘇我を悪く言うのは当然です。
中大兄皇子が皇太子になったのは、乙巳の変以降、天皇の弟である軽皇子が孝徳天皇として即位してからですから、変の時点では天皇の子であっても、要するに数有る皇子の1人です。
結局のところ単なる権力闘争であり、中大兄皇子が正義で蘇我が悪なんて単純な話である道理は無いでしょう。
乙巳の変の際、中大兄皇子は入鹿が天皇をないがしろにして権力を私している事を、変を起こした理由としましたが、中大兄皇子の同志たる中臣鎌足の子孫たち…つまり藤原一族ですが、彼らの方がよっぽど天皇をないがしろにしているではないですか。
遠い子孫の事で先祖を責めても無意味ではありますが…
しかも、中大兄皇子自身が孝徳天皇の治世に、勝手に難波宮から皇后や皇弟、 臣下の大半を連れて奈良へ戻り、孝徳天皇は失意のあまり病となり、間も無く崩御されたとも…
臣下ではなく皇太子とは言え、明らかに天皇をないがしろにしていますね。
それにしても、入鹿は実像がよく分かりません。
少し前の時代、推古天皇の摂政として活躍した厩戸皇子…つまり聖徳太子をバックアップして大きな力を振るった蘇我馬子…入鹿の祖父は広く知られています。
しかし、入鹿は乙巳の変で弑された事、そしてその少し前に聖徳太子の子である山背大兄王を殺したくらいしか話を聞きません。
さてこの本。
一般的に流布する歴史感とは対称的に、蘇我入鹿側から描いた小説です。
国内状勢のみならず、唐や百済、新羅、高句麗など周辺国も絡めて、スケールの大きい話…歴史好きの方にはお勧めです。
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