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2017年10月17日14:19

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10月歌舞伎座・夜「漢人韓文手管始」ほか

17年10月歌舞伎座(夜/「沓手鳥孤城落月」「漢人韓文手管始」「秋の色種」)


玉三郎初役の淀の方/「狂うひと」


「沓手鳥孤城落月」は、7回目。坪内逍遥原作の新歌舞伎の外題は、「ほととぎすこじょうのらくげつ」と読む。1905(明治38)年、大阪角座で初演。同じく坪内逍遥原作の新歌舞伎「桐一葉」の続編。新史劇、と言われる。私は、かろうじて、22年前、95年4月歌舞伎座で六代目歌右衛門の最後の淀の方を観ている。この月、歌右衛門は体調を崩して途中休演となり、先代の雀右衛門が代役を勤めた。私が観た淀の方は、歌右衛門、先代の雀右衛門(代役ではない時)、先代の芝翫(4)、全て故人だ。前回、6年前、11年09月新橋演舞場は、七代目芝翫最後の淀の方の舞台だった。この月、初日に出演した芝翫は、体調不調で、2日目から休演。福助が代演した。その福助も七代目歌右衛門襲名を控えて、4年前、2013年11月体調を崩し休演。その後、長期に休演が続いている。

そして今回は、ついに初役の玉三郎の淀の方を観ることになった。感慨が新たになる、というものだろう。玉三郎の淀の方は、「奥殿」から始まり、「場内二の丸」「糒庫(ほしいぐら)」の3場面構成で、私は、「奥殿」は、今回が初見である。通常は、「乱戦」「糒庫」の2場面構成という演出が多い。さすが玉三郎らしく、今回、「奥殿」から芝居を始めることで、晩年の苦境続きの淀の方が、「狂うひと」「呆けるひと」という意味合いが、より鮮明に印象付けられていて、玉三郎淀の方がくっきりと浮き彫りにされたと、思う。見ごたえがあった。「奥殿」の上演は、19年ぶり。

淀の方と秀頼は、今回も、「認知症の母親と息子」というように置き換えて観えて来た。老母と自分の現況を思い、なんとも、現代的なテーマの芝居で、身につまされてくる、という人も多いのではと思われる。それほど、玉三郎の狂う、あるいは呆ける老女はリアルであった。

まず、今回初見の序幕「大阪場内奥殿の場」。「大坂冬の陣」(歌舞伎座の筋書きは「大阪」を使っているが、ここでは「大坂」を使う)を経て、一旦講和を結んだ徳川と豊臣だったが、家康が、これを破棄し、大坂城を取り囲んだ。大坂方の主な武将は討死となり、大坂城は風前の灯火という状態。小車の局(徳松)や婢女のお松に身をやつした常磐木(児太郎)ら徳川方ながら、密かに潜り込んでいた女たちは、政略結婚で、豊臣秀頼の正室となっている千姫(家康の孫娘、米吉)を場外に逃がそうとしている。そこへ秀頼の母親の淀の方が現れる。淀の方の姿を認め、懐刀を抜いて斬りかかる小車の局。淀の方は薙刀で小車の局を斬り下げる。逃げようとしていた千姫を捕まえる。駆けつけた饗庭の局(梅枝)や梶の葉の局(玉朗)が、常磐木を取り押さえる。淀の方は、怒り心頭。淀の方は常磐木が真相を白状するまでの拷問を局らに命じる。淀の方を非難し、舌を噛み切って自害する常磐木。豊臣家を滅亡へ導く元凶は千姫だと淀の方は責めさいなむ。これを見て正栄尼(萬次郎)が、淀の方を宥めようとするが、淀の方は千姫を打擲しようとする。気位の高い、まだ、正気の淀の方だが、狂気、錯乱の気配が次第に忍び寄っているように見える。

女たちの争いの中へ、大野修理亮治長(松也)が姿を見せる。徳川の軍勢が間近に迫ってきたと告げ、淀の方に天守台に向かうようにと促す。梶の葉の局は千姫の手をとって行こうとするが、気がついた淀の方は、その袂を掴み、逃すまいとする。淀の方の怒りや執着ぶり、執念深さは、まさに鬼気迫る。もう、正気と言えまい。そういう淀の方を玉三郎は丹念に演じる。

二幕目第一場「場内二の丸の場」。既に大坂城内には徳川の軍勢が侵入した。大坂方の将兵は、浮き足立っている。大坂城内の大台所に包丁頭として入り込んでいた徳川方の大住与左衛門(坂東亀蔵)は、大台所へ火を点けた上、千姫を救い出そうと、姫を探している。そこへ、被衣を掲げた千姫の手を引いて梶の葉の局がやってくる。場外への道案内を申し出る与左衛門。梶の葉の局、千姫も花道から場外へと逃げて行く。

この場面も初見。通常は、「二の丸乱戦の場」、通称「乱戦」として設定される。第二場の降伏への背景説明として描かれる戦闘の場面で、まさに「活劇」である。若い裸武者が立ち回りの後、鉄砲で撃たれ、城門の石段を下帯一つの裸姿で、一気に転げ落ちるという壮絶さと裸ゆえの滑稽味という、ふたつの役割を担わされている難しい役どころだ。今回は、この場面はない。玉三郎の説明では、この場面は、後から増補されたものなので、今回、省略したという。確かに、いわゆる外連(けれん)味のある場面だ。見せ場としての立ち回りより、千姫が逃げる、という印象を強める場面に戻したということだ。

二幕目第二場「城内山里糒庫階上の場」、通称「糒庫」。戦場となった大坂城の「糒庫」は、現代的な家庭劇の場(例えば、茶の間、あるいはリビングルーム)に転じても、おかしくないから不思議だ。「いかなる恥辱も母上にはかえられぬ」ということで、認知症の老母をかばい、大将として降伏を決断する心は、同じ境遇にいる我らが同年代には、時空を超えて普遍的な意味を伝えてくれる。

それだけに、淀の方の芝居では、狂気と正気の間を彷徨う淀の方をいかに迫力あるように演じるかがポイントだろう。自尊心の果てに狂気に見舞われた淀の方(歌右衛門や雀右衛門の狂気は、そういう感じだった)も、芝翫の場合、長期の時間の流れの中で、認知症になって行った老母の様子が、いっそう、味のある芝翫独特の表情で演じていた。芝翫の「狂気」の演技としては、淀の方の狂気にとどまらずに、「摂州合邦辻」の玉手御前、「隅田川」の班女にも共通する狂気の表現の積み重ねの成果でもあると思うが、玉三郎の狂気の演技は、いかがなものになるであろうか。期待して観た。今回の玉三郎は、「奥殿」から淀の方を演じることで、「自尊心の果ての、呆けと狂気」に戻ったように見受けられた。「狂うひと」「呆けるひと」を玉三郎は、「狂乱ではなく錯乱」と主張している。「戦乱の世に生まれた女の、人生の矛盾が集約」された場面だという。ならば、老いの果ての、「狂うひと」「呆けるひと」という私の印象も的外れではあるまい。

このほかの主な配役では、秀頼を演じたのは、初役の七之助。大野修理亮が、初役の松也。氏家内膳が、初役の彦三郎、大住与左衛門が、初役の坂東亀蔵。千姫が、初役の米吉。饗庭の局が、初役の梅枝など。玉三郎は、自身でも初役に挑み芸域を広げるとともに、後継育成、世代交代を考えたフレッシュな配役で固めた、と思われる。



上方成駒屋の演目「漢人韓文手管始」


「漢人韓文手管始(かんじんかんもんてくだのはじまり) 唐人話」は、初見。1767(明和4)年、並木正三原作「世話料理鱸包丁(せわりょうりすずきのほうちょう)」が初演だが、史実(1764年、朝鮮通信使の随員が、大坂で対馬藩の通辞に殺される事件があった)に近い内容で興行差し止め。1789(寛政元)年、並木五瓶原作「韓人漢文手管始」(外題の字が「漢人韓文」ではなく、「韓人漢文」になっている。読みは同じ)を経て、これの書き換えが残された。江戸歌舞伎の台本と上方歌舞伎の台本と二系統が残されている。近代では、1913(大正2)年、東京の本郷座で、「長崎土産唐人話」で、上演ほか。最近では、1994(平成6)年、木村錦花改修版を元に歌舞伎座で上演された。伝七が三代目鴈治郎の時代の坂田藤十郎、典蔵が五代目富十郎、傾城高尾が時蔵ほかであった。

鴈治郎が演じる伝七のキャラクターは、上方歌舞伎の「ぴんとこな」、和事味をにじませた二枚目。芝翫が演じる典蔵のキャラクターは、肝の強さを感じさせる立敵。高麗蔵が演じる和泉之助のキャラクターは、「つっころばし」、柔らかみと滑稽みを併せ持つ。江戸歌舞伎とは一味違う独特の上方味の出し方をそれぞれの役者は工夫する。

場面の構成は、次の通り。
序幕第一場「長崎客寄合町千歳屋庭口の場」第二場「同 客間の場」第三場「元の千歳屋庭口の場」。二幕目第一場「国分寺客殿の場」第二場「同 奥庭の場」。今回、初見なので、あらすじも記録しておきたい。

序幕第一場「長崎客寄合町千歳屋庭口の場」。花街の妓楼千歳屋の庭。舞台上手に千歳屋の出入り口。下手には、浜に通じる唐風の門がある。舞台中央に朱塗りの東屋。上手から出てきた千歳屋女房のお才(友右衛門)が、唐から来た外交団の正使・呉才官(片岡亀蔵)、副使・珍花慶(橘太郎)に付き添って浜遊びに出かけていた大通辞の幸才典蔵(芝翫)、下役の須藤丹平(中村福之助)らを迎える。一行は、花道から登場。傾城・高尾(七之助)と名山(米吉)も付き添うはずだったのが、名山急病ということで同行しなかったので呉才官は不興である。

皆が店に戻ったが、高尾は庭に残る。相良家家老の十木(つづき)伝七を待つのだ。実は、二人は2年前から恋仲である。高尾が妹同様に可愛がる名山は、相良家の若殿・和泉之助と恋仲である。十木伝七は、二つの問題を抱えていて、頭が痛い。一つは、和泉之助から、名山身受けに必要な三百両の工面を頼まれているが、国元からの送金がない。もう一つは、相良家の重宝・菊一文字の槍の穂先を唐使に献上するよう将軍家から言付かっているが、槍の穂先は、目下、所在不明。

高尾は、花道から現れた伝七(鴈治郎)の武士としての覚悟を察し、伝七と運命を共にする気になる。高尾が店に戻ると金貸しの手代が高尾の借金を取り立てに来る。伝七が口利きした借金だ。伝七は返済猶予を申し出るが、争いになる。そこへ典蔵が現れ、借金の返済の肩代わりを申し出てくれる。実は、典蔵は、高尾に恋慕しており、伝七に橋渡しをして欲しいのだ。それを知らない伝七は、自分が抱えている問題(菊一文字を唐使に献上、名山の身受け金用立て)の便宜を図って欲しいと典蔵に願い出る。腹に一物の典蔵は、聞き届けると言う。代わりに、高尾への橋渡しをと打ち明ける。途方にくれる伝七。この芝居の「問題の所在」が、ここで観客に知らされる、というわけだ。というところで、舞台は、鷹揚に回る。

第二場「同 客間の場」。女房のお才が、名山(米吉)に呉才官への身受けを諭している。仲居のお千代(芝のぶ)がいる。私は、芝のぶのファン。現れた典蔵(芝翫)も口添えをするので、名山は仕方なく座敷へ向かう。高尾(七之助)が現れ、和泉之助の名山身受け金を典蔵が引き受けたと聞き、伝七との恋仲を告げ、自分も伝七と添わせて欲しいと願う。これを聞いた典蔵は伝七への遺恨の念を抱くようになる。回り舞台は逆回りで、戻る。

第三場「元の千歳屋庭口の場」。名山身受けが決まり、相良和泉之助(高麗蔵)は、太鼓持ちの長八(竹松)、善六(廣太郎)を伴い、名山との逢瀬を楽しんでいる。奴の光平(松也)が駆けつけ、菊一文字の所在が判ったが、急遽、献上品の内見が決まったと伝える。案じた和泉之助が伝七を呼び出し、事情を聞くと、すべて伝蔵が良いように計らってくれるから、内見会場の国分寺へ偽の菊一文字を持って行くようにと答える。幕。

二幕目第一場「国分寺客殿の場」。客殿中央の壇上に唐服姿の典蔵が控えている。参集した大名たちは、献上品を披露する。遅れてやってきた和泉之助も偽の菊一文字を差し出す。これを検めた典蔵は、「真っ赤な偽物」と断じて、和泉之助に恥をかかせる。横恋慕男の意趣返し。伝七も駆けつけてくるが、遺恨の念を持つ典蔵は、さらさら、取り合わない。

名山を伴った呉才官(片岡亀蔵)が現れ、正使の権限で、病気の副使・珍花慶に代わり、典蔵を副使名代にしたと告げる。名山も身受けをして同伴帰国することになったという。一同は狼狽する伝七を尻目に退場してしまう。事の経緯が納得できない伝七だが、賢い家臣の奴・光平に諭される。そこへ現れた高尾から彼女と典蔵とのやりとりを聞かされて、合点が行く。伝七は典蔵の後を追う。幕。

第二場「同 奥庭の場」。舞台中央に朱塗りの渡り廊下。「伊勢音頭恋寝刃」の殺しの場面のパロディか? まず、花道から典蔵。ついで、下手から伝七。伝七は典蔵に追いつき、高尾との間を取り持つからと訴えるが、典蔵は相手にせず、相良家は断絶だと伝七を罵倒する。耐えかねた伝七は、持っていた槍の穂先で典蔵を殺す。典蔵は、舞台上手に倒れこむ。下手から、再び現れた光平(松也)は、所在の判った菊一文字を取り戻しに行こうと伝七に勧めるとともに、典蔵殺しの罪は自分が背負うと申し出る。幕。幕外のひっこみで、終演。


玉三郎の「秋の色種」


「秋の色種」は、舞踊劇。1845(弘化2)年、盛岡藩主南部利済の江戸屋敷の新築祝いに初めて披露されたという。南部候が漢文混じりで作詞したのに十代目杵屋六左衛門が曲をつけたという。

玉三郎は、去年の秋、熊本の八千代座で初めて踊っている。歌舞伎座では初演。私も初見。花道から出てきた玉三郎に大向こうから声がかかる。「待ってました」。玉三郎は紫の衣装で裾模様は、桔梗の花など。「秋草の 吾妻の野辺の荵草……」。秋の風情を眺めながら踊るのは女(玉三郎)。「うけら紫葛雄花 共寝の夜半に萩の葉の……」。続いて、女たち(梅枝、児太郎)も花道から登場して、加わる。三人の踊り。秋の花々。虫の声。自らの恋。「夢は巫山(ふざん。中国の山)の雲の曲……」。玉三郎は、一旦、上手に引っ込む。残った女たち(梅枝、児太郎)は琴を弾く。「清搔(すがが)く琴の爪調べ……」。恋人との逢瀬。春の桜、秋の月、冬の雪。玉三郎再登場。三人の踊り。「常盤堅磐(ときわかきわ)の松の色 いく十返りの花にうたわん」。三人の女たちは、花道から退場。無人の舞台に緞帳が降りてくる。

玉三郎は、相手役として若い立役を抜擢し、育成するとともに、若い女形とともに出演することで有能な若い女形を発掘し、育てようとしているように見受けられる。自身の芸道研鑽とともに、歌舞伎界全体を見回しながら、立役、女形の若手育成に余念がないような気がする。
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