先週のこころ旅は長野県の諏訪湖辺りを旅していたのだが、茅野市の旅ってのがあって、そういえば昔チノンっていうカメラメーカーがあったなと思い出す。
時計メーカーだとかカメラメーカーとかは諏訪湖の周辺に集まっていたから「チノン」の名称も茅野市から名付けられたのかと思ったら、創立者が茅野弘という人であった。
もっとも創立当時の名前である株式会社三信商会の在った場所も茅野市だったので、これは「チノン」にならざるを得ないだろう。
これは偶々偶然の一致なのだろうか。
元々茅野町は8村が集まってこの名前になったのだが、それらの村に茅野とは付いていない。
茅野はかやのとも読めるから、茅が生い茂っていたのかなあ。
そういえば婆さんが亡くなってから露見した事実、婆さんの初婚の相手も松本市の駅前通、今の美術館が建っている辺りに住んでいた松本六郎という人だった。
松本市の成立に関わった人なのかと思ったら、松本だからといって松本さんが多いということも無いらしい。
明治8年に制定された平民苗字必称義務令(へいみんみょうじひっしょうぎむれい)によって、それまで与作とか平六とか呼ばれていた民百姓が名字を持たなくてはならなくなり、松本に住んでいたから松本と安易に名付け、6番目に生まれたので六郎になったという筋書きか。
我が家の親父方の菅沼姓も新潟からの入植者だから、十日市近くの菅沼村の出だと思っている。
小さな村だから村民みんな明治になってから菅沼姓を名乗ったんだろう。
そうそう、チノンは紆余曲折を経てシンガポールの会社なったらしい。
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