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2017年09月22日07:38

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『武田豊詩集』

 『近江詩人会60年』の略年譜を読んでおりました。昭和25(1950)年から平成21(2009)年まで、詩人会の行事や新しい会員の紹介等とともに、その年に会員の刊行した詩集等が載っています。そのなかには、長浜の詩人武田豊が何度か出てきます。
 昭和26年『晴着』、同36年『ネジの孤独』、同44年『指を憎む』、同46年『長浜の灯』、同55年『武田豊詩集』の五冊なのですが、こちらが架蔵しているのは最後の『武田豊詩集』だけです。
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 『武田豊詩集』(昭和五十五年三月十六日関西書院)。ずいぶん前にネットで見つけました。「ひとこと」に、
≪この詩集は、僕のような者にも今年、思いがけない滋賀県文化賞が授かり、これを記念して刊行を計画した。今から十年前までは、なんとかこの眼も通って、天野忠・石原吉郎・粕谷栄市・宗昇・太田浩・片岡文雄・山田博等、それに昨年H氏賞を受けた大野新ら同人で、詩誌「鬼」を編集発行していたが、急に視力が衰えだして通刊(ママ)五十五号で納めた。それから一年後堀口大学先生から頂いた御詩に、僕だけの作品七・八篇を添えさせてもらい「鬼」の別冊として出した。≫と書いています。
 この詩集には、第一集「たぎる花 たぎる花 たぎる花 たぎる花」から第十集「半盲半聾詩篇」まで収められているのですが、書誌的なことが書かれていないので、これらが彼の刊行した詩集の題なのかどうかもはじめは分かりませんでした。かろうじて『晴着』だけは見たことがあったので、十冊の詩集をだしたのだろうと思っていましたところ、略年譜を見て年代順に並べてあるらしいことが分かったのです。しかし、戦後最初に出した『晴着』が第五集でその次の第六集「押入れ」は年譜にありませんし、第十集「半盲半聾詩篇」も見当たりません。また、刊行された詩集の全篇が収録されているのかどうかも分かりません。分からないときはひとに訊くべしで、武田豊を調べておられる東京のS村さんに問い合わせましたら、戦後の四冊の中では『長浜の灯』で一篇「孟蘭盆」が抜けていること、戦前の詩集では第四集の『赤い小函』五十篇中の十篇のみが入っていることを確認されたとのことでした。S村さんにして、戦前では『赤い小函』以外未見で、【戦後の「押入れ」と「半盲半聾詩篇」が刊行されたのか予定だったのかも不明らしい】。何度も長浜に行って近所の人の話を聞いたりしておられる。この日曜日も長浜だとか、頑張ってください。

 【】部分は削除。
 S村さんから以下をご教示いただきました。

≪「押入れ」は、文童社版「武田豊詩集」を編む際にまとめられました。
文童社版「武田豊詩集」のあとがきにこうあります。

”「押入れ」は「晴着」直後の作品だが詩集として実際には出ていない。もし出せれば堀口大学先生が前の「晴着」の様に序文を書いて下さるお約束だったが、機会の無いまま、僕は別に詩誌「鬼」の発行をするようになり、耳目はやはり悪いが、徐々に快復して来た健康と共に、詩形もまたその内側も変ったので、ひとまずこの集は「押入れ」と名付けておいて、「晴着」以後の内に入れた。”

なお、文童社版「武田豊詩集」は、「ネジの孤独」と2冊セットの箱入りで出版されました。あとがきに「別冊のようなつもりで」編んだとあります。

「半盲半聾詩篇」は関西書院版を編む際にまとめたのかもしれません。≫

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