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2017年09月17日18:09

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9月国立劇場(人形浄瑠璃)・第一部「生写朝顔話」

17年09月国立劇場(人形浄瑠璃)(第一部/「生写朝顔話」)


「写生朝顔話」を人形浄瑠璃で観るのは2回目。前回は11年05月国立劇場小劇場公演。「段割(段の構成)」は、「明石浦船別れの段」「宿屋の段」「大井川の段」であった。今回は、このほかに3つの段がつく。「宇治川蛍狩りの段」、「浜松小屋の段」、それに「嶋田宿笑い薬の段」である。今回同様の段割で上演されたのは、19年前の、98年9月以来。

講釈師・司馬芝叟(しばしそう。詳細不明)の長咄(人情話)「朝顔日記」を元に作られた。話の構造は、荒唐無稽で、筋もシンプルだ。これも、先行作品をいくつか、下敷きにしている。「絵本太功記」同様の、無名の作者による憑依の作劇に近いのではないか。歌舞伎としての初演は、1813(文化10)年で、人形浄瑠璃としての初演は、1832(天保3)年、大坂・稲荷社内竹本木々大夫座というから、宮地芝居の系統の演目だろう。山田案山子(詳細不明)脚色という。

後の儒学者熊沢蕃山がモデルという宮城阿曽次郎と岸戸藩家老・秋月弓之助の息女・深雪とのすれ違いのラブロマンス(まるで、先の戦後直後の社会を風靡した菊田一夫原作のラジオドラマ「君の名は」のようにすれ違う)と西国大名大内家のお家騒動を背景にした物語だが、専ら、ラブロマンスの場面が、深雪の視点で描かれる。

「宇治川蛍狩りの段」。「武士(もののふ)の、八十宇治川と名に流れ、底の濁りも夏川や、……」。竹本は、「中」が小住太夫、三味線方が、錦吾。「奥」が三輪太夫、三味線方が、清友。人形遣いの玉男らは、夏らしく白い着付け姿。

京都に上って儒学を学んでいる西国大名大内家(当時の周防、現在の山口県)家臣宮城阿曽次郎(人形遣いは玉男)は、ある日、僧月心に誘われて、宇治川の蛍狩りにやってきた。蛍が飛び交う清涼感あふれる夏の夜。阿曽次郎は、風雅にも歌を読むが、歌を書いた短冊が風に奪われ、宇治川に舫ってあった御座船の中に飛んで行ってしまった。船の御座の内には、芸州(現在の広島県西部)岸戸家の家老・秋月弓之助の息女・深雪(後の、朝顔)と深雪(人形遣いは一輔)の乳母・浅香(人形遣いは和生)の二人がいて、短冊を拾う。深雪らは短冊の主を探そうと御座船の障子を開けるが、酔いどれの浪人もの二人が深雪らに絡む。浪人ものを追い払う阿曽次郎。深雪は阿曽次郎に恋心を抱く。二人は、浅香の手引きもあって、船に乗り込み、盃を交わす。浅香が気を利かせて、席をはずすと、ラブシーンとなる。深雪は最初からイケイケの気分。深雪は金地に朝顔が描かれた女扇を取り出し、阿曽次郎に朝顔の歌を書いてもらう。

そこへ阿曽次郎方の奴・鹿内が国許の伯父・駒沢了庵からの急ぎの書状を携えて阿曽次郎を探しに来た。その書状には、駒沢家の家督を継ぎ、鎌倉(事実上、江戸のこと)で遊興に耽る主君大内義興に諫言せよとあった。取りすがって引き止める深雪を残して立ち去って行く。最初の別れ。

「明石浦船別れの段」。「わだつみの浪の面照る月影も……」。竹本は、津駒太夫、三味線方が、寛治。琴が、燕二郎。「わだつみの浪の面照る月影も」。明石浦の海原、丸い月が照っている。舞台中央に、大きな船。秋月弓之助一行の帰国船。西へ向かうため、風待ちをしている。船の横腹に障子の窓。障子には、雷の絵。下手より、小舟に乗った宮城阿曽次郎登場。人形遣いは、主遣いも、顔を隠している。障子の内では、深雪が、琴を演奏している。「露の干ぬ間の朝顔を、照らす日影のつれなきに」。歌の文句は、阿曽次郎が、宇治の蛍狩りの際、女扇に書いて深雪に与えた朝顔の歌。訝しんでいると、障子の窓が開き、家族とともに、お家騒動で急遽、父親らと共に国元の芸州へ帰る予定だという恋人の深雪が顔を見せた。深雪が、喜んで小舟に乗り移って来る。事情を聞いた上で、阿曽次郎と深雪のラブシーンとなる。「ひつたり抱だき月の夜の、影も隔てぬ比翼鳥、離れがたき風情なり」。小舟の船頭は、照れくさそう。同道したいという深雪。それを許す阿曽次郎。しかし、家族へ書き置きを残そうと、一度、船に戻る深雪。これが判断ミス。風が吹き始め、船は、そのまま出て行ってしまう。「こはなんとせん、かとせん」。小舟に戻れない深雪は、船の上から、朝顔の歌を書いた扇を小舟に投げ込む。「後しら浪の隔ての船、つながぬ縁ぞ」。深雪、二度目の別れ。

「浜松小屋の段」。「げにや思ふ事、ままならぬこそ浮世とは、誰が古の託ち言。……」。竹本は、呂勢太夫、三味線方が、清治。阿曽次郎を探し出そうと秋月家を飛び出し、艱難辛苦の旅の果て、目を泣き潰してしまった。今は、東海道は浜松の、街道筋の乞食小屋に住まいし、三味線を弾いて露命を繋いでいる。深雪と別れ別れになっている乳母の浅香も巡礼となって諸国を回り、深雪の行方を追っている。浅香は街道で出会った盲目の女が深雪ではないかと、言葉をかけるが、深雪は落ちぶれた身を恥じて、名乗らず、その娘は身投げをして亡くなったと嘘をつき、小屋に引きこもってしまう。浅香は既に亡くなった深雪の母の臨終の様子をひとりごとで小屋の外から女に聞かせた後、立ち去る。小屋の中でこれを聞き、泣き崩れる深雪。そっと引き返していた浅香は小屋の外から深雪の様子を窺っていた。やっと、二人は再会し、心の内を打ち明ける。

そこへ、人買いの輪抜(わなぬけ)吉兵衛が通りかかり、美形の盲目女を無理やり連れ去ろうとする。浅香は、仕込み刀を抜いて吉兵衛と立ち回りになり、吉兵衛を討ち果たすが、自分も深手を負ってしまう。浅香は、深雪に守り刀を渡し、嶋田宿の古部三郎兵衛という男を訪ねるように勧める。古部は自分の父親だと告げると、力尽きてしまう。浅香との別れ。

ここまでの主な人形遣いは、阿曽次郎が玉男、月心が簑一郎、深雪が一輔、浅香が和生、奴・鹿内が簑太郎、浜松小屋の朝顔が箕助、輪抜吉兵衛が玉佳ほか。箕助の扱う朝顔が凄い。朝顔は命を吹き込まれた娘のように動き、箕助は、ただただ、心配そうに娘を見守っているだけ。時には、娘の過酷な人生を思い、オロオロ、時には、一緒に悲しむ。そういう感じで、箕助は父親のような表情で、朝顔の少し後ろをついて回っているだけのように見える。

「嶋田宿笑い薬の段」。「行く空の/雲の足より雲助が足並み早き東海道。……」。竹本の「口」は、芳穂太夫、三味線方は、清丈(肩に「丶」が付く。「奥」は咲太夫。切り場を呂太夫に譲る。体調が悪いのだろう)、三味線方は、燕三。悲劇の中のチャリ(笑)場。笑わせどころ。伯父の駒沢家に養子に入り、阿曽次郎は名前を駒沢次郎左衛門と改めている。主君大内義興に諫言をしたら、主君は本心を取り戻してくれた。お国帰りをすることになった主君一行の先ぶれとして次郎左衛門は岩代多喜太とともに嶋田宿の常宿の戎屋に逗留している。岩代は主君に遊興を勧めて、お家乗っ取りを企んだ悪家老の山岡玄蕃らの一味。隙あらば、次郎左衛門を亡き者にしようと企んでいる。親しい医師の萩の祐仙が訪ねてきたので、祐仙に痺れ薬を処方させる。この薬を湯に入れて、薄茶を次郎左衛門に飲ませて、殺害しようと企てた。それを立ち聞きした戎屋主人の徳右衛門は、祐仙の隙を見て、茶の湯を取り替えてしまう。代わりに笑い薬を入れる。

外出先から戻った次郎左衛門に岩代らが茶を勧めるが、徳右衛門は機転を利かし、毒味をしろという。祐仙は、解毒剤を持っていたので、それを飲んでから茶を飲むと、突然、笑い出し、笑いが止まらなくなる。毒薬の痺れ薬には解毒剤も効くが、笑い薬では解毒剤も効かない、というのが落ち。悪巧みも失敗、という顛末。

「宿屋の段」。「入りにけり/いづくにも暫しは旅と綴りけん、……」。竹本の「切」場の語りは、呂大夫。三味線方は、團七。琴は、清公。

舞台は、下手から、階段、控えの部屋、床の間、部屋の体。人形遣いは、顔を出している。駒沢次郎左衛門、こと、阿曽次郎の主遣いは、玉男、朝顔、こと、深雪の主遣いは、清十郎。

今は、駒沢次郎左衛門と名を変えた阿曽次郎は、島田宿の宿屋・戎屋で、衝立の歌に目を留める。お家横領を企む悪家老一味の岩代多喜太と、故あって、同道している。岩代は、駒沢を毒殺しようとしているので、油断がならない。

衝立には、深雪と自分しか知らない、あの「朝顔の歌」が、書いてある。宿の亭主に問うと、流浪の果て、盲目となり、島田宿に流れ着いた朝顔という女が、書いたという。朝顔は、深雪ではないかと思った次郎左衛門は、女を呼び寄せさせる。「もし云い交はせしわが妻か」。そこへ、折悪しく、岩代も、戻って来る。杖を頼りに歩く瞽女、盲目の女は、やはり、深雪だった。探しあぐねた恋人が、目の前にいるのも気づかず、琴を弾き、歌を歌い、鳥目を戴く稼業の朝顔。「露の干ぬ間の朝顔を、照らす日影のつれなきに、哀れひとむら雨のはらはらと降れかし」。

朝顔の琴演奏と床の琴演奏を比較すると、手の動きは、違うのだから、人形に託する琴の演奏振りは、フィクションなのだが、人形の身体の動き、手の動き、全体的な柔らかさなどから、いかにも、人形の朝顔が、本当に、琴を演奏しているように見えるから、不思議だ。

岩代に要請されて身の上話も披露させられる。中国地方の生まれで、「様子あつての都の住居。ひと年宇治の蛍狩りに焦がれ初めたる恋人と」別れてしまい、「身の終はりさへ定めなく恋し恋しに目を泣き潰し」などと語る朝顔は、やはり深雪だった。だが、駒沢は、岩代の手前、朝顔に「阿曽次郎」だと名乗れない。「もしその夫が聞くならば、さぞ、満足に思ふであらう」というのが、精一杯。阿曽次郎の声を忘れてしまったのか、深雪よ。三度目の恋人との別れ。

岩代が、部屋に戻ったので、朝顔、こと、深雪を呼び戻して欲しいと頼むが、深雪は、すでに清水へ向けて宿を立ち去っていた。一筆書いた扇と金子、眼病が治る秘法の目薬を亭主の徳右衛門に頼む駒沢次郎左衛門、こと、阿曽次郎。すれ違いのラブロマンス。「マ、よくよく縁の」と、残念がる。

駒沢次郎左衛門と岩代多喜太が、夜明け前に旅立つと、深雪が戻って来る。扇に書かれた絵と文字(「金地に一輪朝顔。露の干ぬ間が書いてある。裏に、『宮城阿曽次郎こと、駒沢次郎左衛門』とかいてあるぞや」)で、駒沢次郎左衛門が、阿曽次郎と知る深雪。「エエ、知らなんだ」。「年月尋ぬる夫でござんすわいなあ」。夜の明けぬ暗い夜道、降り始めた雨も厭わず、「たとへ死んでも厭ひはせぬ」。激しい情愛の濃い、意志も強い女性。後を追う深雪。

この段、人形遣いは、朝顔、こと、深雪は、清十郎。駒沢次郎左衛門、こと、阿曽次郎は、玉男。徳右衛門は、勘壽。

「大井川の段」。「追うて行く/名に高き街道一の大井川……」。引き道具と書割が上に移動して、場面展開。下手側から、柳、大井川の道標(前回は、人足たちの担ぐ輿に乗り、駒沢次郎左衛門と岩代多喜太葉、大井川を渡る、という場面があった。)「夫を慕ふ念力に、道の難所も見えぬ目も厭わぬ深雪」。遅れて、下田から朝顔(深雪)が、岸辺にたどり着くと、夫らは、川を渡ったものの、「俄の大水」で、朝顔の番から川止めになってしまう。柱巻きのポーズで、悔しがる。悲嘆にくれる深雪を助ける秋月家の奴・関助と宿の亭主・徳右衛門が下手から、さらに遅れて現れる。

この徳右衛門が、実は、古部三郎兵衛だった。幼いころから深雪を育ててくれた乳母の浅香の父親だ。古部三郎兵衛は、甲子の年の生まれで、この年の「男子の生血」と駒沢次郎左衛門から託された目薬を調合すると眼病は治るという。おのれの腹に短刀を刺した三郎兵衛の血で調合した薬を飲んだ深雪の目は、見えるようになる。命を投げ出した乳母の父親に感謝し、「わが夫の情けにあまる賜物」に感謝する深雪。「露の干ぬ間の朝顔も、山田の恵みいや増さる、茂れる朝顔物語、末の世までも著し」。

阿曽次郎への再会に気持ちを高ぶらせる深雪。「絵本太功記」の悲劇の家族は、潰されたが、「生写朝顔話」の悲劇の夫婦は、やっと、ハピーな大団円が待っている予感、余韻で、幕。大井川の川止めも、天気が回復すれば解除される。後日談。遅れて後を追った朝顔こと、深雪は次郎左衛門に追いつき、やっと、再会を果たす。

朝顔こと、深雪は、芸州(現在の広島県西部)を出て、宇治で阿曽次郎と出会う。宇治から、芸州へ帰るために、一旦西へ。明石で再び阿曽次郎と会ったのに、風に引き裂かれる。明石から、阿曽次郎を追って、再び東へ。浜松から大井川を渡って、嶋田(大井川の左岸、つまり江戸側)、また、次郎左衛門を追って、西へ、大井川の川止めに遭うという動き。

ここまでの主な人形遣いは、戎屋徳右衛門が勘壽、萩の祐仙が勘十郎、岩代多喜太が玉志、駒沢次郎左衛門が玉男、宿屋、大井川の朝顔が清十郎、奴・関助が文司、下女・お鍋が紋臣、小よしが玉彦ほか。勘十郎が萩の祐仙をコミカルに、メリハリをつけて操っている。

贅言;先行作品の下敷き振りをチェックしてみよう。下敷きにしている先行作品は、主なもので、4つある。「生写朝顔話」の舞台の場面順で見ると、まず、1832年、初演の「生写朝顔話」より、100年前の、1732(享保17)年に、人形浄瑠璃の大坂・竹本座で初演された「壇浦兜軍記」の「阿古屋琴責の段」。舞台で琴を弾く場面がある。琴の演奏を通して、自分の心情を語る。次に、70年前の、1762(宝暦12)年に、人形浄瑠璃の大坂・竹本座で初演された「奥州安達原」の「袖萩祭文の段」。目を泣きつぶし盲目となった袖萩が、祭文にことよせて身の上を語る場面がある。さらに、90年前の、1742(寛保2)年に、人形浄瑠璃の大坂・豊竹座で初演された「道成寺現在蛇鱗」(安珍清姫伝説)の「日高川の段」。恋しい男を追って、川を渡る場面がある。もうひとつ、59年前の、1773(安永2)年に、人形浄瑠璃の大坂北堀江市ノ側芝居で初演された「摂州合邦辻」の盲目の俊徳丸に横恋慕していた継母の玉手御前が、寅年の年月日刻の揃った自分の血を俊徳丸に飲ませれば業病も直るという場面がある。

人形の首(かしら)で特徴があるのは、深雪では、よく見かける「娘」の首だが、盲目になった朝顔では、「ねむりの娘」という。目が違う。萩の祐仙は、三枚目の首のひとつ、大きな眉や口が動く。
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