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2017年08月29日12:55

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早朝騒々

軍事に纏わる事柄に油断と楽観論は禁物には違いない。そのことは歴史が示している。しかし、今朝の北朝鮮のミサイル騒動・・・その報道ぶりにはいささかげんなりする気分でもある。どのニュースをみても一度聞けば誰でも解ることと、推測だけで実態は分からないことの両極端のニュースが混ぜこぜに繰り返し報じられる。少なくとも我が国に対しては、ミサイル発射の事実より、その事態に対する対処のあり方にこそ北朝鮮の思惑通りの効果があった・・・・と思える。150年前と変わらぬ我が国ではないかと思う・・・・
  「平成の疑心暗鬼を揺する飛翔体たった一発で朝も眠れず」
ほとほと我が国のジャーナリズムは(特に軍事に関わるニュースに対して)、確認できる”事実”と推測だけで根拠の無い(薄い)”推測”に厳密に状況を分けて冷静に分析する能力に欠けていると思う。”この時期”にミサイルを発射した思惑、意味は?とか、グァム攻撃に備えて西日本に配置したPAC3の裏を書かれて北日本方面に打たれてどうするんだ?とか・・・聴くだに素人同然の議論が公然と語られる。冷静を欠いた大騒ぎの疑心暗鬼は油断・楽観と同じである。願わくば、政府、防衛省も同様のアタフタぶりでないことを望む。

音楽
ここ1−2週間、色々聞いた・・・・
1)マーラー:交響曲1−9番、シノーポリ/フィルハーモニア
考えてみるとこの全集、発売と共に順次聞いていったが、纏めて聞いたことがなかったように思う。私はこのシリーズでは最初に発表された第5番が一番好きで、その後の演奏はなんとなく気迫が薄れていったような印象を持っていたのだけれど、改めて2日かけて全曲を聞いてみると、全曲にわたってシノーポリらしい理性的(・・・と言って”熱”のない冷静とは違う)で独特の見通しのよい透明感のある演奏姿勢が貫かれていていることに気付かされた。作曲家であり指揮者でもあるという感性から考えた演奏効果とその意味の分析と言う点では、シノーポリは最もマーラーに近いのではないかと思う。
2)シベリウス:ハンニカイネン録音集
交響曲2、4,5番、タピオラ組曲、カレリア組曲、レンミカイネン組曲、フィンランディア、ワルツ・トリステ、ヴァイオリン協奏曲・・・
が、ハンニカイネンによるシベリウス録音の全てだと思うが、どれも私は大好きである。ハンニカイネンのシベリウスは、洗練された近代的交響曲作曲家と言うシベリウス像の対極にあるような土臭くて寧ろ素朴な国民楽派の作曲家シベリウスを感じさせてくれる。”精緻”な音響と言うより素朴で場合によっては荒っぽさも辞さないシベリウスは、他の指揮者からは聴くことの出来ないものだと思う。そういったハンニカイネンの特徴は、例えば交響曲4番などで明らかだ。4番は一般的にはシベリウスの大病の後に書かれた陰鬱で晦渋な曲だとされているが、ハンニカイネンの演奏で聴くと陰鬱さも晦渋さも他人を寄せ付けない頑なさというより、もっと率直で当時のシベリウスの気持ちのママを吐露した表現で、背後に”生き延びることの出来た”かすかな安堵感と希望が感じられるような分かりやすさがある。
3)ポゴレリッチon Youtube
久しぶりにyoutubeでポゴレリッチを検索。奥方をなくして以来ぷっつり録音をしなくなってしまったポゴレリッチも演奏会活動は今も行っている。そういう演奏会の幾つかは所謂膝上録音(無論マナー違反かつ恐らく違法)で聴くことが出来る。今回も2016−7年の演奏を早くも聴くことが出来るが、中にはシューマンのピアノ協奏曲のような、今まで彼の演奏では聞いたことのなかった大曲もある。
どの演奏もポゴレリッチらしい(超)個性的な演奏だが、彼のデビュー以来のファンとしては複雑な思いもある。録音という”商品”から開放されたような自由奔放さは私も嫌いでは無いけれど、どこか彼自身の内部で開放されきっていないところが在るような演奏が痛々しく感じられることもある。若い彼には自由奔放ではあっても何処か地上とつながっていて聴衆と共通の基盤を感じることが出来たように思うが、最近のポゴレリッチは地上との接点が増々希薄になって何処か異なる世界に片足踏み込んでいる様な気がする(今から思えば奥方が彼を地上に留めおいていたのか・・・とも思う)。
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