きみえちゃんと、婆ちゃん、つまりボクと麻由美ちゃんの祖母できみえちゃんの母親がいくつで亡くなったかって話になった。
ボクは72歳やと思っていたのに、麻由美ちゃんは65くらい、きみえちゃんにいたってはまだ60になってなかったはずやという。
記憶に残ってる婆ちゃんは、子供やった自分たちに取ってもいま考えてもやっぱりおばあさん。
腰が曲がってたりはせんかったけど、思い出されるのはザ・おばあさんな顔と話し方。
なんぼなんでも50代ってことはないやろとふたりでいうんやけど、きみえちゃんは間違いないといって譲らない。
こういうときは理詰めに話を積み立てていかんと埒があかない。
昭和20年にフィリピンで戦死した婆ちゃんの長男、うちの家に写真が飾ってある菊之進さんの階級は伍長。
戦死して伍長やから、兵長で亡くなっている。
徴兵されて2年で上等兵になれるのはきわめて優秀な部類で、せいぜい20人にひとり。
そうした兵士は下士官候補者として、再召集の際は兵長になる。
てことは、菊之進さんの年齢は最低でも22歳になっていたはず。
婆ちゃんが亡くなったのは昭和45年なので、その時点で60歳やとしたら、昭和20年には35歳の計算になる。
なんぼ昔は結婚も出産も早かったというても、35歳で22歳の母親ってのは無理があるのではないか。
最低でもあと5歳は上、すなわち、65歳より若いってことはないんちゃうかな。
と、ここまで説明して、ようやくきみえちゃんは納得してくれた。
きみえちゃんが自分の母親が死んだ年を若く記憶していたのは、自分の年をごまかしていたからに違いない。
女子にはよくあることやし、言うてるうちに作り話と現実の境目がわかれへんなったんやわ。
そして今度はうちの母ちゃん。
テレビを見てたらピコ太郎が出てきた。
この人、えらい年上の嫁がおるんやてね。
すかさず麻由美ちゃんが答える。
ちゃうちゃう、それはこの人になる前の人で、嫁さんはかなり年下やで。
そやけど、最近結婚したて言うてたやん。
そやから、これをやってる人が若い人と結婚したんや。
少し間をおいてから、母ちゃんは言った。
そうか、この人は嫁さんがふたりおるんや。
さらにひと呼吸置いてから付け加える。
うちの息子はひとりも嫁がおらんのに。
あいかわらずいらんこと言うおばあさんやわ。
しかし、退屈せんよなあ、年寄りとしゃべってると。
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