終戦記念日という事もあるのであろうが、嘗ての戦争についての記事がずらずらと並んでいる。
そして、それ自体について、さしたる感慨があるということもない。
だが、その中には、記事というよりもポエムとでも評すべきか、歴史から汲み取るべき教訓と、起こった事実の過程や原因を無視した短絡的な結論を同異議にしたがる内容のモノが屡々紛れ込んでいる。
勿論、中には意図的に事実をねじ曲げたり、己れの考えに近しくなるように結論を誘導しようとする意図を持った記事もあるので、そちらにも十二分の注意が必要である。
例えば、私は独立の為であれば、最悪の選択肢として戦争という決断をする事は視野にあるべきであると考えている。
しかし未だに、こういう説明を入れた意見を呉れても、軍国主義者の如く扱おうとする蒙昧の輩が後を絶たぬのは不思議で仕方が無い。
嘗ての戦争の悲惨な現実を語る事は大切であろう、その悲惨を知るからこそ、最悪の選択肢である戦争を避けるため、最善の努力が払われるのだから。
だがだからといって、それらの悲惨な事実を、戦争という選択肢そのものを排除する試みに利用しようとするのは、この数十年に渡り行われてきた誤りである。
確かにここ十数年で自衛隊への認識も変化してきた。
米国の持つ核の傘の下で、仲間内でわぁわぁやっているだけのエセ平和主義者連中を世間が冷静に観察できるようになってきた。
すると、今度は戦争に対して警戒的な言質をするだけでエセ平和主義者の如く扱おうとするのが出てくるのだから、重ね重ね不思議で仕方ない。
十数年前であれば「あいつは軍国主義者だ」という言葉であったモノが、今は「あいつは共産主義者だ」となっているのであろうか。
まぁ、「アカだ」であれば戦前か、戦後の米国にでもなるのかも知れないが……。
結局、ナニが云いたいかと云うと、自分の意見を持って語れている人間がどのくらいいるのか、よくよく見極めなければならない、という事である。
ひとりやふたりの、それっぽい意見、格好イイ意見を背景にしてその時々の流行りに乗って他人を批判する事に「慣れる」という事のないようにしてほしいと思う。
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