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2017年08月09日05:45

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長崎に原爆を投下され72年目

1859年6月28日、徳川幕府がロシア・イギリス・フランス・オランダ・アメリカの五か国に、長崎・横浜・函館での自由貿易を許可する布告を出し、港を開港すると同時に税関が設けられました。これを記念して、通産省は1963年に、「貿易記念日」として制定したのです。

そして現代に至っていますが、日本国がこれから国際社会の中で、生き残るにはどうしたらいいのか。貿易立国としてやっていくには、どうすればいいのか、尊敬される国になるにはどうすればいいのか、それらのためには何をしたらいいのかを、考えることが大切なのです。国際情勢も国内も、常に時代は動いているのです。

そのなかで、臨機応変に対応するのが、生き残るための賢い選択というものです。日本が世界のなかで生き残るための条件、貿易立国として生き続けるためにはどうすべきかを、きちんと過去を振り返りながら考えることがとても大切なことだと思うのです。去年も終戦記念日に「平和の祈念式典」が開催されました。

広島市と我孫子市は姉妹都市となっており、広島や長崎での被爆者の会の方々達も参加され「ヒロシマナガサキ」という映画も上映されました。原子爆弾で亡くなられた方々への哀悼の意を捧げます。私は長崎・広島に行き、原爆ドームや資料館を見学しました。被爆者の会の皆さんは高齢化が進んでいます。私の父も被爆者でした。

だが、原爆症認定で国に向けた動きはひとつも行いませんでした。ひたすら寄付だけは被爆者団体にしていたことを知りました。現在の日本で幸せに暮らせるのは、必死になって日本を支えてこられた亡くなられた方や遺族、被爆者たちのご労苦があったからだと思います。

マンハッタン計画では約20億ドルの予算が投じられ、ピーク時に科学者ら約13万人を動員して、計3個の原爆が製造されました。このうち、ウラン型原爆は1945年8月6日、最初に広島に投下されました。プルトニウム型原爆は核実験に1個使われ、もう1個は8月9日に長崎に落とされました。

「原爆の父」と英雄視されたオッペンハイマーは終戦直後の1945年10月、研究所を去り、後年、核実験について「私は死に神になった」と回想しています。その後、水爆開発に反対して核の国際管理も訴え、反共マッカーシズムの赤狩り旋風が米国で吹き荒れた50年代、スパイとの嫌疑をかけられて公職を追放されました。

一方、世界は核の時代に入り、アメリカとソ連は冷戦時代、核軍拡競争に突入していきました。ロバート・オッペンハイマーは、ニューヨークのユダヤ系の家庭で生まれています。米ハーバード大や英ケンブリッジ大などで学び、カリフォルニア大バークレー校教授などを経て、1942年に「マンハッタン計画」に参加しました。

アメリカ国民からは「原爆の父」と英雄視されましたが、「私は死に神になった」と自戒するのです。アメリカとソ連の冷戦時代に、原爆開発反対の言動をした有名な学者には、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士などたくさんの学者がいました。アインシュタインの相対性理論から原爆の原理が導かれました。

アメリカのマンハッタン計画ではドイツよりも先に原爆の開発をするという至上命令となりましたが、ドイツでは原爆の開発は行っていませんでした。だが、大戦末期、日本でも原爆が開発されており資源だけがありませんでした。ドイツはウランをUボートに乗せ日本国へ運搬しようとしたのですが途中で拿捕され日本人は全員自決しています。

現在、冷戦時代は終わり、これからは核兵器をなくす方向になってもらいたいところですが、日本国は原子力発電所を稼動させようと躍起になっています。原爆を投下され戦争は終わりましたが、日本人民族が白人社会に人種差別撤退を叫ばなければ今頃アジアすべては白人の植民地とされ奴隷の呪縛から未来永劫解き放たれることはなかったでしょう。

結果、米国に戦いを挑んだ日本国広島では、米軍による原爆投下によって、20万人以上が亡くなり、数10万人の人々が今も放射能病に苦しんでいます。その3日後には、2発目の原爆が長崎に投下され、7万人以上の人が死亡しました。長崎に原爆を投下する必要あったのであろうか。

長崎原爆資料館には、南京事件の写真が飾られており、アメリカの原爆投下がさも正当な行為だったかのような印象を与えています。日本がアメリカに攻撃されたということはどこにも書いていないのです。唯一の被爆国である日本に住む人間として原爆の恐ろしさを訴え、世界で二度と核兵器が使えない仕組みをつくらなければ恒久平和はやってきません。

被爆国であるがゆえに出来る役割です。正しい歴史の認識と教訓の上に立って、主張すべき事を主張する態度と勇気がなりよりも必要だと思います。戦後72年間、先の大戦での多くの祖先の尊い犠牲の上に平和な生活があることを忘れてはいけないと思います。

長崎、広島を思うことは人の本質を真面目に考え、無辜なる被害市民に敬意を払いつつ、恒久平和のため勇気を奮い食い止めなければなりません。これからの日本が何をなすべきかを考えなければならないと思うのです。

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