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2017年07月08日12:09

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7月国立劇場(鑑賞教室・菊之助の「一條大蔵譚」)

17年7月国立劇場 (鑑賞教室・「一條大蔵譚」)


歌舞伎が教える「1強」との対峙の仕方


通称「一條大蔵譚」は、人形浄瑠璃「鬼一法眼三略巻」(1731(享保16)年、大坂・竹本座で人形浄瑠璃として初演された。文耕堂らが合作した全五段の時代浄瑠璃)の「四段目」に当たる。保元・平治の乱を経て、平家全盛となった世の中で、源氏の再興を目指す牛若(後の義経)系統の人々の苦難を描いた。我が世の春を謳歌する平清盛に対峙する弱者の物語。一條大蔵卿長成は史実の人物で、藤原氏の流れを汲む貴族だが、この芝居では、フィクションが付け加えられ、元は源氏の血筋の公家として描かれる。平家対隠れ源氏。いわば「1強」対多弱という構図。権力を独り占めする強者・清盛に対抗するには、政治には興味を示さず、芸能(能や舞など)に「うつつを抜かす」安全な人物を装って、時代の流れが変わるまで待とうという姿勢の人物として描かれる。安倍政権対弱小野党(どの政党かは不問)と似た状況だが、安倍政権の1強にも陰りが見えてきた今の政治状況を重ねてみるとおもしろいかもしれないが、それはそれ、これはこれ。芝居は、芝居。

通常、「一條大蔵譚」は「檜垣茶屋の場」(緑豊かで、敷地内の建物など見えない広大な京都御所の公卿門。その門前にある茶屋という設定。鬼次郎・お京の二人が御所見物に紛れて接近してくる)、「大蔵館奥殿(おくでん)の場」(御所の周辺には多くの公家屋敷があるが、大蔵館もその一つ。奥殿は大蔵卿や、今はその妻になっている常盤御前が居住しているプライベートゾーンという設定。鬼次郎が大蔵館に先に潜り込んだお京の手引きで忍び込んできた)という構成で上演される。

5年前、12年12月国立劇場で、歌舞伎「鬼一法眼三略巻」のいわば、半通し狂言(序幕「六波羅清盛館の場」、二幕目「今出川鬼一法眼館菊畑の場」、三幕目「檜垣茶屋の場」、大詰「大蔵館奥殿の場」)として観たことがあるが、おもしろかった。「清盛館」を「序幕」として上演したが、これは43年ぶりの上演だった。「二幕目」の、通称「菊畑」も、独立して上演されることが多い。本来、人形浄瑠璃の「四段目」、通称「一條大蔵譚」は、吉岡鬼次郎の物語なのだが、主人公の鬼次郎と芝居の脇の人物・大蔵卿が、キャラクターのおもしろさ故に、主と脇が、「逆転」してしまい、現在上演されるような大蔵卿を軸とする演出が定着してきた。特に一條大蔵卿役を得意とした初代吉右衛門の功績が大きい。それを二代目吉右衛門が、自家薬籠中として熟成している。さらに、その娘婿の菊之助が、これを継承しようとしている。

「一條大蔵譚〜檜垣、奥殿〜」を観るのは、今回で13回目。私が観た大蔵卿は、吉右衛門(6)、猿之助、勘三郎、菊五郎、染五郎。歌昇時代の又五郎、仁左衛門、そして今回は、初役の菊之助。常盤御前は、魁春(3)、芝翫(2)、時蔵(2)、鴈治郎時代の藤十郎、先代の雀右衛門、福助、芝雀時代の雀右衛門、米吉、そして今回は、梅枝。鬼次郎は、梅玉(5)、菊之助(2)、歌六、仁左衛門、團十郎、松緑、松也、そして今回は、彦三郎。鬼次郎女房・お京は、松江時代を含む魁春(2)、宗十郎、時蔵、玉三郎、菊之助、東蔵、壱太郎、芝雀時代の雀右衛門、児太郎、孝太郎、梅枝、そして今回は、尾上右近。

これで判るように、大蔵卿は、吉右衛門、鬼次郎は、梅玉というイメージが、私には強い。吉右衛門(一條大蔵卿)と梅玉(鬼次郎)を軸としている時代が続いた。ふたりのキャラクターが、充分生かされて、見慣れた演目は、馴染みの役者の滋味で、「ことことと」煮込まれている。「鍋料理」のような演目だ。

11ヶ月前の16年9月の歌舞伎座では、吉右衛門が大蔵卿を演じた。その時の劇評に私は、次のような見出しをつけた。「吉右衛門の珠玉の藝、絶品の大蔵卿」。そして、その時、菊之助は、脇の鬼次郎を演じたが、その時の劇評で私は菊之助のことに触れている。以下、再録。

「菊之助は吉右衛門の娘婿になってから音羽屋型ではない演目や立役にも積極的に挑戦している。今回は、鬼次郎2回目。義父の藝を舞台間近で見続け、いずれは大蔵卿にも挑戦する日が来ることだろう。吉右衛門の大蔵卿は、上演ごとに進化している。菊之助が将来、どういう大蔵卿を見せてくれるか、楽しみである」と書いた。

そのチャンスが、早くも今回である。菊之助は、鬼次郎女房・お京を1回演じ、鬼次郎を2回演じた上で、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室で、初役の一條大蔵卿に挑戦したのが、今回の舞台である。私の印象では、菊之助のキャラクターと吉右衛門の藝の合体した一條大蔵卿の始まりではないか、と思った。新しい一條大蔵卿の誕生に立ち会えたという喜びがフツフツと湧き上がってきた。


菊之助のキャラクターと吉右衛門の藝の合体


菊之助の一條大蔵卿初役に合わせて、周りを固める脇役たちも若返った。大蔵卿の妻・常盤御前が梅枝、源氏方の鬼次郎が彦三郎、その妻・お京が尾上右近という配役。憎まれ役の八剣勘解由が菊市郎、その妻・鳴瀬が菊三呂。この二人は抜てきの配役。いつもより科白も多い。熱演。竹本も愛太夫を軸に若々しい。

初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、いつも巧い。公家としての気品、風格。常盤御前を妻に迎え、妻の源氏再興の真意を悟られないようにと能狂言にうつつを抜かし(純粋芸能派文化人か)阿呆な公家を装う。その滑稽さの味は、いまや第一人者。吉右衛門は、阿呆顔と真面目顔の切り替えにメリハリがある。阿呆面の下に隠していたするどい視線を時に送る場面も良ければ、目を細めて笑一色の阿呆面もまた良し。緩急自在。珠玉の藝の流域であり、絶品の舞台であった、と思う。いうこともなし。ひたすら、熟成の果てを楽しむ。

菊之助の大蔵卿は、指導を受けた吉右衛門に似ているが、さすがに熟成の吉右衛門の藝には及ばない。吉右衛門の藝とは違うが。その違いの中には、吉右衛門にはないフレッシュさがある。大蔵卿の愛嬌に加えて、菊之助のキャラクターの可愛らしさもあるのだ。

「阿呆」顔は、いわば、「韜晦」、真面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の血筋を引くゆえの源氏再興の「使命感」の表現であるから吉右衛門型の演出は正当だろう。当代の吉右衛門が金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換えるなど、阿呆と真面目の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現する。こうしなければならない大蔵卿は、さぞ難しかろう、と思う。しかし、それをいとも容易にこなしているように見える吉右衛門の藝は、長年の弛まざる努力の賜物であろう。菊之助は、今、その熟成の藝を見せる義父の後ろ姿を見ながら、長い旅に踏み出したと言えるだろう。

常盤御前を演じた梅枝についても書いておこう。奥殿の御簾が上がると、中には、常盤御前(梅枝)がいる。常磐御前も、清盛に敗れた源義朝の元愛妾で、義朝との間に授かった牛若(後の義経)らの母である。彼女も平家への復讐心という本心を胸底に秘めながら、平清盛の愛妾になった後、さらに、公家の大蔵卿と再婚している。この芝居でも、大蔵館奥殿で楊弓の遊びに興じているが、実は、これも韜晦。遊びの楊弓の的(黒地に金の的が3つ描かれている)の裏に隠された平清盛の絵姿で、真情(平家調伏の偽装行為)が判明する仕掛けになっている。常磐御前は、ほとんどが座ったまま。動きが少ないが、肚で芝居の進行に乗っていかなければならないので、大変だ。御前としての格と存在感を動かずに演じなければならない。

この役は、魁春でよく観たが、このところ、魁春は時々、六代目歌右衛門そっくりに見えることがある。今回は、若い梅枝が勤めた。九代目を襲名したばかりの彦三郎の鬼次郎、尾上右近のお京も存在感があった。今回の芝居で唯一の憎まれ役の勘解由を演じた菊市郎。「死んでも、褒美の金が欲しい」も、印象に残る科白。「死んでも、やはり、権力が欲しい」とは、歴史上の強者たちの実感なのだろう。
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