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2017年07月06日10:54

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540mmの雨量を克服は無理なのか?

 今朝から、朝倉市の様子などが映像でも流れている。
 JR久大本線の鉄橋が流されてしまうなど、人の手ではちょっと防災不可能と思われるような洪水なのだが、それでも最大限の手が打たれていたかどうかは検証の意味がある。

 そもそも、台風3号は発生から足が速く、九州に上陸。
 ただ、台風自体の雨量がとても多かったかと言えばそうでもない。
 6月・9月には日本付近には前線が停滞していることが多いから、前線の活動に台風から供給される雨雲が重なると大量の雨が降る。

 このパターンは事前に分かっているものの、実際の集中豪雨がどの地域に降り注ぐかまでは予報が難しいというのが現状だろう。現実には、昨日(7月5日)早朝に島根県に特別警報が発令されるが、「寝耳に水」と感じた人も多いのではないか?
 前日に台風が通り過ぎ、台風のあと前線が北に押し上げられていれば梅雨明けのような天候になることの方がありがちだからだ。だが、大陸から移動してきた高気圧が前線を押し下げて、ここに雲が流れ込んで島根県から始まった大雨は午後には南下して、広島県・岡山県へと移動していた。
 でも、甚大な被害はもっと西。九州で起こる。

 おそらく、6月後半、九州では南部でかなりの降水があったのに対して、北部ではそれほどでもなく、農業用水の確保など、今後の貯水の運用など難しい状況だったのではないかと思われる。
 このまま梅雨が明けてしまえば、ダムに十分な貯水がないまま夏を迎えてしまい、特に水田では運営が懸念されたかもしれない。
 これに対して、どのぐらいの貯水で臨むかは、台風3号襲来時では判断が難しかったかもしれない。これほど雨が降るのであるなら、台風襲来前にダムから十分に放水を行っておき、貯水に余力を持たせておくべきだったろう。そんな判断ができたとは到底思えないが、仮にダムに余力があったとしても、狭い地域に540mmもの雨が降っては望むべき効果は得られなかったかもしれない。



朝倉市にある寺内ダム
http://www.city.asakura.lg.jp/www/contents/1436507333828/index.html


夜明ダム
昭和28年に決壊事故を起こしているダム。九州電力が管理している。
その事例から分かるように、筑後川流域に降る降水が集中した時にダムの性能上限を超える可能性は指摘されなければならない。

このダムはJR久大本線の流された鉄橋からすぐ上流にある。
(↑ごめん、間違いでした。流された鉄橋はもっと上流の花月川の鉄橋でした。)
洪水を防ぐために作られたダムではないのだろうが、
十分に機能しなかったのだろうか?
社会的な検証が求められるところだと思われる。

発電用のダムであったとしても、24時間程度なら水量の調節を上手くやることで下流域の被害を軽減できる可能性はある。
今回の大雨に対して、

 事前の放流があったのかどうか?
 (今回のケースなら、台風3号の襲来前。7月2日(日)の時点で最大限水量を減らしておくという措置が適切だったかもしれない。)

 さらに上流にある「松原ダム」との連携があったのかどうか?
 松原ダムは6月27日14:00に点検が終了して、通常運転になっている。

ダムの弾力的運用に関しては、以下の国土交通省の資料が分かり易い。

http://www.qsr.mlit.go.jp/toukan/press/pdf/H280609.pdf#view=FitH
 
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■濁流、避難の車も浸水「怖かった」 九州で記録的豪雨
(朝日新聞デジタル - 07月05日 22:50)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4653965

 気象庁が特別警報を出した福岡、大分両県の各地では、午後から猛烈な雨が降り続け、多くの住民が避難。「怖かった」「命からがら逃げた」と緊迫した状況を語った。

 1時間に観測史上最高となる129・5ミリの雨を観測した福岡県朝倉市は、市内のあちこちで道路が冠水。田んぼと道路との区別がつかなくなり、あふれた雨水が濁流となっている場所もあった。

 同市の県立朝倉光陽高校には、多くの住民らが避難してきた。避難所にたどり着けずに、周囲より土地が高いこの高校に続々と住民らが集まったという。学校は会議室を開放。午後8時現在で50人以上が避難した。

 看護師の渋谷菜穂子さん(56)は夫の博之さん(63)とともに車で避難してきた。外出先から同県飯塚市の自宅に戻る途中の朝倉市内で道路が冠水し、車はライトのあたりまで水につかったという。「道路には冷蔵庫やドラム缶などいろんなものが流れていた。アクセルをめいっぱい踏んでも車は進まず、エンジンが止まってしまうのではと、とても怖かった」と振り返った。

 朝倉市の朝倉地域生涯学習センターには午後9時現在、60世帯114人が避難。家族や友人らに電話をかけ、無事を確認して目に涙を浮かべる人や、サイレンや雷の音がするたびに顔をあげて不安な表情を浮かべる人もいた。

 田中さとみさん(56)は、平屋建ての自宅で、家財道具をこたつの上にあげていると、水が床上まであっという間に上がってきたという。「命からがら逃げてきた。これまで生きてきて、こんな災害は初めて」と話した。

 大分県日田市大肥では大肥川が氾濫(はんらん)した。そこから数百メートル西の大鶴地区に住む穴井和則さん(69)は「家の前の道路がまるで川みたい。こんな大雨、生まれてから経験したことない」と話す。2012年7月の九州北部豪雨でも自宅前の道路は水浸しになった。しかし「水量と勢いが5年前の比じゃない」。避難指示が出たが、自宅から出ることができない状態だという。
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