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2017年07月02日15:10

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テレビを見れば。。。。part0167


 はーーーーーーーー(-_-;)、きっおも(ToT)。〔緊急連載〕現代日本・政治経済史まとめ・その5。今日はかつて、そしておそらくこれから始まる「壊れていく日本」のお話をします(-_-;)。前回、「戦争」が始まり「国民総動員」の「軍国主義国家」を創るためにコミュニスト(ロシア系ファシスト・共産主義者)共がその「戦争」をあおりに煽って「拡大」したってとこまでやった。今回はその「結果」何が起こったのかを語ります。繰り返すが


コミュニスト(ロシア系ファシスト・共産主義者)共は「戦争」をあおりに煽った(怒)。


証拠としてGRU工作員で朝日新聞記者の超極悪スパイ尾崎秀実の検察尋問調書(『現代史資料[第2]ゾルゲ事件』みすず書房)を上げて置く。読むと共産主義者のニュースピークというものがどんなものなのかが実によくわかる(黒笑)。


「戦争は平和」の「転倒語法」


をその「高知能」で存分に駆使したナチもゲロ吐く腐れ切った「戦争扇動プロパガンダ」を徹頭徹尾・批判的論理分析にかけてやりたい強烈な衝動に駆られるが(怒)今は辛抱だ。もうほんとうに時間がない(ToT)。話を先に進める(怒)。まず、恒例の年表を見てくれ


1923年 � �日英同盟失効。

同年    関東大震災発生。帝都が丸焼けになり10万人が死亡。

1924年 アメリカで排日移民法が成立。チャイナで第一次国共合作、孫文、国民党をソ連に売る。

1925年 �◆�日ソ基本条約締結、日ソ国交を樹立する。

1926年 大正天皇崩御、昭和改元。

1927年 ソ連主導による南京虐殺事変発生。中ソ断交する。

1928年 ソ連工作員が満州軍閥張作霖を爆殺。日本軍に罪を擦り付ける。

1929年 田中義一総理が「勅勘」を被り内閣総辞職、同年9月急死する。

   同年 ��、満州軍閥張学良が事件の報復としてチャイナ国民政府に投降易幟する。

   同年 ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落、世界恐慌始まる。

1930年 ロンドン軍縮条約締結。加藤寛治・犬養毅・鳩山一郎が統帥権「干犯捏造」事件を起こす。

   同年 濱口雄幸総理暗殺事件発生。

1931年 �ぁ∨�州事変、関東軍・朝鮮軍が独断で全満州を武力制圧。

1932年 第一次上海事変、日本軍居留民保護のためチャイナに出兵。

   同年 515事件発生、犬養毅が暗殺される。

   同年 �ァ�国際連盟リットン調査団が来満、日本擁護の報告書を提出。

1933年 �Α⊂床�洋右・斎藤実が国際連盟を脱退、日英協商関係断絶。

   同年 大角岑生海軍大臣による粛清人事により海軍「条約派」壊滅。

   同年 今上陛下ご生誕。

1934年 �А⇔Ψ馨覆�国家社会主義扇動パンフレット「国防の本義と其強化の提唱」を配布。

   同年 日本、「艦隊派」主導でワシントン海軍条約を破棄。

1935年 �─∪�府・国体明徴声明。「天皇主権説」を公的に採用し立憲主義を放棄する。

1936年 日本、「艦隊派」主導でロンドン海軍条約を脱退。海軍大軍拡時代に突入。

   同年 226事件発生、昭和天皇反乱軍鎮圧を命ず。

   同年 ��、広田弘毅・寺内寿一・永野修身が軍部大臣現役武官制を復興する。軍部が内閣に拒否権を獲得する。

1937年 文部省が皇国史観宣撫パンフレット「国体の本義」を配布。

   同年 ��、近衛文麿「独裁政権」成立。チャイナに軍事侵攻を命令し8年戦争勃発!

   同年 近衛文麿・米内光政が「暴支膺懲」を唱え上海へ進撃を命ず(第二次上海事変)。

   同年 チャイナ国民政府がで第二次国共合作に踏み切り、共産軍を国府軍に編入。

1938年 近衛文麿「国民政府を対手とせず」の声明をもって戦争継続を宣言。トラウトマン和平工作打ち切り。

   同年 ��、国民総動員令発令。昭和13年体制(ジャパン・ナチズム)成立。

   同年 翌々年の東京オリンピック開催を返上。

   同年 日本軍、武漢三鎮占領。何故か重慶攻略を放棄し持久戦に入る。

1939年 ��、ノモンハン事変。関東軍司令部の「裏切り・サボタージュ」により一師団半の兵力が壊滅。

   同年 ��、ドイツ軍、ポーランド侵攻。第二次世界大戦勃発!

   同年 日米両国が第二次世界大戦に不介入を宣言。

1940年 ドイツ軍、フランスに侵攻しパリ陥落。

   同年 ��、近衛文麿再組閣。大本営政府連絡会議にて南方侵攻を決定。

   同年 日独伊三国軍事同盟成立。

   同年 朝日新聞社・毎日新聞社の積極的協力で内閣情報局設立。情報統制始まる。

1941年 ��、日ソ中立条約締結。日本、大陸枢軸同盟に加盟。

   同年 ナチスドイツがソ連に侵攻。独ソ戦始まる。

   同年 近衛文麿、日本軍に南部仏印侵攻を命ず。

   同年 �亜�東条英機「独裁政権」真珠湾奇襲を命令。日米戦争始まる。

1942年 ドーリットル空襲。

   同年 �院▲潺奪疋ΕДい納舂牢和發�壊滅。たった半年で坂道転げ落ちるように負け始める。

1943年 ドイツ軍、スターリングラードで降伏。

   同年 日本軍、ガダルカナルから撤退。

   同年 国運賭けた戦時にだーーれも「志願」しないので東条英機がぶち切れて学徒出陣(苦笑)。

1944年 トラック島航空戦に大敗。中部太平洋の兵站基地が壊滅。

   同年 マリアナ沖海戦。日本海軍バルチック艦隊なみに大敗。

   同年 �押▲汽ぅ僖鶸挈遏J瞳垣簑亶駛廟�を突破。

   同年 近衛文麿、敗戦を隠蔽するために東条英機を引き摺り下ろし小磯國昭を首相に就ける。

   同年 �魁▲譽ぅ導だ錙�再び日本海軍バルチック艦隊なみに大敗。連合艦隊事実上壊滅。

1945年 フィリピン陥落。

   同年 硫黄島全滅(ToT)。

   同年 米軍沖縄上陸。

   同年 鈴木貫太郎が「終戦」内閣を組閣。

   同年 ベルリン陥落。ヒトラーが自殺しナチスドイツ降伏。

   同年 ソ連、日ソ中立条約を侵犯して満州・千島・樺太に全面侵攻。満州・シベリア大虐殺発生。

   同年 �粥�広島長崎に原爆投下。日本降伏。米軍に全土が軍事占領される(ToT)(ToT)(ToT)。
 

前回��までいった。そして、何が起こったのかをすぐ書きたいところだが、まずは前々回「税金乞食」共に怒りくるって話が逸れてしまった「元老制度」と「重臣制度」の異差及び「二法並立制」崩壊による「転倒政策」の成功について補足しておきたい。まず、先に「異差」について語ろう。「重臣制度」は立憲主義を守るために創設された「宮中」と「議会」の「調整機関」だが、


「元老制度」は「宮中」と「内閣」を取り結ぶ「実務機関」なのだ。


ここが大事、「重臣制度」は議会の、「元老制度」は内閣の「宮中」側カウンターパートとして創設された。先帝様は断固たる立憲主義者で議院内閣制の熱烈な支持者だったから「内閣≒議会」となる議院内閣制下では「重臣≒元老」として機能すると思し召された。だが大変残念なことにそうはならなかった(-_-;)。「重臣」たちは誰も議院内閣制と元老制度を両立させる「困難な任務」に立ち向かおうとはしなかった(怒)。唯一立ち向かおうとしたのは鈴木貫太郎提督ただ一人だけだったがその時はすでに原爆まで落とされて日本中焼け野原の滅亡寸前だった(ToT)。なんて結末だよ(ToT)。なぜそうなったのかを解明するためには、当時の「重臣」共の無責任を追及すると同時に元老制度の元となった老中制度の法学的な解析を行わなければならないのだが。なのに誰もやろうとはしない(怒)!なら俺がやる(怒)。元来、「法制通史概論」近世編で語るつもりだったがもう書くこともあるまい(-_-;)、ここで公表する。まずポイントは


「老中制度」は「統括組織」であるという事


をよく覚えておいてほしい。江戸期の「官僚制度」は左巻きの赤学者共が「庄屋仕立て」と馬鹿にするような「単純」なものではなく「極めて洗練」されたものだった。江戸幕府はその職制をまず「ゼネラリスト(統括官)」と「スペシャリスト(専門官)」とに分けた。その上で、「老中」を始めとする「統括組織」をその全ての「スペシャリスト(専門官)」の上に置いたのさ。「武士」と呼ばれた「官僚」たちは「ゼネラリスト(統括官)」と「スペシャリスト(専門官)」を相互に経験しながら職務に必要な「広い視野」と「己の専門とすべき特技」を持つことを求められた。なぜそうなったのか?話は江戸初期の幕府開設の時に遡る。


創設者・徳川家康は日本における「歴史法学」の祖


というべき人で、ありとあらゆる歴史的事例を調べて幕府の官制を定めていった。その中には当然、平安時代中期以降の律令官僚たちの悶絶するような凄まじい「腐敗」と「堕落」と「無責任」があった。権現様は「縦割り行政」の弊害について熟知していたわけだ(笑)。断続的に300年も続いた大乱世「戦国時代」を平定し「平和」を再建したばかりの家康公は「腐敗」官僚を見つけ次第一人残らず「ぶち殺し」てしまうつもりだった。また実際にそうした(黒笑)。ここでは仔細は省く。ま、凄まじいものだった。

 はーーーーー、また愚痴っちゃうけどさ(-_-;)。左巻きの赤学者どもの「デマ宣伝情報工作」の「しつこさ」と、それに決して対抗しようとしない日本の学者・官僚の絶望的な「卑怯」と「無責任」に心底!心底!心底!うんざりする(-_-;)。幾人かの「例外」はいるがそれ以外はマジ話で戦ってるの俺一人ジャン(ToT)!ほんと、この絶望的な「状況」だれかなんとかしてくれーーーー(ToT)(ToT)(ToT)。「幕臣・実務派のリーダー」は「バカ殿派の後継者(寛政の遺老)」「ただの無能(昼行灯)」にされちゃうし(-_-;)、「大獄(大弾圧)」は「改革」にされちゃうし(-_-;)、「坂本・勝・吉田」のような「心底のクズ野郎(怒)」が「スーパーヒーロー」扱いだし(-_-;)、あげくに日本が世界に誇るべき江戸期の「極めて洗練」された官僚機構が「庄屋仕立て」と「デタラメ個人商店」扱いだよ(怒)。


みんなそれで社会が「正常」に動くと本気で思ってる?


やつらの「デマ宣伝情報工作」は語句一つ一つ、文字一字一字にまで「浸透」した「極めて強力」なもので個人で「突破」するのはほぼ不可能な代物だ。それを無理を承知でこの2年間「脳みそに穴」が開きそうな「苦悩」をおして頑張って来たけどさ(-_-;)。はーーーーー、それも限界(怒)。スタッフ使ったチームで専業しても「十二分にキツイ」のに、バカなオタッキーが個人で兼業だもんね(-_-;)。作業内容はともかく絶望的に「スピード」が足りない(ToT)。ほんとうにもう時間がない(ToT)。戦国末期から明治初期にかけての「官僚制」分析とその法学的な解析は


今の「国難」の「諸原因」を解析するために必要不可欠な「絶対的スキル」


であることは明白なのに、誰もやろうとはしない(怒)。ひょっとして徳富蘇峰の「近世日本国民史」でたりてると本気で思ってる?だとすれば馬鹿すぎる(激怒)!徳富蘇峰が山県有朋系列の民族系史家であることを思い出せ!そんなもん「まとも」なわけないだろ(怒)!なのに民族系はもとより「擬似保守主義」者もあさっての方向むいてやがる(怒)。「歴史法学」を日本で語るの源頼朝も北条泰時も徳川家康も「オール・スルー」して、サボニー・グナイスト・モッセ・シュタイン・ロェスレル・ハミルトン・マディソン「のみ」を語ってる。それってさ(-_-;)、


「宜しくこれを古来の日本の歴史に徴し、これを現今の実況に照らし、かつ広くヨーロッパの学問に渉猟してこれを教授せざるべからず」(正統の憲法 バークの哲学163p)


というローレンツ・フォン・シュタイン・ウィーン大学教授の親切丁寧な助言の意味をまったく「理解」して「いない」ということにならないか?それが皇統廃絶クーデター始め今の「国難」の「諸原因」の解析を絶望的に困難にしているとは思わないのかよ?はーーーーー、ほんとうにもう時間がない(ToT)。一つだけみんなに「ヒント」を書いておこう。「時代劇」見たことあるか?主人公の「仕事」は必ず二種類に分類される。「戦闘」と「司法」だ。そしてこの二つのうちこれまた必ず「司法」が優先される。そうでなきゃ「ヤクザ」とかわらんからな、当たり前。


つまり、「サムライ」とは本質的に「司法官」なのさ(-_-;)。


これには論証すべき多くの論点があるのだが膨大すぎるので今日は割愛する。日本における法制の研究は「官制」の「職制」分類による「官僚制」分析と、国民法(コモンロー)の条文・判例の法学的な解析を同時並列的に進めるしか方法がない(-_-;)。決して「ヨーロッパ公法」の「カンニング」で何とかなる代物ではない。だから「日本法制通史概論」を書こうとおもった(-_-;)。それ無しでは日本社会は必ず「全体主義(ファシズム)化」していくと「確信」していたからだ。だが、もうタイムアップだ。俺は間に合わなかった(ToT)。「仕事」を継ぐやつも継げるやつもどこにもいない(ToT)。ふーーーーーウツがとれん(ToT)。話を元に戻す。

開幕以降。江戸幕府の「官僚制度」は「先任者」の「互選」による「老中制度」という「ゼネラリスト(統括官)」が、「藩」という名の「地方自治体」と、「奉行(執行官)」「代官(代行官)」という名の「スペシャリスト(専門官)」を統合する形で運用されてきた。成立の年限は初期の秀忠公の治世の1620年代だろう。繰り返すがこれは「極めて洗練」された「制度」だったのでいくつかの「マイナー・チェンジ」をへてほぼ変更無しで「幕末」間で続いた。その次の話はまた次回語ろう。とほほ。



おまけにみくしー検索かけてみました。


「国難」

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