mixiユーザー(id:24845727)

2017年06月26日01:34

157 view

治療者として最も大事な所は・・・

治療者として最も大事な所は
本当に治せる実力があるかどうかなのです。
今の私はどんな痛みの人の
どこの部位の痛みでも
ほぼ3回の施術で完治させています。
私の言う完治は身体のどこにも痛いところがない状態を指します。
完治に至るのはほぼ100%に近いのです。
こんな私から見たら
オステオパシーも カイロプラクティックも
治療成功率があまりにも低すぎます。
たまに当って良くなることがあるという程度の成功率だと認識しています。
私はオステオパシーも カイロプラクティックも 少しも学んだことがありませんし
これからも学ぶことがないと思います。
学ぶに値しないからです。
昨日ネットで理論の要点を読んでみましたが
どうしても私にはうさん臭いあいまいな所が 気にかかります
治療結果の判断方法があいまいで
あまりにも主観的過ぎるように思います・・・
そして人間の持つ自然治癒力に大きな期待をかけている点です・・
こういう療法にはまってしまった人は
本質部分の虚構を見抜けずに
騙されてしまった人だと私は考えています。
それは
私が キリスト教 ユダヤ教 イスラム教 の
宗教の根幹となる 本質部分を 信じることができないのとよく似ています・・・
オステオパシー も カイロプラクティックも
ボイタ法 や ボバース法 に似た
一定の宗教の宗派みたいな感じがします・・・
これらと比べたら私らが近中で学んだAKAの方が
まだ現実的でましだと思われます・・・
私は近中3年生の3期目の実習で8週間
当時博田節夫先生のおられた国立大阪南病院で
お世話になりました・・
その時期は あの AKA の本が 出来る 制作中の現場でした
あれらの写真が撮られている現場に私も居たのです・・・
卒業後も就職してから 研修として
1年目 3年目 5年目 と 博田先生の診察室に 週一回ほど行かせてもらっていたし
これこそ今私が習得しなければいけない技術だと思っていました。
博田先生という人は
バリバリの土佐の いごっそ なのだと 私は 思っている・・
土佐の いごっそ というのは 本質的に むちゃくちゃ賢くて
変人なのだと思う・・
でも一本筋が通っている・・・
典型的 土佐の いごっその 代表が
我が国の 植物学の父 といわれる 牧野富太郎博士 ではないだろうか・・・
博田先生は 自分が 自分の臨床に 向かわれる姿を 全て 余すことなく
そのまま 20代の 私に 見せてくださっていた・・・
その時 私は とても重要なカギに気づいた・・・
それは 診療録の 取り方 サ〜
阪大卒で アメリカで働いていたこともある先生の記録はすべて英語で書かれていた・・・
ワシはそれをそっくり真似て 日本語と英語で書いているのサ〜
実は ここが 大きな ミソ なのさ〜
ここが 自分の治療体系を 作り出せる人と そうでない人の 区切りとなるんじゃよ・・
そしてワシは師の教えを全部柔らかく吸収した・・
多くのことで言えるのだが
ここが学びの重要な所で
師のいうことを全部吸収するのじゃ
これに異を唱える奴はその時点でその後伸びないのじゃよ・・
その事例は あなたにも 経験があるはずじゃよ・・
その後ワシはAKAの使い手として臨床に臨み
師の教える運動療法とともに
数々の臨床効果を上げていったと思う・・
でもそれはあきらかなになることもなかったサ・・
その後ワシはある老健という職場で 職場を解雇されるという憂き目に遭うのだが
それを契機に 自分で 自分の 仕事を持つことを 決意したんじゃ・・・
AKA セラピストとしては 師匠直伝の かなりの腕をもっているという
自信も在ったんじゃ・・・
で痛みに困った人の治療をやっていると
AKAでは解決できない数々のことに出会ったんじゃ
それには己の全力を尽くして解決してきたんじゃよ・・・
そういう日々を重ねていると
技術も 治療も 徐々に変化してきて
今では 私 独自だと言える 治療体系が 出来上がってしまったんじゃよ〜
AKAでは まだ 不完全なのじゃ
あの技術では まだ治せないところが いっぱいあるんじゃ〜
私は それをもっと 進化させて より優れた 技術をつくりあげたんじゃよ〜
今ではAKAは わしの足元にも及ばないと思っている・・・
あれは痛みを完治させる技術に至っていないんじゃよ・・
そこは師匠が一番よく分かっているはずじゃ・・・
そういうわけで ワシは  
オステオパシー とか カイロプラクティックとか AKAとかを すでに 凌駕してしまった
ひとつの治療体系を作り上げた 教祖さま なんじゃよ・・・
その教祖さまの 実力を 知らずして オステオパシーを勧めてしまった
己の無智を 恥じるがよかろう・・・
今の あなたは 治療というものが わかっていない いかれポンチサ〜
オステオパシーでは 痛みのすべてを 治せるわけがない・・
治療所を開けば 本当に痛みに悩むどうしようもない人が来られるのじゃよ
それに 対処できない己ならば 治療者の苦悩を味わうことになるんじゃよ
本当に治療者として生きるとしたなら
人の痛みという苦しみに いつも向き合い続けないといけない
そういう苦しみの道に己を浸す覚悟がいるのだと私は思います・・
痛みの治療者として生きるとしたなら
いまの30倍もの苦しい世界を生きることになると
私は思います・・・
その覚悟があるならば
私はその道をえらぶことに反対をする気持ちは在りません
人生は一回限りですから・・・
もう子育ても終わって
ランニングコストもさほど要りませんでしょうから・・・
この際一期に断捨離して
なんでも捨ててしまったらよろしいと思います
子どもの道具も
妻の道具も 一切要らないはずです
一切捨ててしまえばよいと思います。
そして離婚もお勧めします・・・
治療者として暮らすことは
一宗教者として暮らすことと似ている点があるのです・・・
治療者の根本は・・・
どういうわけか・・
宮沢賢治の 「アメニモマケズ・・・」 
アレです・・・
3 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する