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2017年06月18日14:56

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6月歌舞伎座(夜)「五郎蔵」鮮やかな歌舞伎の様式美 

17年6月歌舞伎座(夜/「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」「曽我綉俠御所染〜御所五郎蔵〜」「一本刀土俵入」)


「五郎蔵」・鮮やかな歌舞伎の様式美


昼の部劇評でも冒頭に触れたように、今月の歌舞伎座は、初役で演じる役者が多いが、夜の部の「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」では、藤三郎の女房・おくる(門之助)、三浦之助(松也)が初役である。ふたりを除く今回の主な配役は、幸四郎が、安達藤三郎、実は京方の佐々木高綱、雀右衛門が鎌倉(北条)方の時姫、秀太郎が京方の三浦之助の母・長門。以下は、鎌倉方の諜報部員で吉弥が阿波の局、宗之助が讃岐の局、桂三が諜報グループのキャップ・富田六郎ということで、それぞれ馴染みの役を演じている。

「鎌倉三代記」は、父をも殺す覚悟の積極的な時姫の官能性が見どころ。「鎌倉三代記」の登場人物は、歴史上の人物をモデルにしている。佐々木高綱は真田幸村、時姫は千姫、三浦之助は木村重成、北條時政は徳川家康。内容が余りに史実に近すぎたので、徳川幕府によって、上演禁止にされたという曰く付きの演目。時代ものの中でも、特に時代色の強い演目だ。絹川村閑居の場の主人公は、時姫。三浦之助の女房を自認し、三浦之助の留守中に、病気療養中の三浦之助の母・長門の看護と称して長門が閑居する絹川村に入り込んでいる。そのため、時姫救出(奪還)を目指して、時姫の父親・北條時政からの指示で、鎌倉方の諜報部員が多数入り込んできている。絹川村は、時姫争奪をめぐって、いわば、双方のスパイの最前線のようになっている。

「鎌倉三代記」を私が観るのは、7回目。私が観た時姫は、芝雀の父親・四代目雀右衛門(3)、五代目雀右衛門(今回含め、2)、福助、魁春。時姫は、歌舞伎の「3姫」のひとつと呼ばれた名作。因みに六代目歌右衛門は、本興行で6回演じた。四代目雀右衛門は、友右衛門時代も含めて8回演じている。

「絹川村閑居」の場面では、時姫は姫なのに手拭いを姉さん被りにし、行燈を持って奥から出てくる。時姫の難しさは、「赤姫」という赤い衣装に身を包んだ典型的な姫君でありながら、世話型のそれも、情愛溢れる押し掛け女房とを形で二重写しにしなければならない。

京方の夫・三浦之助(豊臣方の木村重成)に言われて時姫(千姫)に父親・北条時政(徳川家康)への謀反を決意させるという筋書の物語。押し掛け女房の時姫は、夫・三浦之助と父親・北条時政との板挟みになり、苦しみながらも、夫への情愛が強く、父親殺しを決意する。この性根の難しさを言葉ではなく、四代目雀右衛門のように形で見せるのが難しいので、「三姫」という姫の難役のひとつと数えられて来た由縁である。

三浦之助(松也)は、病気療養中の母・長門(秀太郎)を心配して戦場から戻って来たのだが、母からは、「敵前逃亡」とばかりに拒絶される。実は、三浦之助も、母見舞いを口実にしながら、押し掛け女房・時姫に敵方の首領である父親・北条時政を討つことを決意させるために戻って来たという難しい役。

戦場で傷ついたまま帰還し、木戸の外で気を失ってしまう三浦之助。その三浦之助を介抱するために気付けの水を口移しに夫に飲ませる、という当時なら果敢としか言いようのない蛮勇を奮う時姫(雀右衛門)。この果敢な所作が後の父親殺しを決意するほどの夫への情愛へと結びついているのだと思う。この情愛の迸りは、官能的である。父をも殺す覚悟の積極的な時姫の官能性に私は注目する。

幸四郎が演じた安達藤三郎は、実は京方の佐々木高綱で、高綱にそっくりなことから起用された。幸四郎は、前半は藤三郎を演じ、後半は、み顕した高綱を演じる。この対比も見どころ。松也の三浦之助は、口跡も良く、姿も凛々しく、なかなか良い若武者姿で、印象に残る。


「曽我綉侠御所染」の魅力


仁左衛門の「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)〜御所五郎蔵〜」は、今月の歌舞伎座では、いちばん見応えがあった。「御所五郎蔵」という芝居そのものは、武士をやめて伊達者になった五郎蔵という男が、金の工面で縁切りを偽装した愛人の傾城・皐月の真意を悟らず、愛人殺しと三角関係と思い込んだ相手方の土右衛門に復讐をしようとして、誤った殺人事件を引き起こし、自滅してゆくというだけの話。それが、序幕の両花道を使った五郎蔵と土右衛門の出会い・鞘当てから、二幕目の縁切り、廻り舞台で場面転換した後の艶冶な殺し場へと歌舞伎の様式美をふんだんに盛り込んだ演出に加えて主役の仁左衛門の口跡、所作などを含めて見応えがある。

「御所五郎蔵」は、私は10回目の拝見。私が観た五郎蔵は、菊五郎(4)、仁左衛門(今回含め、3)、團十郎、 梅玉、染五郎。今回の主な配役は、御所五郎蔵が仁左衛門、傾城・皐月が雀右衛門、星影土右衛門が左團次、甲屋与五郎が歌六、傾城・逢州が米吉、五郎蔵の子分たちが、男女蔵、歌昇、巳之助、種之助、吉之丞、存在感のある脇役の花形屋吾助の松之助ほか。このうち、主な初役は、甲屋与五郎(歌六)、傾城・逢州(米吉)で、播磨屋の親子たち。

「曽我綉侠御所染」は、幕末期の異能役者・市川小團次のために、河竹黙阿弥が書いた六幕物の時代世話狂言。動く錦絵(無惨絵)ということで、絵になる舞台を意識した演出が洗練されている。役者のキャラクター(にん)で見せる芝居である。

今回の「御所五郎蔵」の場構成は次の通り。序幕「五條坂仲之町甲屋の場」、通称「出会い」。二幕目第一場「五條坂甲屋奥座敷の場」、通称「縁切、愛想づかし」。第二場「五條坂廓内夜更けの場」、通称「逢州殺し」。この三場は、良く上演される。

序幕「五條坂仲之町甲屋の場」は、まず、按摩のひょろ市、台屋佐郎八とトラブルの場面から始まった。甲屋の若い者喜助の留め男の場面は、後に出て来る本番のパロディだろう。本番は、また、「鞘当」という狂言のパロディ。ということで、二重に遊んでいるのが愉しい。対立するグループの出会いの場面だ。
今回は久しぶりの両花道の使用で、なかなか、良かった。

黒(星影土右衛門=左團次)と白(御所五郎蔵=仁左衛門)の衣装の対照。ツラネ、渡り科白など、いつもの演出で、科白廻しの妙。洗練された舞台の魅力。颯爽とした男伊達・五郎蔵一派。剣術指南で多くの門弟を抱え、懐も裕福な星影土右衛門一派。五郎蔵女房の傾城・皐月に廓でも、横恋慕しながら、かつてはなかった金の力で、今回は、何とかしようという下心のある土右衛門とそれに対抗する元武士のプライドを持つ五郎蔵。そこへ、割って入ったのが、五條坂の「留め男」の甲屋与五郎(歌六)の登場という歌舞伎定式の芝居。様式美と配役の妙のみで魅せる芝居。

二幕目第一場「甲屋奥座敷の場」。俗悪な、金と情慾の世界。皐月を挟んで金の力を誇示する土右衛門(左團次)と金も無く、工夫も無く、意地だけが強い五郎蔵(仁左衛門)の対立。歌舞伎に良く描かれる「縁切り」の場面。五郎蔵女房と傾城という二重性のなかで、心を偽り、「愛想づかし」で、金になびいてみせ、苦しい状況のなかで、とりあえず、二百両という金を確保しようとする健気な傾城皐月(雀右衛門)。実務もだめ、危機管理もできない、ただただ、プライドが高く意地を張るだけという駄目男・五郎蔵、剣術指南の経営者として成功している金の信奉者・土右衛門という三者三様は、歌舞伎や人形浄瑠璃で良く見かける場面。馴染みの役者の見慣れた場面。ここも、判っていても、また、観てしまうという歌舞伎の様式美の魔力。

「晦日に月が出る廓(さと)も、闇があるから覚えていろ」。花道七三で啖呵ばかりが勇ましい御所五郎蔵が退場すると、奥座敷の皐月を乗せたまま、大道具が廻る。

二幕目第二場「廓内夜更けの場」。傾城皐月の助っ人を名乗り出る傾城逢州(米吉)が、実は、人違いで(癪を起こしたという皐月の身替わりになって、皐月の打掛を着たばっかりに)五郎蔵に殺されてしまう。駄目男とはいえ、五郎蔵の、怒りに燃えた男の表情が、見物(みもの)という辺りが、この演目のいつもの見どころ。口跡といい、所作といい、艶冶な殺し場が出現をし、仁左衛門の男の色気が魅力的な見せ場だ。

皐月の紋の入った箱提灯を持たせ、自らも皐月の打ち掛けを羽織った逢州と土右衛門の一行に物陰から飛び出して斬り付ける五郎蔵。妖術を使って逃げ延びる土右衛門と敢え無く殺される逢州。逢州が、懐から飛ばす懐紙の束から崩れ散る紙々。皐月の打ち掛けを挟んでの逢州と五郎蔵の絵画的で、「だんまり」のような静かな立ち回り。濡れ場と見まごう艶冶な殺し場。官能的なまでの生と死が交錯する。特に、死を美化する華麗な様式美の演出も、いつもの通り。

馴染みのある演目を贔屓の役者たちが、改めて、なぞり返す。手垢にまみれて見えるか、磨き抜かれて、光って見えるか。その結果は、役者次第という、演ずる者には怖い場面だろう。先達の藝を継承し、未来に残して行く。燻し銀のごとく、鈍く光る歌舞伎のおもしろさは、同じ演目が、役者が変われば、いつも、違った顔を見せるということだ。


「一本刀土俵入」の大道具


「一本刀土俵入」は、今回で7回目の拝見。「一本刀土俵入」は、1931(昭和6)年、東京劇場初演の新歌舞伎。六代目菊五郎が駒形茂兵衛、五代目福助がお蔦を演じた。私が観た駒形茂兵衛は、幸四郎(今回含めて、4)、吉右衛門、先代の猿之助、勘九郎時代の勘三郎。お蔦は、芝翫(2)、先代の雀右衛門、時蔵、福助、魁春、今回は猿之助。猿之助は、2回目の出演という。勘九郎時代の勘三郎の茂兵衛が私には印象に残るが、最近は、幸四郎の茂兵衛にも馴染んできた。

今回の主な配役は、幸四郎が茂兵衛、猿之助がお蔦、松緑がお蔦の夫で、船印彫師(だしぼりし)・辰三郎、歌六がやくざの親分・儀十、松也がその子分・根吉。ほかに巳之助、猿弥、笑三郎、市川右近、寿猿、錦吾、桂三、由次郎など。「一本刀土俵入」での初役は、辰三郎を演じる松緑、根吉を演じる松也。

この芝居は、いつ観ても、仕出しの登場人物たちの多様さが描き出す江戸の庶民の、いわば、「生活のリアリティ」を味わうことが楽しみだと、思っている。まるで、江戸時代へタイムスリップし、街道の賑わいになかに身を置くような、ワクワク感に包まれるからだ。

序幕の第一場「取手の宿」、第二場「利根の渡し」の場面に登場する人物たちをアトランダムに列挙してみよう。町人の夫婦、やくざ者、遊人、宿の従業員(帳附け、料理人、洗い場の若い者、酌婦)、土地の人(宿場町の在の人たち)、村の庄屋、隠居、職人、飛脚、博労、飴屋、旅商人と手代、新内語りの男女、六部、子守娘、渡しの船頭、比丘尼、釣師、鰻掻き、取的、角兵衛獅子と親方。角兵衛獅子は、藝を披露してくれる。親方は、太鼓の音を聞かせてくれるが、江戸の音も、もっと、聞いてみたい気がする。第一場に登場する安孫子屋酌婦・お松を演じる小山三は、酔っぱらった声に独特の味があって好演だった。15年1月、歌舞伎座の舞台を観たが、この年の4月に94歳で逝去した。亡くなる1年前の14年3月、帝国ホテルで開かれたある賞の受賞パーティでご一緒した際、話をしたことがある。地の話し方は女性ぽい口調で、優しい話し方をされる人だった。気遣いの人だった、と感じた。十八代目勘三郎の生涯の乳人のような存在だったのだろう。私は小山三の最期の舞台を観たことになる。今回、この役は、笑三郎が演じていたが、群像劇の中で、キラリと光った小山三の存在感を身につけるには、まだまだ、時間が必要だろう。

上州勢多郡駒形村の農民出身の茂兵衛に対する、越中富山から「南へ六里、山の中さ」と言い、声を低めて唄い出した小原節から「風の盆」で知られる八尾(やつお)の出身と判るお蔦。お互いに旅の空ですれ違う男女の出逢いの遣る瀬無さ。

舞台(特に大道具)の工夫も、また、ウオッチングの愉しみである。取手宿の安孫子屋の漆喰の戸袋。いまも、古い街道筋の面影の残る旧家などに残っているのを見かけるレリーフの漆喰の文様(上手側が朝日、下手側が鶴)。宿の裏手の釣瓶井戸で、空腹の駒形茂兵衛が、水を所望し、釣瓶を使う場面がある。鶴瓶は長い棒の片方に石が縄で結い付けてある。もう片方は、縄で桶を井戸の中に垂らし、水が汲めるようにしてある。これがなんとも長閑な秋の田舎の宿場町の雰囲気を盛り上げる。

利根の渡しの場面では、土手の向うにある船の姿が見えないのも良い。船の見えない船着き場という大道具は、余韻を感じさせる。江戸方面に通じる向こう岸は舞台の上手側か。逆に、大詰第一場「布施の川べり」の場面では、舞台上手半分を湿る造船中の船が、作業場の空間密度を高める。

大道具の秀逸は、お蔦の家を廻り舞台で裏表を見せて、軒の大きな山桜を印象的に出現させるという演出だ。大詰第三場「軒の山桜」。自然と人為との対比。秋の宿場町。安孫子屋での茂兵衛とお蔦の出会いから10年の歳月が流れた。春の一軒家。洗練された大道具の楽しみも、歌舞伎の魅力のひとつ。こういう洗練された大道具を背景に横綱を諦めて博徒になった茂兵衛の決め科白も生かされる。「しがない横綱の土俵入りでござんす」。立ちすくむ茂兵衛に新歌舞伎らしく緞帳が降りて来る。途中の場の切り替えには、定式幕を使っていた。

この芝居のテーマは、「送り、送られ」の二重奏。序幕では、無一文の取的・駒形茂兵衛(幸四郎)が、酌婦のお蔦(猿之助)に情を掛けられ、江戸への道を、何度も後ろを振り返りながら行く。安孫子屋の2階から見送るお蔦。大詰では、いかさま博打に手をだし、やくざ者に追われる「船印彫師(だしぼりし)」の辰三郎(松緑)と家族のお蔦と娘のお君(市川右近)を送り出すのは、駒形茂兵衛だ。送られる者と送る者の逆転は、人生そのもの。それは、極端に言えば、「死なれて、死なせて」という生き死にの、送り、送られという人生を象徴しているように見える。
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