mixiユーザー(id:14438782)

2017年06月13日07:25

167 view

『ボス村松の竜退治』

 先週は新宿でお笑いのライブ、今週は江古田で観劇、来週は弥生・古墳時代の銅鏡の使われ方に関する考古学講座を聴講の予定と、どれも遊びだろと言われればその通りだけど、なにげに今月は週末の予定がつまっています。

 さて、その観劇は兎亭で『ボス村松の竜退治』。兎亭はバブルムラマツの『戦場の意気地なし』以来。前回の教訓を踏まえ、経路の複雑な新江古田駅からのルートではなく、遠回りになっても江古田駅から歩きました。
 兎亭はレンタルイベントスペース+カフェです。劇場としては、最も狭い劇場よりさらに狭いぐらいじゃないかと思います。海外の小説で子どもたちがガレージに集まって、おとぎ話や昨日のドラマを再現したりしてますけど、広さだけでいえば、ほとんどそんな感じではないでしょうか。

 バブルムラマツでなくて、ボス村松としては以前にここで『戦場の意気地なし』の後に『ミハエルとアイルトンとチュウカドン』を上演しています。公演日が平日だけだったので、私は観ることができませんでしたが、独特の上演形式をとっていて、今回もそのやり方を踏まえているみたいです。

 入場しようとしてまず最初に驚くのが、今日の芝居の作演出にして主演の人が、受付もやっているのでした。一人芝居でもないのに。

 チケット代は破格の千円。座席はゆったりしていて、ピコピコハンマーの置かれた小さなテーブルとセットになっていす。お芝居が盛り上がったり、役者が台詞を噛んだ場合は、このハンマーをピコピコ鳴らしてもいいそうです。しかし、ためにもとから狭いところなのに席がたったの25しかなく、完売しても総売り上げは2万5千円という、他人事ながら心配になりそうな設定なのでした。

 もっとも、そこを補う方策がとられていないわけではなく、このお芝居、観劇中の飲食が自由なのです。現に私が席についた時にはお客でもなさそうな人が日本酒を飲んでいて、準備を終わらせたスタッフの人かなと思っていたら、劇が始まるとその人はそのまま舞台に上がって演技をしていたので驚きました。

 私はまずストレートのウィスキーをちびちび舐めながらミックスナッツをかじり、後半は幕間の休憩で追加したコーヒーにウィスキーを注いでのどを潤しつつ観劇でした。
 お昼の12時開演の回だってのに飲みすぎって話なんですが、そうゆうことをやってはみたいと思っていた折、せっかくの機会だったのでお大尽に振る舞ってみました。悪くなかったです。

 劇場ではないので、舞台袖なんてものはありません。当然、楽屋もありません。『戦場の意気地なし』では奥に衝立を置いて、その向こう側へ俳優がはけていましたが、このお芝居では舞台上の椅子の座った役者が、楽屋よろしく駄弁っていました。
 より正確には、DJとして曲を選んでかけたり、お便りを読み上げてそれにまつわるトークを交したり(でも、お便りってのがそもそも身内からのものしかないはず)、コントなんかもやっているのですけど、でも、あくまで緩い感じで話し合っていたし、それは意図的なものではなかったかと思います。

 そして、いよいよ開演となりましたが、別に幕もないので「始まります」と言って始まっていたような気がします。

 お話の舞台はルネッサンス期のイタリア半島、ナポリ王国。遍歴の騎士カキウチ卿がお姫様のために竜退治に乗り出します。お供の馬はもともと人間でしたが、呪いをかけられて今の姿にされており、夜の間だけ人に戻ることができるのですが、この二人の掛け合いがなんとなく驚安の殿堂でない方のドン・キホーテとサンチョ・パンサを彷彿とさせます。って、よく考えてみるとドン・キホーテをちゃんと読んだことはないですけど。
 そして、この馬役の俳優さんは音響も兼ねているので、ちょこちょこ舞台の隅へ引っ込んではなにか機械を操作して、効果音を鳴らしたりしています。BGMをかけたまま出てきて他の登場人物と話そうとするも曲にさえぎられてうまくいかず、「切ってきます」と戻ってオフにしてから演技を再開するなんて演出もありました。

 カキウチ卿に対する竜は、ムラムラ・ラジコン・マキャベリの君主論・罪という4つの首を有しており、そしてこれらの首の最初の音を並べるあいうえお作文では見事ムラマツになるという、どこらへんがイタリアなのかよくわからない奇妙な設定になっているのでした。
 しかも、この4つの首、それぞれまったく脈絡がないのですが、思うにこれはわざとまるで関係のない4つの事項を首に割り当て、それこそ三題噺のごとくすべてがつながるように、このお話のストーリーの骨格を作っていったのではないでしょうか。
 そして、いよいよ戦いの火蓋が切って落とされるのですが、いずれかの首を落としても他の首が力を増して手強くなり、手こずっているうちに落とされた首も再生してくるので、なかなか倒せません(再生によって他の首の力がどうなるかは劇中で説明されませんでしたが、元の強さに戻るのだと思われます。そうでないと強くなる一方なので)。
 一方のカキウチ卿も無垢な姫の祝福のキスを受けているため竜に倒されることもなく、状況としてはお互い完全に手詰まりなのですが、どちらもあまり頭がよくないのでそれに気づかず延々と戦いをくり広げています。
 ちなみに、竜のどの首が力を増しているかが、周囲の人間にも影響を及ぼすため、ムラムラの首だけ残っている時は登場人物たちはみなムラムラしているし、マキャベリの首の時にはやたら権謀術数をめぐらせるし、罪の首では自分の罪深さを妙に悔い改めようとします。これがけっこう、物語の展開に影響を及ぼしていきます。

 この導入部の説明だけだと、オフビートなファンタジー系のコメディ、それこそ東テレ深夜の勇者ヨシヒコのシリーズを思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。
 実際、序盤はこんな感じでSMAPの分裂ネタなんかもがっつり組み込んであるし、前述の通り舞台はとても小さく、役者は総勢で9人、しかも、そのうちの4人は上記の竜のそれぞれの首、上演時間も休憩10分を挟んで1時間40分、実質1時間半です。
 このスペックだけだと肩の凝らないコメディの小品と思いそうになるのですが、なかなかどうしてふつうサイズのお芝居としても、かなり重い部類に入りそうなシリアスな展開をみせていきます。

 全般的な状況としては、ナポリとローマの間の紛争地帯をめぐる対立があり、さらにそこへ当時分裂状態だったイタリア半島へのフランスとスペインの介入という歴史的な動きもあり、姫の身はその激流にのみこまれ、翻弄されていきます。

 現実と回想、さらに妄想が交錯し、ときに境界も曖昧なままシームレスにつながっていくので、見ていて疲れるところもあるのですけど、語りの密度は相当に高く、上演時間に比してお話の分量はかなりのものとなっています。

 結局、姫は助かったのか。もちろん、ストーリーとしてはオチがつけてありますけど、あれだってかなり非現実のシーンっぽくはあり、そもそもこれってお話じゃんという、醒めつつ没入させるような語りのスタンスもあって、見終わった後の感触はどっちつかずでどこにも収まりきらないものとなっています。
 そして、この収まりきらない感じというのが、ボス村松作品のキモの一つといえるでしょう。そう書くと、企画を詰めきれないまま取りかかって脚本家が途中で匙を投げたテレビドラマにありがちな、ラストで収拾がつかずにぶん投げてしまったような結末を想像される向きもあるかもしれませんが、そういうのとはまた違うと思います。
 テレビドラマは存外に撮って出しの世界だったりしますが、観客をきちんと宙ぶらりんにするためには、それなりの仕込みと準備、それから、センスと技術も必要なはずです。

 もちろん、脚本はあってやることは決まっているのですけど、最終的には上演ごとにできていく雰囲気が大切というか、それを毎回、一から作っていく感じの芝居といえるかもしれません。作者が初回の前に、最初の上演が一番おもしろいんじゃないかとツィートしていましたが、たしかにそういうところはありそうです。
 そういう意味では演者に依存する部分も大きく、今回の9人の役者さんたちは小劇場の世界ではおそらくもうベテランに属する人たちばかりで、逆にいえばフレッシュさはあまりないのですけど、ベテランのベテランらしさを引き出す芝居ともいえるでしょう。

 なんかいろいろ書いてしまいましたが、こういう芝居の場合は書けば書くほど言葉のロジックに引きずられてずれていく感じもあり、説明はすごく難しいです。だから、演劇として上演しているのでしょうけれども。

4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年06月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 

最近の日記

もっと見る