mixiユーザー(id:10582100)

2017年05月29日15:50

174 view

一つの粽

粽は、台湾ではよく見られる食べ物です。
台湾人にとって粽は、普段はたまに食べる程度ですが、端午節では必ず食べます。もし端午節に粽を食べなければ、それはまるで春に桜を見ないような、夏にスイカを食べないような、中秋節に月を見ないような、そんな気持ちになるものです。

幼い頃、母や近隣のおばさんが一緒になって粽を包むのを毎年見たものでした。
昔はわかりませんでしたが、こうして年を重ねると、なぜみんな一緒に粽を作るのかがわかるものです。粽作りは、沢山の工程があってとても面倒なので、みんなで仕事を分担して協力し合います。

端午節になると、街の人たちが一緒になって、明け方からお昼までかけて粽を作ったものでした。みんな汗びっしょりですが、笑顔が絶えません。
漂ってくる粽の香りは、中国千年の故郷への望郷の念を思い起こさせ、それはきっと外国人にはなかなか理解できないかもしれません。

ですが、粽を売るとなると、まったく別問題です。
嘉義市に、大変繁盛している粽のお店があります。端午節の一ヶ月前に粽の予約をしても、そのころにはすでに端午節の粽は売り切れていて予約も受け付けていないほど、人気のお店です。
店主は、粽を売る商売を始めたばかりの頃、お店を持っておらず、屋台を引っ張って売り歩いていたのだそうです。
私はその店主と仲良くなり、話をするようになりました。
ある時私は一つの質問をしました。

「こんなにお店が繁盛しているけど、最初は一日に何個くらい売れたんですか?」

「何個って?」
店主はそう聞き返すと、続けて話しました。

「朝のまだ暗いうちから、夜遅くまで、屋台を引きながら嘉義市内を歩いたもんだ・・・最初の日は粽ひとつ売れただけだった」

「粽ひとつだけ?」

「そう、ひとつだけ!」

一日の売り上げが粽一つ、何の足しにもならないどころか、重い屋台を押しながら一日中売り歩いて、仕事を切り上げた頃には、おそらくその日の商売の記録を帳簿に記す気力さえもなかったことでしょう。
昔の時代の台湾人はこのように歯を食いしばって貧しさを耐え忍んできたのです。

今では雑誌やテレビでも取り上げられ、端午節には何万個もの粽の注文が舞い込みます。粽を買う人の行列も途絶えることがありません。
私はこの話を知ることができて感謝しました。どんなに高い建物も、最初は平地からです。この行列のできるお店も、「粽ひとつ」から始まったのです。

(愛的培養皿より)

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する