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2017年05月16日23:18

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テレビドラマ『サイタマノラッパー』猪苗代編

 伝説のラッパーに会うため訪れたお寺の坊主の態度が悪かったので、ラップでdisったらdisり返されてバトルになり、完敗を喫するという衝撃の導入で猪苗代編は始まります。そこまでは割と淡々とお話が進んできていたので、いきなりハイテンションな展開に度肝を抜かれました。

 そこはなんと伝説のラッパーが10年前に開山した、己を見つめ世界と向き合い言の葉に揺れる、世界で唯一のヒップホップ寺だったのです。一週間の修行に耐えたら曲を作ってもらえるという条件で入門した一行、作務衣を着せられ、重しをつけてヒップホップに即した独特のリズムで掃除をさせられます。
 "Put your hands up"を唱えながら天井のすす払いをさせられ、どうにか終わらせても、「ほこりが落ちていました」の一言でもう一度やり直し。さらに深夜、車のワックスがけをさせられ、ついに短気なMightyがキレて暴れ出してしまいました。


 音楽業界というところはとにかく足の早い場所で、なにか新しい動きが起こったと見るや同時にもう陳腐化が進行していきます。しょっちゅうリバイバルブームが起こってもいます。
 商業音楽についていえば、もう新しい曲なんてないのでしょう。新作としてリリースされているのは、常に過去の曲の焼き直しです。

 ヒップホップはそういう状況を踏まえて出てきたジャンルだと思います。ヒップホップ自体に新しいものはありません。新しさがあるとすれば、もう新しさはないということを受け入れたことなのでしょう。

 ですから、たまにヒップホップが耳に入ってきても、「これって大昔からずっとあったよなあ」と思うことがしばしばあります。海外から入ってきた新しい音楽とは思えなくて、すでに忘れ去られた過去の歌が甦ってきているような。


 入江悠監督は『サイタマノラッパー』の映画を3本撮り、今度はドラマを作っていますから、下手するとそこらのラッパーよりよほどヒップホップに関わっているように見えるのですが、このジャンルについてはどちらかといえば冷めた態度で対しているようです。
 なので、ジャンルの特権性に安住するような語り口がなく、私のような部外者にも楽しめるドラマになっています。

 なぜドラマのサブタイトルが、マイクの細道という奥の細道をもじったものなのかといえば、一つにはもちろん、東北が舞台になっているからでしょう。
 奥の細道は、松尾芭蕉が三十一文字の短詩形である短歌から、さらに十四文字も削った十七文字の俳句という文芸が成立するのか、東北の歌枕をめぐりながら検証していった旅路のドキュメンタリーだそうです。
 勘ぐりすぎかもしれないのですけど、マイクの細道というサブタイトルには、日本語ラップとはなにか、日本語でラップするということはどういうことなのか、そんな裏テーマが隠されているような気がします。

 だからこそ、遠野ではラップで河童の怒りを鎮めようとしたし、猪苗代ではお寺で修業をしているのではないか。たしかに密教の声明(しょうみょう)はラップっぽく聞こえることがあります。そういうことを思う人はそれなりにいたでしょうが、それをドラマにして見せられると、あらためて不思議な感じがします。

 日本語の生理に沿ったラップをしようと思うなら、それこそ謡曲や浄瑠璃や説経節や演歌、さらには落語や歌舞伎まで、あまり縁のなさそうなものから、どんどんラップっぽいものを抜き出してくる作業が必要なはずで、東北の中でも別に繁華ではない、どことなく偏りのあるところばかり彼らが旅しているのも、そういうことかなと思いながら見ています。

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