昨夜は弟子に単振り子を教えに行った。
既に学校では習っているものなのだが、まあ教科書も読んでいないのでできない現状。
「教科書一回ぐらい読んだ?」
と問うと
「いえ、読んでいません」
「一度も読まないものを理解できるような、神がかり的な能力があるのなら、私もあやかりたい」
といって、15分時間を与え、教科書を読ます。
そして、振り子が単振動になる理由を説明させると、
「単振動は円運動を横から見たものだから、振り子の運動は円運動の一部なので単振動になる。」と答える。
「そんなことどこに書いてあった。?」 と私。
「いや、どこにも書いてないです。」 と弟子。
「わざわざ、教科書を読ませて時間を与えてあるのに、どうして書かれていない話を創作して自分の理論を作り出す。?」
この話は、教訓的なものだと言える。教科書を読んで教科書に書かれていることを理解するならともかく、書かれていないことを自分で創作し、「自分の理論」を打ち立ててそれで納得して分かったようになる。このような作為は、多くの大人にみられる行動様式の一つでもある。
学校でわざわざ教えているのに、あえてその教えに逆らって、自ら間違いを作っていく、という愚行を行い続ける社会構成員が、自ら人生を貶めてしまうのは必然だともいえる。それ故、その者たちをあえて助けようとはしないのが今の日本の政治だとは感じるが、そうであったとしても、何かに気付かせるチャンスを作るべきなのか?
いや、分かりません。
政府が出した非常事態宣言*はまだ解除されていない。
その中で起こった山火事。
(誤 非常事態宣言 正 原子力緊急事態宣言)
現時点でもまだ鎮圧はされていない。
ひとの入り込めない山中で、ヘリからの消火だけが頼りでは、
晴天が続くといつまでも火事が広がる恐れはある。
東日本大震災は現状継続中であって、終わってはいない。
この事実自体が忘れられがちなのが、今の日本の姿だと思う。
山火事の延焼は様々な災害への発展の可能性はある。
山間部が消失して、保水力を失えば、下流の町が土砂災害の危険性が高まる。
そうはいっても、そもそもが人が立ち入れない地域で、防災のための土手を築いたりダムを建設するといった対策も立てにくい。仮に立ち入りが解除された地域に人が戻ってきても、今度は山からの災害、という新たな脅威が迫る可能性がある。これでは、避難が解除されているからといって、新たに家を建てたりする行為に躊躇するひとは当然いるだろう。
再建とか復興、云々の前に連鎖して起こる災害をどうやって食い止めていくか、という課題を突き尽きられている形になっている。
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浪江町の山火事、消火を再開
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4553850
東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域に指定されている福島県浪江町井手の十万山(じゅうまんやま)(448メートル)で起きた山林火災で、陸上自衛隊と福島県は1日朝、消火を再開した。火災は4月29日夕に発生し、現在も延焼中で焼失面積は約20ヘクタールに広がっている。
福島県災害対策課によると、自衛隊と県などのヘリが午前5時ごろから散水を始めた。県警は雷が火災の原因とみて調べている。
環境省によると、現時点で浪江町中心部など周辺の放射線量に大きな変化はないという。担当者は「引き続き、周辺の放射線量の推移を注視していく」と話した。【土江洋範、渡辺諒】
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