5月3日
岡崎市美術博物館で 展覧会を観に行った。 「京の美人画100年の系譜」という題名で、京都市美術館の名品を展示するものだった。
美人画が好きな私には、ものすごくそそられる展覧会で、午後2時から学芸員によるギャラリートークがあるというので、その時間を目指して出かけた。
いつもなら1時間近くかかるのに、今日は 道がすいていて、何と20分くらいで着いた。
まだ午後2時までには40分くらいあったので、ざっと展示を観ておくことにした。
まずは、上村松園「人生の花」(明治32年)。母親に連れられて花嫁がうつむき加減で歩く姿を描いた絵である。恥じらった表情がいかにも初々しい感じがする。
学芸員の話では、浮世絵から始まったものが美人画で、美人画では 表情が出てきたという。
舞妓、大原女、白川女を描いた絵。
文学・謡曲からの絵で、「広寒宮」という題名の屏風は、中国の天女が踊っている姿を優雅な様子に描いていて、美しかった。
巴御前を描いた植中直斎 「堀川夜襲」(1944年)は、源義経は描かずに 兜を描き、巴御前の姿だけで緊迫した空気が伝わってくる絵だった。
神坂雪佳「小督」(大正期)は、琴を弾いている小督と小督を捜している男性の姿を上下で描いていた。人物があまりに小さく描かれているので、これが美人画なのかな。と、思った。
神坂雪佳といえば、「琳派」の人というイメージがあり、花の絵が美しいのだが、美人画を描いているという感じの絵ではなかった。
「鵺(ぬえ)」という絵は、3人の女性が船の上で嘆き悲しんでいる絵で、暗い感じの絵だったが、美人画?と思った。
橋本関雪「長恨歌」(1929年)は、玄宗皇帝と楊貴妃を描いた絵であったが、戦争画と言ってもいいくらいの絵だった。楊貴妃がお風呂に入りそうな感じの絵もあった。
楊貴妃のお風呂といえば、中国に旅行に行った時に 華清池に行ったのでそれを見た。
この展覧会では上村松園の作品は、「人生の花」「晴日」「「春光」の3作品を観ることができた。
印象に残った作品は、菊池契月「少女」(1932年)で、着物を着た少女がこちらを見ている絵である。とても聡明な感じで、手がたおやかだった。
また、菊池契月「南波照間」(1928年)は、周りの景色が理想郷なのに、二人の女性が愁いを帯びた表情なのが心に 残った。
寺島紫明「九月」(1936年)は、モダンな感じの女性を描いていた。寺島紫明の作品は、着物を着た女性の絵は 何度も観ていたが、洋服を着た女性を描いた絵は 初めて観た。
もっと美人画の素晴らしい絵があるのに、この作品なのか。と、思った。
梶原緋佐子「旅の楽屋」(1925年頃)は、けだるい感じの女性を描いていて、新しい日本画を創っていくという時代と大正浪漫とあいまった作品だった。
石川晴彦「山茶花を持てる女」(1926年)は、日本画という感じではなくて、油絵のように見えた。岸田劉生の絵のような感じで、リアリズムを追求しているような絵であった。
日本画で こんな絵もあるんだな。と、思った。
これが美人画か?
甲斐荘楠音「母」(1927年)も リアリズムの絵だった。
また、「こういう場面を絵にするのか!」と、思ったのは、太田聴雨「種痘」(1934年)で、女医さんが女性に注射をしている絵だった。女性は着物をまくり上げて腕を出していた。
井上通世「初夏」(1940年)は、女性の背景の花が華やかできれいだったのが印象に残った。
広田多津「裸婦」(平成2年)は、女性の形の美しさを描いたものであるが、1点だけ裸婦の絵があるのは唐突な感じがした。
それにしても、これが美人画の決定版という」感じの展覧会とは 私には思えなかった。
京都市美術館所蔵のものだけの展覧会にしても、もっと素晴らしい美人画の絵があるはずだと思った。
何だか物足りない感じがした。
もっと美しい美人画が見たかった。
美人画というよりも、いろんな女性を集めたという感じの展覧会だった。
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