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2017年05月02日23:55

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商店街めぐり

 蒲田への行き来の最中、横目に商店街を眺めることがあるのですが、そういう場合はたいてい寄り道している余裕はないので、これまでは気になりながらも素通りしてきました。
 せっかくの連休なので、そういうところも歩いてこようと今日は昼すぎから出発しました。

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 まず、多摩川の川崎側河川敷を遡上していきます。ここはちょっと前は工事をしていて、自転車では通れなくなっていたですが、意外に早く終わっていました。これで自転車で駅前方面へ出るのがまた楽になります。
 どこが変わったのかは今一つよくわからないのですけど、以前は取水の都合などで堤防に欠けているところがあったり、高さが一定ではなく、実際の増水時には有効ではなかったため、そういうところを丹念につぶしたみたいです。

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 で、これが川崎競馬場の近くから六郷橋を渡り、京急蒲田駅の一つ手前の雑色(ぞうしき)駅に隣接する雑色商店街。
 この雑色というのが京急線の普通しか止まらない駅で、京急線の普通というのが基本的に急行停車駅まで乗客を運ぶだけの役目しか果たしません。待ち合わせで接続するとかではなく、普通が停車している横を、特急や快速が追い抜いていきますから、地方から出てきたばかりの人間は間違って乗ってしまっていつまでたっても目的地にたどり着けないという洗礼を受けることが多いです。

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 そんな小さな駅のそれほど大きくない商店街で、道幅も広くはありませんが、アーケードがあります。チェーン店もそろいつつ、昔ながらの個人商店にもかなり活気があって、平日(ゴールデンウィーク中ですが)の午後ながらけっこう賑わっていました。
 これだけの規模があれば毎日の用もほぼ足りながら大きすぎはなく、ちょっと息抜きしたり遊べて、大きな買い物は蒲田や川崎、あるいはそれこそ横浜や品川に出れば、まず間に合うでしょうから、いかにも便利で快適そうな街です。

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 なにか少し前まで工事でもしていたのか、商店街から眺めた雑色駅の周辺はすごく片付いていて、路面も舗装したばかりみたいでした。
 でも、そういえば新年早々、この駅で飛びこんだやつのせいでゲームの集まりの帰りに京急が止まって散々な目にあわされたんだよなあ(まだ根に持ってる)。

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 雑色から蒲田を目指します。途中で標識があって、移転したので距離の表記を変えたのでしょうけど、上からテープで貼って直しているだけです。いちいち取り換えるのも税金の無駄っぽくはありますが、これ剥がしたらどうなるんでしょうって、別にどうにもならんでしょうけど。

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 さて、蒲田を目指しつつ、蒲田の直前で環状八号線との交差点を右へ曲がってしばらく行くと糀谷商店街があります。

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 雑色商店街とは対照的にアーケードはなく車道の両側に店が並んでいて、両端の歩道は段差がなくラインで区切られているだけです。そして、けっこう長い商店街です。

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 商店街は環八によって南北に分断されており、北側は特にOIDE通りという名前になっているみたいです。で、この画像の街灯が続くところはとりあえずOIDE通りだろうと思って歩いたのですが、だんだんお店が少なくなってきて、ここはもう住宅街だろうというところまで街灯が続いていたので、途中で引き返しました。若干、水増し感のある商店街です。

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 ジャンルが中華ととんかつで、店名が「えんぜる」という、いかにも融通無碍な雰囲気を漂わせる飲食店がありました。

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 OIDE通りをイラストに起こしたポスターがあって、それを眺めるだけでもおもしろいのですが、数人の店主が昔のことを語っていて、それこそ「かつてはまわりが田んぼや畑ばかりで蒲田まで見通せた」とか、「小さな海苔屋さんがたくさんあったけど、羽田に空港ができて海苔がとれなくなったのでなくなった」とか、興味深い話がてんこもりです。
 そこで思い出すが、蒲田が舞台だった『梅ちゃん先生』で、治療費を滞納している患者のところへ取り立てに行ったら、そこが海苔漁師(演・なぎら健壱)で「お金はないけど」と言って大量の海苔を渡されるエピソード。なにげないシーンでしたけど、いちおう戦後すぐ後のこのあたりの様子が踏まえられていたのでした。

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 でもって、大田区の花は梅だそうです。これはまあ、偶然でしょうが。
 南側は北とは反対に長さはごく短いながら、びっしりお店が軒を連ねていました。
 総じてメジャーなチェーンはそろっており、マイナーなチェーンもいくつかあって、個人商店もしのぎを削っており、こちらも活気のある商店街でした。

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 そしてなにより、糀谷の今後については、前に来た時にはまだ建設中だった、この完成したばかりのツインタワーの影響が大きいでしょう。
 タワーマンションが林立している武蔵小杉では、新住民と旧住民が分離してしまっているみたいな新聞の記事を読んだのですが、糀谷ではここに入っていくる住民の存在を受けて、商店街がどう変わるのか、あるいは変わらないのか気になるところであります。もっとも、ちょっと気になっただけのことであって、追跡しようなんて気持ちはさらさらありません。ま、関係ないですからね。

 この後、環八を産業道路との交差点まで歩き、また右へ曲がって大師橋を渡ります。

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 潮が引くと多摩川のこのあたりはこんなになります。画像ではつぶれてますけど、潮干狩り(?)をしている人も何人かいました。

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 そして、川崎へ戻ってきて驚いたのは、あれだけあったテトラポッドが一つもなくなっていたこと。

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 これって、ここでこのまま護岸のために用いるとばかりに思っていたのですが、作った後でどこかへ運んだようです。それも見渡した限りでは見当たらないので、けっこう遠くに。今、あれはどこに並んでいるんでしょうねえ。

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 上の画像の青の矢印が今回、歩いたルート。赤が雑色商店街、緑が糀谷商店街です。

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