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2017年04月24日18:32

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オペラ「オテロ」 

ジュゼッペ・ヴェルディ作曲
日時 4月22日
会場 新国立劇場大ホール
指揮:パオロ・カリニャーニ   演出:マリオ・マルトーネ  美術:マルゲリータ・パッリ  衣裳:ウルスラ・パーツァック  照明:川口雅弘  再演演出:菊池裕美子  舞台監督:大澤 裕
キャスト  オテロ:カルロ・ヴェントレ   デズデーモナ:セレーナ・ファルノッキア  イアーゴ:ウラディーミル・ストヤノフ  ロドヴィーコ:妻屋秀和  カッシオ:与儀 巧  エミーリア:清水華澄  ロデリーゴ:村上敏明   モンターノ:伊藤貴之  伝令:タン・ジュンボ
合唱指揮:三澤洋史  合唱:新国立劇場合唱団  児童合唱:世田谷ジュニア合唱団   管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

何の予定のない土曜日、朝食後のんびりとしている時ケータイの電話が鳴る。民生委員のお仲間のWさんからで「今日は暇か」と問うてくる。特に何もないと答えるオペラに行かないかと言う。「用ができ急にいけなくなったのでチケットがもったいないから行ってくれないか」とのこと。ヴェルディのオテロとのことだ。ドイツオペラはたまに観るがイタリアオペラはドロドロとした人間関係が渦巻く物語が苦手なため観ようと気が起きないできた。一度は断ろうとしたが、せっかくの機会だからとチケットを貰うことにする。
通常のオペラのような序曲がなく短い序奏の後に続く合唱は圧巻だ。ヴェルディの重厚で分厚い曲を圧倒的な迫力でもって歌う合唱に圧倒される。第2幕・第3幕は大の苦手のドロドロとした話の展開がつづく。それでも第3幕のデスデモーナの「柳の歌」、第4幕の「アヴェ・マリア」のアリアは素晴らしかった。

あまりにも有名な万人が名曲と認めるオペラにケチをつけるのはどうかとは思うが、今回の演出の問題なのか物語の展開につじつまが合わない場面もあるようだ。オテロがデスデモーナに贈ったハンカチが、この演出ではデスデモーナがオテロの顔を拭こうとしたのをオテロが運河に取り上げて投げ捨てたのをイヤーゴの妻のエミーリアが拾い上げそれをイヤーゴが取り上げたとしている。これならハンカチがなくなったことをデスデモーナが知らないということはなくなってしまう。もう一つデスデモーナとの不倫を疑われたカッシオが寝言でデスデモーナなことを言ったという作り話をイヤーゴがオテロに讒言するが、設定が不自然だ(これは一度スイッチが入ってしまった猜疑心が暴走しそのまま疑いの心が増幅したとすれば何とかつじつまが合うか)。

このオペラを観て、一番わからないのは悪役のイヤーゴが何を望んで悪だくみをしたのかだ。同僚(後輩?)のカッシオを自分を差し置いて副官にしたことへの恨みからとなっている。オテロを陥れて司令官になりたかったのであろうか?劇中のアリアで自分が大した人間でないことを語っている。司令官の器でないことはイヤーゴ自身がよく分かっているみたいだ。先を越された人の好い(かなり軽い人間の)カッシオを陥れて副官になる道を探る方を選ばす何故オテロを陥れようとしたのだろうか。
さらに何故副官にしなかったイヤーゴを正直者とか全幅の信頼を寄せるような語りがでるのであろうか。オテロという人間が武勇には優れているが人間を見る目がないということであろうか。
アリアの素晴らしいデスデモーナも公と私の区別をつけるべき司令官の妻という立場をわきまえず政治に口出ししてしまった世間知らずのお姫様といえる。
このオペラはイヤーゴ以外の登場人物の性格付けが弱いと感じるのはドロドロ劇の嫌いな私の偏見かもしれないけど....
イヤーゴの心の内の葛藤を主題にするともっと面白くなりそうな気がするのは私だけか?

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