mixiユーザー(id:6393203)

2017年03月25日15:51

272 view

パン屋「郷土愛不足」で和菓子屋に 道徳の教科書検定

■パン屋「郷土愛不足」で和菓子屋に 道徳の教科書検定
(朝日新聞デジタル - 03月24日 23:23)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4494201

>>>>>
初めての小学校道徳の教科書検定が終わり、8社の24点66冊が出そろった。本来、「考え、議論する」を掲げたはずなのに、文部科学省が検定過程で付けた数々の意見からは、教科書作りに積極的に関与しようとする姿勢が浮き彫りになった。高校の地理歴史や公民の教科書でも、集団的自衛権や南京大虐殺などの記述が、文科省の指摘に従って横並びになった。

 「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物のパン屋の「おじさん」とタイトルを「おじいさん」に変え、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。

 いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。

 おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。

 「ここまで細かいとは」。各社の編集者はこうした検定のやり方に戸惑う。

 検定に臨んだ8社は、2015年に告示された指導要領が学年ごとに定める「節度、節制」「感謝」「国や郷土を愛する態度」など、19〜22の「内容項目」を網羅することを求められた。

 学校図書(東京)の編集者は指導要領やその解説書を読み込み、出てくる単語をリスト化。本文や挿絵、設問に漏れなく反映されているか入念に点検したが、それでも項目の一部がカバーされていないという検定意見が数カ所ついた。別の出版社の編集者は「単語が網羅されなくても、道徳の大切さは伝えられる。字面だけで判断している印象だった」と不満を口にする。

 最終的に、検定では8社の計24点(66冊)の教科書に誤記や事実誤認を含めて244の意見がつき、このうち43が指導要領に合わず、「本全体を通じて内容項目が反映されていない」などの指摘だった。

 各社は指摘に沿って本文やイラストを修正したが、これまで検定の対象外だった副読本より、「横並び感」が強まった。
>>>>>

日本の省庁の劣化という意味では行政の劣化が始まったというべき話である。ところで、行政の劣化という以上、司法、行政の劣化もありうるのだが、このふたつについてはすでに手遅れ状態である。

司法の劣化は、これはもう民主主義の崩壊といってよく、それが未だに顕著にならないのは、バランスが取れているだけ、つまり、どこかで誰かが、その不足分を補っているに過ぎない。

日本の裁判官など、行政のでっちであって、それ以上の意味はない。ということは、日本には民主主義はもとから成立していなかった、という事でもある。当然だが、この比較は理想とする民主主義との話であって、実在の例えば、ロシアとかアメリカとか中国という他の国との比較ならば、そんなに卑下することはない。

いずれにしろ、行政の劣化としては厚生省は公害、薬害、国土省は自然破壊、外務省は他国のスパイ、みたいなものであって、もちろん、明治以降でもっとも劣化した呼ぶべき省庁は、日本海軍、陸軍であるのだが、それと比べればましかといえば、決してそんなことはない。愚かさの程度でいえば、同程度である。

というか、教育こそ、国の基盤と鷹山は言ったが、その言を信じるならば、文科省とはすなわち亡国の原因であろう。

自己免疫疾患という病気があるが、これは免疫系がバランスを失って、本来攻撃すべきものではない、自分の体を攻撃し始める病気である。

これと同じことは省庁にも起きるのは自然であって、仕事があることが自己目的化されてしまい、仕事がなくなれば、無理やりにでも仕事を作るというわけである。

代理ミュンヒハウゼン症候群のようなものである。よい母親とは、子供の不幸ともいっしょに立ち向かう親の事である。自分がよい母親であるかどうかは、子供が病気になっているときにはっきりする。

これと同じである。国の教育にはもっと何にか改善ができるはずだ、よりよい施策があるはずだ。こういう脅迫観念によって、仕事を作り続けようとする。もちろん、数年単位で大臣が変わる。彼らは自分の功績がほしい。

頭が悪い癖にああしたほうがいいのではないか、と言ってくる。省庁は、もちろん、政治家のこういう言質があれば動きやすい。それを利用して、本当にやりたいことをその中に含めてしまう。

名誉は政治家に、実入りは官僚のものに。そういう仕事である。もちろん、彼らに、国の骨幹とか、理想というようなものはない。あったとしても、詳細に聞いてみれば、おそらく夢物語、幼稚園児の夢物語とたいして変わらないことが分かるはずだ。

その程度の見識で、あれだけの戦争をしたのか、と当時の軍官僚をなじったものは、日本にはいないのである。それと同じことが、今も起きつつある。

いずれ、最後の砦と思っていた行政さえ、劣化が顕在化し始めたことには注意すべきである。司法、立法、行政というバランスの中に、すべてが劣化してしまったのである。これと対抗してバランスをとる役割、機構がどこにもない。もちろん、マスコミなど論外。これは恐ろしさ状況だと思う。

石原慎太郎のように虚栄を張ることだけが生きる目標のような人間でも、都知事になれてしまうのである。それでもなんとか成立したのはそれをしたから支える官僚、役人たちのバランス能力である。調整役こそが、世界を動かしているのである。

バカが上に立てば、下は好き勝手やりはじめる。有能な人は去り、無能が神輿を担ぎ始める。調整能力が狂ってしまえば動くはずもない。もちろん、バカがトップに立てば、その構造の危険性に気付きもしない。

いいや、バカならまだいい。強い信念を持っているかも知れない。その信念が果たしてどういう類のものであるか。その人物は信念の傀儡かもしれないのである。

1 3

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年03月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031