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2017年03月23日01:51

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昭和史の現場と懐かしい味を慈しむ

今日は昭和史の現場を訪ねました。東大安田講堂です。
今から48年前、医学部の組織改革要求に端を発した紛争が東大の全学に波及、時の佐藤栄作首相の「曲学阿世の徒」発言が火に油を注ぎ、安田講堂他大学施設の占拠などが発生、ついには警察が導入、機動隊による強制排除が行われる事態になったのです。
各施設のバリケード封鎖が破られて占拠が解かれる中、全共闘が最後の砦とした安田講堂では、2日間にわたる激しい攻防戦の末、多数の重軽傷者を出しながら数で優る機動隊がバリケードを突破して立て籠っていた学生を排除、首謀者を検挙します。
これを境に各大学の学生紛争は退潮に向かいますが、大学から追われた過激派たちは地下に潜り、よど号ハイジャック(1970年)、あさま山荘事件(1972年)、三菱重工爆破事件(1974年)などの大事件につながってゆくことになります。
安田講堂攻防戦を含む東大紛争は連日トップニュースとして報道され、あっしは当時4歳でしたが、安田講堂の激しい攻防戦の様子は今もおぼえています。
あれから48年、安田講堂は改装を経て大学のシンボルとして静かにその偉容をとどめています。機動隊が取り囲んだ前庭は学生たちや近隣の人々が散策に訪れる平和な憩いの場になっています。
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安田講堂を見たあと、腹ごしらえに入ったのは正門前の喫茶「ルオー」です。
この店はあっしの祖父の絵のお弟子さんだった森田賢先生がかつて赤門前で営んでいた「画廊喫茶ルオー」が79年に閉店した後、80年に当時の店員さんが受け継いで正門前に移転して開業したもので、看板のデザインと店の内装は旧「ルオー」を再現、椅子とテーブルは旧店の物を受け継いで使用しています。また、メニューの中で旧店の名物だったカレーライスは当時のレシピのままで出しています。
旧店は開店当時から東大の学生や教員が出入りし、店主の森田先生は医学部の美術サークルの指導をされたりと東大と縁が深く、長年親しまれました。
森田先生はプロレタリア芸術運動から洋画の道に入られた苦労人でしたので、学生運動に理解を示して、全共闘を応援していました。東大紛争で占拠されて警察とにらみ合いが続いていた安田講堂にカレーライスとコーヒーを出前したこともあったそうで、学生たちは非常に礼儀よく、内部に通された時も少しも怖いことはなかったそうで、赤門から講堂までに何度も職務質問された機動隊の方がよっぽど横柄で怖かったそうです。また、安田講堂の大講堂の壁面には祖父の日本画の師である小杉未醒(放庵)先生の壁画がありますが、「学生たちは一切手を触れませんでした。」と仰っていました。
そんなわけで、「ルオー」のカレーライスは、昭和史を今に伝える味ですが、あっしにとっては祖父のお供で母や祖母に手を引かれて先生をお訪ねした幼い日から食べた懐かしい味です。「セイロン風」と謳ったとろ味を抑えたカレーはスバイシーですがマイルドな辛さでおいしいです。本郷においでの節にはぜひ食べて昭和史をかみしめていただきたいものです。
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