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2017年03月16日19:26

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永井豪氏の原作漫画『デビルマン』アニメ化 湯浅政明監督が結末まで描き切る

永井豪氏の原作漫画『デビルマン』アニメ化 湯浅政明監督が結末まで描き切る
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今年、作家活動50周年を迎える永井豪氏の漫画史に残る傑作漫画『デビルマン』がNetflixオリジナルの新作アニメとして、来年初春に世界190ヶ国で独占配信されることが明らかになった。タイトルは『DEVILMAN crybaby』。監督は『四畳半神話大系』『ピンポン THE ANIMATION』などの作品で知られ、長編アニメーション『夜は短し歩けよ乙女』(4月7日公開)、『夜明け告げるルーのうた』(5月19日公開)と2ヶ月連続劇場公開を控える、アニメーション作家・湯浅政明氏。作品ごとに挑戦的な輝きを放つ湯浅監督が、伝説の原作漫画をどのように描くのか、注目される。

【動画】新作アニメ『DEVILMAN crybaby』特報

 原作の『デビルマン』は、1972年より『週刊少年マガジン』(講談社)で連載。原作漫画の全世界での単行本発行部数は累計5000万部を記録。海外でも高い人気があり、英語圏をはじめ、イタリア・香港・フランス・韓国など、多数の国で翻訳版が出版されている。漫画連載と同年にテレビアニメ化され、NET(現テレビ朝日)系で放送された。漫画家やアーティスト、クリエイターからも影響を受けた作品としてあげられることが多く、これまでテレビアニメのみならずOVA、実写作品、ゲーム、小説、派生マンガなど、多くのメディアミックスが行われてきた。

 しかしながら、“原作漫画の結末”までアニメーション化した作品はなく、今回、初めて飛鳥了と不動明の出会いから、デビルマン誕生、そしてデビルマン対サタンのハルマゲドンまでを、描き切る。

 永井氏の期待も大きい。「原作コミック『デビルマン』のアニメ化のお話を聞いた時、まず一番に思ったのは『最後まで描いてくれるの?』でした(笑)。僕が絶大な信頼を置いている湯浅監督なら、やりきってくれると信じています。デビルマンとデーモンの闘いが、アニメーションでどのように描かれ、決着がつくのか。2度と実現できないかもしれない『デビルマン』の結末までのアニメーションを、僕自身楽しみにしています」。

 大役を任された湯浅監督は「最も衝撃を受けた漫画『デビルマン』のアニメ化を、まさか自分がやる事になるとは! 漫画史上最高とも言える衝撃的な展開と壮大なラストシーンにたどり着くため、原作のスピリット、エッセンスを『今やるアニメーション』の形に落とし込む作業に日々悪戦苦闘中です。しかし配信という事で制約も少ないので、限界までやりますよ! バイオレンス、エログロなどありますが、最終的に“愛”です。楽しみに待っていてください」と意気込みを伝えた。

 新宅洋平プロデューサー(アニプレックス)は、「デビルマンの原作が持つニュアンスを最大限活かしつつ、湯浅監督に現代に描かれるべきアニメとして、新たな映像化をしていただきます。激しいバイオレンス描写など、Netflix配信ならではの表現に挑みます。永井豪先生の原作に真正面から向き合う『DEVILMAN crybaby』にぜひご期待ください」とコメント。

 脚本は、『コードギアス 反逆のルルーシュ』をはじめ、『甲鉄城のカバネリ』など、ドラマ性の高いストーリーを描くのを得意とする脚本家・大河内一楼氏が執筆。音楽は『ピンポン THE ANIMATION』で湯浅監督と組んだ牛尾憲輔氏が担当。企画、プロデュースは、アニプレックスとダイナミック企画が行う。

 原作漫画の連載開始から45年、『デビルマン』が2018年の世界に向けて、どんなメッセージを打ち出すのか。日本語のほか9ヶ国語に吹き替え、字幕版は25ヶ国語で配信される。

■物語
 主人公、不動明はある日、親友の飛鳥了から、地球の先住人類「デーモン(悪魔)」が復活し、地球を人類から奪い返そうとしていることを知らされる。了は明に、デーモンの超能力を取り入れて戦わなくては人類に勝ち目はないと、デーモンと合体する話を持ちかけてくる。明は、悪魔の力と人間の心を持つデビルマンとなることに成功。デビルマン、不動明の戦いが始まる。
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デビルマンは日本が生んだ物語の到達点のひとつであって、これに類型するものは幾らでも生まれえるが、これを圧倒できるものが生まれるなどという事は絵空事である。

永井豪という人はどちらかといえば、地獄を描くのに長けている人であって、そのイメージは西洋的なのもあれば、現代的なのもある。そして日本古来的なものもある。

そういう時代を跳躍したような、どの時代にでも通用するイメージが潜んでいるので、その創造性が楽しめるわけである。

いずれにしろ、デビルマンが日本の精神史に与えた影響は極めて大きいはずであって、その影響は何度も再生産され、様々な場所に宿っていると思うのである。ある意味で我々が悲惨さや凄惨さを前にしても立ち止まっていられるのはこの作品があったからかも知れない。

という漫画の価値は揺るぎないものだとしても、それを何十年もののちにアニメ化する以上、そのままではダメだろうと思われる。それは、鉄腕アトムや鉄人28号でも同じであって、今のリアリティとの兼ね合いというものが必要だ。

さらに、社会情勢は刻々と変遷している。作品は変わっていなくても、その影響から逃れられるはずもない。つまり、書き直すとしたら、いったいどういう要素を取り除き、どういう新しさを追加しなければならないか、というのが考えどころとなる。

そして、それはあの作品が持っている思想性みたいなものをどう扱うか、という点も、決して逃せられない点である。ただの漫画の影としてアニメーションが生まれるだけならば、やはり物足りないと思われる。

今の描画力で何を徹底的に追及するのか。そこをどう突き詰めるかは、監督に一任されているわけで、このような仕事は、恐ろしくもやりがいのあるものだろう。何度も原作に戻り、他の作品に戻り、その他の作品を辿り、自分が何を投射しようとするのか。

あの最終回の朝日?夕焼け?の美しさは印象深いが、あそこで拍子抜けした気もしないではないのである。

あそこをどう描くか、には相当の強い覚悟が必要だろうと思ったりする。またそうでなければ面白くない。あそこにだけは自分の解釈を新しく入れたいと思うものじゃない?

とにかくデビルマンは決して言い訳のできぬ作品だ。
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