お台場で上映された「少林寺木人拳」を見て来ました。
「酔拳」以前のジャッキーの旧作では、頭ひとつ抜けて面白いから、大スクリーンで見たら面白いだろうな、と思って見たら、いやすげぇ面白かった。
「少林寺木人拳」は、口のきけないジャッキーが少林寺に入門。
「魁!男塾」の様な珍妙な特訓をして、卒業試験で着ぐるみみたいな木人と戦う。(実際、着ぐるみだけど)
こうしたビジュアル・インパクトで知名度のある作品。
テレビ放送された時は、その年の映画の視聴率で3位を取った。
そのビジュアル・インパクトゆえ、よく笑いのネタになる映画だが、今回、大スクリーンでじっくり見て、そのテーマ性に感心した。
本作は格闘技の「正しい奥義」と「暗黒面の奥義」を両方、学んだ男の話であり、スター・ウォーズが何作もかけたテーマを、一本で描いてしまった傑作なのだ 。
映画が始まって気づくのは、口がきけない新弟子に対する周囲の優しさである。
兄弟子達は、愛を持って構ってやり、少林寺の中でも、主派ではない、外れ者の僧たちが、あれこれと世話を焼き、クンフーの奥義を伝授してやる。
この「優しい世界」は、クンフー映画には珍しい。
そんな「優しい世界」で、少しづつクンフーを身につけていく主人公は、洞窟に鎖で繋がれた男を見つけ、哀れに思い食い物や酒を運んでやる。
その礼に男は主人公に、クンフーの技を教えてくれるが、彼こそ少林寺の技を悪事に使った、いわば「暗黒面に堕ちた男」なのだ。
少林寺の正しい技と、間違った技を同時に会得していく主人公は、正規の少林僧からは「お前の技には殺気がある」「人の急所を攻撃してはならない」とたしなめられる。
しかし卒業試験である木人との対決を制したのは、洞窟の男に教えられた、暗黒面の技だった。
少林寺のシーンは映画の半分で終わり、後半は山を降りた主人公と、鎖を断ち、野に放たれた洞窟の男との因縁の対決になる。
洞窟の男も、主人公を打算で利用した訳ではなく、弟子として可愛がり、技を伝授した。
しかし彼は人殺しの大悪党だった。
一度は師と仰いだ人間を討つ事が出来るのか。
そのシーンだけを切り取れば、アメトークで芸人のネタにされそうなシーンだが、1時間40分の映画の中で見ると、胸が詰まったり、感動したりする事がある。
「少林寺木人拳」は、そうしたタイプの映画である。
80年代の大映ドラマ、90年代の韓流ドラマ、最近の海外ドラマの様な、大げさで意表をつくジェットコースター展開。
そこに、東洋的な死生観、運命論、諦念が入り混じった、なんとも不思議で魅力的な映画である。
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