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2017年01月20日13:24

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時代の流れと言えばそうだが、残念


 成績を見る限り引退はやむを得ないのは納得するが、
 期待を込めて言うなら、もっと頑張ってみて欲しかった。
 頑張って、というからには勝たなければならないのだろうが、
 老いても、脳は衰えない、ということを証明できる一つの方法だと思うから残念だと感じる。

 とはいえ、単なる老いの問題と考えるのは性急だとも思う。
 既に、様々な軋轢を生んでしまった将棋ソフトの問題に上げられように、
 コンピューターの方が人間の思考レベルまで追いついてきている、という感じはする。

 勿論、アルゴリズムは、人間が考え出すものだから、人間を超えた、とまでは思わない。
 けれども、短時間で何万手も読んでしまうのだから、うかうかすると人間が負けるシチュエーションができるのも当然と言えばそうだろう。

 とはいっても、序盤戦の構想などが、これまでの長い年月の蓄積無くして、単に計算だけで作られたとは思い難い。
 こうした、コンピューターの発達は、人間を超えていないとしても、計算結果は参考にはなるだろうし、その手を実際に指してみたらどうなるか? も当然考えるところだろう。
 多くのプロ棋士が、ソフトウエアならこの手を選択する。という事実は知っていて対局に望んでいるだろうということは想像に難くない。
 (それ故、計算結果と一致する指し手が出現するのもうなずける話なのだが、、、)


 そうした、時代の流れに、果たして加藤一二三九段がついていっていたかどうかは疑問の余地はある。

 自分で考える、自分で駒を並べる、これは当然やっているだろうが、
 その局面で計算ならどうなる、という研究をやっているかいないか、は大きな違いになるだろう。

 人間の感性だったら、早々と切り捨てるような一見筋の悪い手が、実は有効だったりするわけだから、やり込めばやり込むほど新しい手が発見されるのだろうと思う。



 時代的に少しさかのぼるが、その筋の悪い手の代表的なものが藤井システムだったかもしれない。
 居玉は避けよ。
 という古くからある格言に背く形で、居玉をあえて使い、相手を穴熊に組ませない、という序盤の取り組みはとても面白い発想だと感じる。

 現代まで、結局のところ、玉は右に囲うのが良いのか、左に囲うのが良いのか、中央こそが優れているのか結論が出たわけでは無い。
 戦法も、居飛車と振り飛車の優劣はそれほどはっきりはしていないように思う。

 たまたまではあったのだが、図書館で加藤一二三九段の著書をぱらぱらと斜めに読んだのが今日の午前中のこと。
 彼が、大山名人に勝てなかったのは、棒銀でとことん攻めなかったから、というようなことが記述されていた。研究の余地が大きかったのに、それを途中であきらめていた、と考えてよいだろう。

 人間には、そんなところがあるのは当たり前だと思う。
 居飛車で棒銀戦法というのは、初心者にも分かり易く、多くのアマチュアが指す将棋であるが、プロが指していて負けが込むのだったら、他の戦法の良い所をもっと取り入れていく、などという発想は当前だし、研究が行き詰っているなら、一旦はその戦法を切り捨てて、他の指し手に乗り換える、ということもあろう。

 77歳までプロ棋士として真剣勝負に取り組んだ、ということは偉大なことだと思う。
 引退は確定的な事実かもしれないが、しかし、まだ勝ち進んでタイトル挑戦に手が届かないと決まったわけでもない。
 ひとの心など分からぬものだが、引退が確定的となった状態でこそ、新しく自由な発想が生まれるかもしれない。
 最後まで、プロ棋士としてのプライドを持って対局してほしものだと思う。

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将棋 加藤一二三九段が引退へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4392715

 第75期名人戦(毎日新聞社、朝日新聞社主催)のC級2組順位戦9回戦の残り11局が19日、東京と大阪の将棋会館で指され、竹内雄悟四段(29)が佐藤慎一五段(34)に勝って3勝目を挙げたため、この日対局がなかった1勝7敗の加藤一二三九段(77)は同組51人中下位10人になることが確定し、規定で現役引退が決まった。加藤九段は将棋界の史上最年長棋士で、約63年のプロ生活に終止符が打たれた。

 加藤九段は現在、名人挑戦者を決める順位戦の最も下のクラス、C級2組に在籍。同組は各自10局を戦い、今期は下位10人(42位以下)に降級点が付く。加藤九段は降級点が3回目となるため、フリークラスへの降級が決まったが、同クラスは原則65歳が定年のため、自動的に引退となった。ただし順位戦の残り2局と、3月までに抽選がある棋戦で勝ち進んだ対局は指すことができる。

 加藤九段は「まだ今後の対局も残っており、全力投球する所存ですので、進退に関するコメントは最後の対局が終わってからに致したい」との談話を発表した。

 加藤九段は福岡県出身。1954年に14歳7カ月でプロ棋士となる四段に昇段し、昨年、藤井聡太(そうた)四段(14)に抜かれるまで最年少プロ入り記録を保持していた。順位戦では毎年昇級昇段を果たし、18歳でA級八段に。「神武以来の天才」の異名をとっていた。

 20歳で名人挑戦者となったが、故大山康晴十五世名人ら当時のトップの壁は厚く、初タイトルは69年の十段(竜王の前身)。名人戦は3回目の挑戦となった82年の第40期で、千日手局を含む延べ10局にわたる激戦の末に中原誠十六世名人を破り、名人の座に就いた。

 タイトル獲得は名人1期のほか、王将1期、十段3期、王位1期、棋王2期の計8期。順位戦の最上位、A級在籍は名人1期を含む36期で、大山十五世名人に次ぐ2位。通算成績は1323勝1173敗で、タイトル戦の持将棋を含む対局数は2497局。対局数、負け数は歴代1位。勝ち数は大山十五世名人、羽生善治王位(46)に次ぐ歴代3位。

 最近は「ひふみん」の愛称でテレビのバラエティー番組にもたびたび出演している。【山村英樹】
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