次男の高校でのPTAの仕事を一緒にした方から、
渡辺和子さんを描いた年賀状を頂いた。
この1日に渡辺和子さんの訃報を新聞で知ったばかり。
12月30日に89歳で亡くなられたとのことだった。
渡辺和子さまとは、1夜だけホテルでご一緒したことがある。
私の勤めていた会社関係の講演会があり、前夜に会を開く方々と、
お夕食をした後、2人だけでお話しする時間があったのだった。
なぜそうした話になったのかは忘れてしまったのだが、
相手を殺さなければ、自分が殺されるという立場になったら、
人はどうするか…という厳しい話題だった。
私がおずおずと「やはり人を殺すのはどうしてもイヤだと思う」と申し上げたら、
もの柔らかな渡辺さんが、ちょっとキッとされて、
「そうでしょうか? 私は身を護るために殺すと思いますよ」と。
修道女でいらっしゃるのだから、私にとっては思いがけない言葉だった。
私はしばらく黙って、そのあと申し上げた。
「もしわが子が殺されそうになったら、死に物狂いで相手を殺すかもしれません」
「そうでしょう、生存本能はとても強いのよ。人間は悲しいわね」
そしてそのあと、語ってくださったのが、2・26事件の日のことだった。
もちろんお会いする前に、陸軍教育総監であったお父様の渡辺錠太郎氏が
青年将校たちに殺されたこと、わずか9歳で目撃されたことは知ってはいた。
しかし、ご自身の口から話されたその顛末は凄まじいお話だった。
そして加害者のご家族と出会って、コーヒーすら飲めなかった、
手が震えてカップを持てなかったこと…。
許せるまでに長い時間がかかったことを話してくださった。
私にとって忘れられない一夜だった。ここに詳しく出ている。
渡辺和子さん、生前に語った2・26事件 父を殺された瞬間、そして「赦しと和解」
http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/31/watanabe-kazuko-226_n_13914804.html
私がお会いしたときは、わずか36歳で就任された、
ノートルダム清心女子大学の学長はもう後任に譲られて、
東京の修道院で暮らしておられた。
70歳を越えておられたが、「10数人のお食事を当番で作るのよ」と
楽しそうに語られた。社に戻ってから「団体食」の料理本をお贈りしたら、
「この本は大人数の分量が出ていて便利」と喜んでくださった。
人を殺すこと、殺されること、そして大事な人を殺した人を許すこと。
どれも私は一生経験しないですめばいいな…と思う。
私の子供や孫たちにも、人を殺し殺されることは経験させたくない。
だから、まだ戦争の空気に雪崩れ込まないうちに、
何かものを言っても大丈夫なうちに、言うべきことを言い、
ささやかでもできることをして、今の平和な日本を失いたくない。
あの2・26事件から、戦争に雪崩れ込んでいった日本を思う。
渡辺和子さまのご平安を祈りつつ。
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