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2016年12月18日23:54

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豊臣秀吉は架空の人物


 教科書にも堂々と出てくる豊臣秀吉だが、
 私は架空の人物ではないか、とかねがね思っている。


 そもそも、日本に本当に戦国時代、なんてものがあったのか?


 三国志 よろしく、日本にも軍着物の小説があれば面白いよね。
 そして、江戸幕府は、そうした戦乱を潜り抜けた結果に出来た。という設定にしよう。

 という考え方は、幕府にも都合が良いので、

 江戸幕府ができる前の政権は、強大で強力であった程インパクトがある。
 (そして、「幕府」 ではない存在の方が話としては面白い。)

 そこで、架空の人物 「豊臣秀吉」 が誕生してくる。。



 みたいな話。


 今日、実家に立ち寄ると、姉と母が嬉しそうに真田丸最終回を見ているのである。


 「言っとくけど、ドラマ、はお話だから」

 と、一本釘を刺しておく。

 さすがに、姉はドラマはお話だということは納得済みらしい。


 母に説明する。


 そもそも、大阪城に1万人の浪人がいたとして、

 「攻める側は、守る側の6倍の戦力が必要」

 と、かねてよりわかっているデータを使うなら、

 6万もの戦力を整えて、大戦争をしなければならない。
 そんなことを、「本当にするのか?」

 言ってみれば、秀頼には千姫が嫁いでいるのである。
 子供を産めば、それは家康のひ孫。

 黙っていても、豊臣家を支配できる状態はやってくる。
 わざわざ浪費して戦争を仕掛ける必要もなかろう。


 「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス」 の人だよ。 家康は。



 以上、書かれていることは、すべて幕府と当時の読書家が望んだ、大戦記物語を構築していった暁に、いつしか多くの人が史実だと思い込んだ幻想ではないのか?


 と、思うから、豊臣秀吉って、架空の人物ではないか? と考えるのである。


 
 その考えの裏付けが、
 織田家にも徳川家にも、子孫は今の日本に現存している。
 これは、多くの戦国武将とされる人々にも同じことが言えるのだが、

 豊臣家の子孫、という人の話を聞いたことがない。

 かの有名な 「羽柴秀吉」 は、特に関係ないと思うよ。(選挙に出てくる人。)



 いや、豊臣家は滅亡させられたから、と反論が聞こえそうだが、
 豊臣家を滅亡させなければならなかった理由は?

 お家のおとり潰し、と子孫までの根絶やしは意味が違う。
 (一休さんとか、 将軍様にいつも見張られてはいるけどね。)


 お家のおとり潰しは、領地を召し上がられて、それまで貴族的階級だったところから、一般庶民に転落する、というだけの話である。 それ故、「浪人」という人が沢山いる。


 そして、古来、「兄弟は敵味方に分かれて戦う」 というのは、根本的鉄則である。
 どちらが勝っても、自分たちの遺伝情報が残っていくからである。



 故に、豊臣家の人間が誰も徳川方に加わらなかったのは不自然としか言いようがない。


 いや、それは秀吉に子供がいなかったからだ。
 という反論はあろう。

 贅沢の限りを尽くして、数えきれないほどの女性と関係を持ったのに、本当に子どもができなかったのか?

 まあ、私にも子どもがいないので、男性側の精子の問題、という疑念はぬぐえないとも思うけど、私は、子どもができる、という許された条件で関係した女性はたtった三人しかいないので、データとしては少なすぎる。


 秀吉は、自分の子供を作る、ということはかなり大事なことだと考えたろうから、自分の好色だけではなく、妊娠の可能性の高い、若くて健康な女性とも沢山関係したのではないかと思う。


 「本当に種無し」 だったのか?
 だとすれば、なおさらである。
 待っていれば確実に滅びてしまう豊臣家を、わざわざ戦争して叩きのめす必要性、というのが腑に落ちない。


 尤も、すでに英国・オランダ・スペイン・ポルトガル、といった国々との交流が始まった時代。
 強固な社会システムが無ければ、「中世」はあっという間に瓦解して、民主制に移行した可能性はある。 フランス革命は1789年だが、日本にはそもそもハプスブルグ家の勢力なんてなかったのだから、もっと早い民主化が起こっていても不思議ではない。

 「中世」 と云う封建制度の時代を19世紀後半まで存続させた、ある意味偉大な幕府というシステム。 豊臣家をほったらかしにしたら、「民主化」 が起こったのだろうか?


 どっちかというと、堺の自治政府みたいなものの方が社会システムに対する仇敵ではなかったのかと思う。


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堺雅人、『真田丸』1年2ヵ月の“長い旅”から帰宅「本当に楽しかった」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=100&from=diary&id=4347245


 大坂の陣も始まり、堺雅人演じる真田信繁は“幸村”と名乗り、大坂城で徳川軍を迎え撃つべく出城“真田丸”を築く。ついに最終回を迎える大河ドラマ『真田丸』だが、約1年2ヵ月にわたる撮影を終えた堺が、本作への思いや「長い旅」と称した大河ドラマ出演の感想を語った。

【関連】大河ドラマ『真田丸』フォトギャラリー

 「長い旅行から帰ってきた気分ですね」と開口一番、撮影を終えた感想を述べた堺。「家で普通の生活をしていると、無事に帰れた喜び、家族に会えた喜びを感じます。得難い経験でしたね」としみじみと語ったが「でも1年2ヵ月は旅行ではなく失踪ですね」と笑わせる。

 大河ドラマにはこれまで何度か出演しているが、主演は初めて。プレッシャーを感じながらの撮影かと思われたが「気は楽でした。(脚本家の)三谷(幸喜)さんについていくだけ。出会う人が一流の俳優さんですし、素晴らしい旅でした。無理をせず自分のペースでできました」と爽快感いっぱいの笑顔をみせると「最初のロケで(父・真田昌幸を演じた)草刈(正雄)さんから『ちゃんとご飯を食べた方がいいよ』ってアドバイスをいただいて実践したので、バトンタッチセレモニーの時には(来年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』主演の)柴咲コウさんに伝えたいです」と語っていた。

 さらに「信繁は『俺を見ろ!』っていう人ではなかったので、長い撮影をやっていた割には存在感がなく損したかな」とおどけてみせた堺。しかし「何一つ自分のペースがつかめなかった1年という時間はとても楽しかった」と独特の表現で充実した時間だったことを明かす。また堺は「信繁って周囲をフューチャーさせていく力がありますよね」と語ると「この作品が放送されて長宗我部盛親や毛利勝永とかが検索ワードで上昇したって聞くと、盛り上がっているみたいでうれしいですよね」と笑顔をみせた。

 三谷からは「脚本にとらわれているので、もう10パーセントぐらい現場の空気でやってみたら」というアドバイスがあったという。しかし堺自身は「現場で違うかも……と感じつつも、三谷さんの一字一句脚本通りにやりたいという思いがあったので、こだわったんですよね」と述懐した。

 大河ドラマの主役という重責をまっとうした堺だが「僕は座長というタイプじゃない。好きにやってなんとなくまとまっているのがいい。演技に関してはこんなに素晴らしいメンバーとの共演はめったにないので、本当に楽しかったですね。信繁はみなさんの技を受け続ける人、ずっと飽きずに過ごせました」と演技派たちとの芝居を堪能したようだ。

 草刈は本作で昌幸を演じたが、1985年放送の『真田太平記』では信繁役で出演していた。いつか昌幸役を……と問いかけてみると「草刈さんは超えられないですよ」と堺らしい人懐っこい笑顔をみせるが「と言いつつ、やってみたい気持ちはありますね」と色気をみせる。また、他の役柄については「僕は最初は(大泉洋演じた)信之の方があっているのかもと思っていたんです。兄役が得意な僕と、弟役が得意な大泉さんが逆の立場を演じるんですからね」とキャスティングの妙を賞賛すると「秀吉や家康もやってみたいですね。でも佐助は(体力的に)無理かな(笑)」と語っていた。(取材・文:磯部正和)

 『真田丸』最終回はNHK BSプレミアムにて12月18日(日)18時、総合テレビにて20時放送。
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