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2016年12月16日07:43

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I AM から アナッタへ

I AMを経ずしてアナッタに至る道はない、これがOSHOの基本的なスタンスです。そうでないと、腑抜けた思弁的な非二元論に落ちやすくなってしまいがちです。

クリシュナムルティのまわりに、理論倒れ、思弁的空論、自閉的なプライド神学に陥ってしまう傾向が強く出がちなのもそのことと深い関わりがあると思います。

サニヤシンはクリシュナムルティも好きなひとが多いけど、クリシュナムルティ親派のひとはOSHOの名前に触れることさえ嫌うひとが多いのも面白い傾向だと言えます。
OSHOは白隠に近くて冥く、クリシュナムルティは盤珪さんのようにクリアーであり、明鏡と暗鏡の違いと言ってもよいかも知れません。

かつてシッキムのガントクに居を構えていた先代カルマパ16世は「自ら目覚めることと、その目覚めに人を誘う方便を身につけていることは別のことがらであり、OSHOはそうしたトレーニングを過去世で重ねてきているが、クリシュナムルティはそうではない」と語ったことがあります。

これは有能な選手が必ずしも名監督になれるわけではないのと似ていると言えるでしょう。

カルマパ16世の予言 その1
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1947004847&owner_id=64170
カルマパ16世の予言 その2
http://mixi.jp/view_diary.pl
カルマパ16世の予言 その3
http://mixi.jp/view_diary.pl
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