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2016年12月10日21:39

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いやな予感

少し前になるが、2016年11月21日、とんでもないニュースが飛び込んできた。

“興福寺は21日、工芸品1件と仏像5件(うち国宝4件、国重要文化財1件)に液体の痕が見つかったことを会見で発表した。”

ここ数年前から油のような液体が全国各地の寺院の仏像(国宝や重文)に撒かれるという遺憾な事件が連続して起きていたが、その事件の犯人は一応捕まっているはず(本当なのか?)なので、模倣犯という事になろうか。

今回も幸いなことに被害は甚大なものとはなってはおらず、一先ずはほっと胸を撫で下ろした。

しかし私はこの一報を耳にした瞬間は震撼した。
前回の時とは違う根深いような恐ろしさを覚えた。
ほとんど生理的に気分が悪くなり、吐き気のような感覚に襲われた。

国宝や重文の価値に優劣をつけるのは甚だおかしい事とは分かっているつもりだが、
しかし今回の“興福寺の仏像”は特別だからだ。

なにが特別かと言えば、
興福寺所蔵の数々の仏像は日本最高峰の宝であり、それは又同時に人類にとっての至宝(珠玉の芸術作品)であると常々私は思っているからだ。

興福寺には現在も老若男女問わず人気が高い天平時代の“阿修羅立像”や“四天王立像”(脱活乾漆造や木心乾漆の仏像=古代ギリシャ彫刻にも比肩される)他、鎌倉時代の傑作と評される仏像が数多く収蔵されている。

そしてその中でも、我が国屈指=仏像芸術の最高傑作と名高い“無着・世親立像”(運慶一門作)があるからだ。

私は、鑑真和上座像(唐招提寺所蔵)、あるいは俊乗房重源坐像(東大寺所蔵)等、
実在した偉大な高僧達の肖像(峻厳さを内に秘めた寛容さ、魂の高貴さ)に感銘を受けると共に、
しかしそれらを凌ぐ “無着・世親立像”(興福寺所蔵)の畏怖さえ覚えるリアリズム(美の崇高さ)に打ちひしがれるような感動を覚えたものだ。

一部の報道では、数年前の連続事件は基督教系新興宗教の信者(単独犯)が偶像崇拝否定(浄化・破壊)の目的で犯した事になっているが・・・

しかし私は、いやな予感(懸念)を拭い切れない。

どうしてもこれらの事件から昭和の“金閣寺焼失事件”や明治の“廃仏毀釈”の流れを連想してしまうからだ。

それがどうか私の思い過ごしであり、気のせいであってほしいと切にに願うばかりだ。

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