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2016年11月29日16:07

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缶切りを使えない、そもそも知らないという若者が増加中!? 悲観するより便利な時代になったことを喜べばいいんじゃないの

■缶切りを使えない、そもそも知らないという若者が増加中!? 悲観するより便利な時代になったことを喜べばいいんじゃないの
(キャリコネ - 11月29日 13:41)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4317071

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先日、ツイッターで「これの使い方知ってる人RT、知らなかったり見た事ない人ふぁぼ(いいね)お願いします」という投稿が話題になっていた。画像もついているが、なんの変哲もない缶切りだ。

11月30日時点で、当該ツイートは約2万1100リツイート、「ふぁぼ」は約1300という結果になっている。つまり缶切りを知っている人が多数派ではあるが、缶切りを知らない、という人もまた1000人以上はいたようだ。「98年生まれですが初めて見ました…」という反応もある。(文:松本ミゾレ)

昔は必需品だった缶切り、今はもうお役御免っぽよね

缶切りと言えば、個人的に印象深いのがフルーツの缶詰、それも黄桃がシロップに浸かっていたやつを思い出す。僕は子供の頃、桃が好きだった。だけどこの黄桃の缶詰は甘ったるくて苦手で、いつも祖母に「桃は好きだけどこの缶詰は嫌い」と伝えていた。

しかし僕の祖母は、「孫は桃が好き」という情報は覚えていても、「黄桃はNG」とまでは覚えていなかった。このため、しょっちゅうこの缶詰を買ってきては、缶切りで器用に開けて、僕に「食え」と差し出してきた。

そんな祖母は今も健在。この思い出話を聞かせたところ「ああ、最近はあの缶詰売ってないね」と返してきた。そう、今の時代、缶詰は売っていても、いずれもプルトップ型で、開けるのに苦労しない。昔のように、缶切りでギコギコやる必要がないものばかりになっている。

そのおかげで、若者の中には、缶切りを家に置いてないとか、そもそも缶切りを使ったことがない人も増えているようだ。

若者の「缶詰離れ」も起きている?

缶詰と言えば何と言っても保存食の定番だが、「しらべぇ」というニュースサイトが、昨年11月に興味深い記事を出している。

全国の1381人に、家に缶詰があるかどうかアンケートを実施したところ、79.5%が「ある」と答えていたという。

しかし、年代性別別にみると「ある」と回答した割合は50〜60代では男女ともに80%以上なのに対し20代女性では68.2%、同じく20代男性では58.5%となっている。若者の缶詰離れも起きているようだ。

また、昨年5月、象印マホービンが行ったアンケート調査も面白い。首都圏在住の小学生の子どもがいる母親に聞いているのだが、これによると、自分の子どもが缶切りで缶詰を開けることが「できる」と回答したのは、全体の20.7%だったとされている。

また、「できない」が19.5%。もっとも多かったのが「やらせたことがない」で、こちらが59.8%だった。

家に缶詰があっても、開けるために缶切りが不要という便利なものばかり。一応缶切りはビール瓶などのラベルを外すなどの使い道もあるにはあるけど、今の時代、もうなくても誰も困らない。

缶切りを見たことがなかったり、使い方が分からない若者が増えているというのは、それだけ日本が便利になっている証ということだろう。何より缶切りって、扱いが悪いと思わぬ怪我を招くこともある。見た目もちょっと危なっかしいし。缶切りを用いずとも気軽に開けることのできる缶詰。消費者目線では素晴らしいことだ。
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ちょっと感動した。この記事。缶切りって思わぬ怪我を招くとか、見た目もちょっと危なっかしいし、という最後の言葉。

こういう人が例えば包丁は使えるよ、と書いていたら、たぶん基地外としか思わないし、車って最高とか言っていたら、蛆が沸いたなとしか思えない。

ゾンビに襲われたときに、もっとも役に立たない刃物系が缶切りじゃないか。缶切り持つくらいなら、ジュースの缶に穴を開ける先のとがった栓抜きみたいな小さいやつの方が、まだマシである。

缶ジュースのオープナーというらしいが、ま、要はてこの原理である。缶切りもてこの原理であるが、なんども往復運動しやすいように出来ているわけだ。

つまり、あれを危険という考え方を敷衍すれば、この世界のあらゆるものが危険であるという平凡な結論にしかたどり着けないはずである。斬新な視点は常に詰まらない結論にたどり着く見本であろうか。

しかし、缶切りを知らないというのは、ひとつには家族の問題であろう。親が教えなくていいと思ったという話である。

普通はもう使わないけど、経験させておこうかな、という感じで、昔のものに触れさせておくことはするだろうと思う。

缶切りもそうだが、可能なら五右衛門風呂とかもやっておいた方がいい。ほかにも薪を切ったり、もちを突いたり、稲を鎌で刈るなどである。

これらのほとんどが田舎の農家でなくては味わえないものばかりだ。確かに百姓という名前にふさわしく多様なのである。おそらく、そういうものに対する需要はいまや強くなっているのでないか、子供を連れて、30年代の昭和というのを体験できる温泉宿などがあればうれしい、かも知れない。

もちろん、タイムマシーンではあるまいし、30年代に戻っても仕方がない。それらを体験することと、例えば空調施設、ウオッシュレットが完備は別の次元である。

いずれにしろ、そういうのを知らないことは本人だけのせいではない。しかし、例えば、お店にいけば、いまでも缶切りを必要とする缶詰はおいてある。

そういうものになんらの注意も払ってこなかったといういい方もできるわけで、注意力散漫ではない証拠なのだが、ハンズなどでぶらぶら色々と見て回れば、まったく触れないとも思えないわけだ。

ということは、人生のどこかでは知ることになるだろうし、知らないまま過ごすのは本当に幸せかという話である。

生きてきて一度も缶切りと出会うチャンスがない人が、ほかにも何かを見逃していないかということは、ひとつの興味ある話題になるだろうし、逆に言えば、貴族の人が、パンがなければお菓子を食べればいいじゃない、と語ったように、缶切りを知らない人は、その代わりに知っていることがあるだろう、という推測も成り立つ。

一概には言えないが、異なる生活圏というものが多様に重なり合っているようにも見えてくるように思える。
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