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2016年11月20日21:15

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今日の『真田丸』

先週、徳川への内通者は織田有楽斎か大角与左衛門(厨の爺さん)かで、結局わからないということで終わりましたが、今回はっきりと織田有楽斎が徳川と通じていたことは明るみに出ました。

では、大角与左衛門は無罪かとなると、どうもこれもあやしい。
扱われ方がただのモブではなさそうです。

また、明石全登がミサがあるなんて口実に言っていましたが、それは口実なのは見え見えです。
ミサはふつう朝に行うもので、夜に行うのは聖木曜日、復活徹夜祭、クリスマスくらいです。
今でこそミサの中での聖体拝領より計算して1時間前以降は何もものを飲み食いしてはいけないとなりましたが、この当時は朝起きてから聖体拝領までは何も食べてはいけなかったのです。
だから、朝にミサをやらないとお腹が減ってしまいます。
一般の信徒がミサに与(あずか)るのは日曜日だけですが、聖職者は毎日ミサを挙げます。
平日のミサは、この時代はふつう起きたらすぐ、朝食前に挙げてしまいます。
それから心おきなく朝食を食べるのです。
ちなみに、このころが一日二食から三食への過渡期ですね。
日本での二食は朝と夕だったので、朝食よりも先にミサを捧げたのでしょう。

ヨーロッパでも不思議なことに時を同じくして一日二食から三食になっていきました。
でもヨーロッパの場合、昼と夕で一日二食だったのです。
だから、午前中にミサを挙げればよく、それほど早朝でなくてもよかったのです。

時に浪人たちは明石全登のことを「バテレンさん」とよんでいましたが、本来「バテレン」はポルトガル語の「パードレ」がなまったもの。
「パードレ」は本来は「父親」という意味ですが、教会の中では司祭のことです。
(日本語訳は「神父」というし、英語でも「Father」ですよね。ちなみに修道士は「Brother」、修道女は「Sister」です。)
ところが本来の「司祭」という意味から転じて、キリスト教全体を「バテレン宗」などと呼ぶこともありました。
だから、司祭でもない明石全登を「バテレンさん」と呼んだのは司祭という意味ではなく、キリスト教徒という意味で、だから明石全登を「バテレンさん」と呼んだのはそういう意味だと思います。

ということで、今日はこれくらいしか書くことは思い浮かびません。

ドラマはいよいよクライマックスに近付いてきていると感じています。

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