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2016年11月05日11:52

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コンテンツ制作能力と収益構造

放送による広告と言うのが、新聞などの紙面やチラシなども含めインタラクティブでないというくくりで既存のマスコミのスタイルを定義できるかな。
これが収益構造の主幹で、ここに物理的な新聞、雑誌などの販売、そしてそれらを編集した書籍と言う商品群がある。後者は紙の束という形態を持ってはいるが、使用されている紙の価値は全体のごく一部であって大半は情報料というコトになる。そういう意味では、DVDなどの記録手段やネット配信も費用と言う点でそんなに大きなアドバンテージがあるワケでも無いと思う。

問題は、新聞や雑誌で提供した情報を利用者側で再利用しようと思うと、膨大なスクラップブックとか使い勝手の悪いモノになってしまうことで事実上、発信者側で情報を整理しなおして出版した書籍などの価値を生むことになっていた。
まあ、新聞社や雑誌社でも保管されてる原稿を再度整理して出版するのだけれど、意外に雑なモノで原稿を紛失してるなどというコトも多々あって、バックナンバーから原稿を起こしたりもしていた。w
これはほんのちょっと前の話ではあるのだけど、今はデータ化されたファイルが社内サーバーに入っているというだけの違いだ。新聞は自社専用のソフトを使ってるかもしらんんが、雑誌はInDesignが多いのではないかな。

これらのデジタルデータは、それが何であっても再構成して書籍にするのはとても簡単だ。
しかし、データにされた時点で、書籍化する意味が無くなってしまった。
膨大な元データから必要な情報を引き出すことが簡単だからだ。
新聞を何年分も保管すれば、その紙の山には確かに情報が詰まっているが、特定の情報を取り出すのはとても大変だ。実用的には無理と言っても過言ではないが時々図書館でそれをやってる人があるな。しかしそれがデータなら誰でも簡単に必要な情報を引き出せる。
そういう意味で新聞や雑誌は大きな収益構造に問題を自ら作ってしまった。
何となくそう思うだけだが、新聞や雑誌の配信している情報は2年くらい以内に消されてる。
サーバーの容量にも限度はあるだろうが、再構成書籍の売り上げを確保するためかも。w

テレビ放送と言うのは、受信料の件は別件としてここでは語らないこととすると、収益の主幹は広告料というコトになる。この他の収益は放送したコンテンツの再販売…いや、別に放送することは必須でないが。
コンテンツを作るのには金がかかる。そのお手当をどっから持ってくるかという問題だ。
しかし先ほどの新聞雑誌と違って情報の再構成による商品は、アナログで放送してた頃からビデオ録画と言う手段があり、他局、他国で放送する場合などを除いた個人向けでは大きな商売にはならなかった。
デジタルになってHD録画になったら余計にそういう傾向が強まったのではないか。

広告は大きな市場だ。例えば家電メーカーなどはどのくらいを広告費にあてているだろう。
商品のニーズを探り、デザインして、研究開発して材料を買い集め、製造設備を整えて商品を作る。商品を店まで運んで声を枯らして消費者に買ってもらう。
割合は個々の会社の考え方によって違いがある。しかし…85〜95%というのが普通だと思う。
母数は売上でも利益でもいい。まあ、販売店卸価格は大体30〜60%くらいだから、この数字、製造元で負担している広告費だけでないんだけど。いずれにせよ商品を買った代金の大半は、商品を買おうとする気持ちを高めるために使われてたワケだ。
コピー商品や、ちょっとグレーなあやかり商品は、ここの費用を圧縮できるわけだからかなりいい利益を手にできる。2匹目のドジョウとかマネシタ産業なんてのもここら辺に関係する。

既存の手段による広告と言うのは、ただ発信するだけで結果が見えていなかった。
調査をするとひとつの広告によって直接的に購買につながる率は1/1000前後らしい。
これに人を介在させると、その程度によっては1/100と10倍近い成績が得られる場合もある。
しかしテレビ放送は、地域に垂れ流すワケだから母数を巨大に設定できる。販売者にとっては魅力的な手段に映ったワケだ。
また、商品の売れ行きは広告の出来不出来もあるが他の要因もある。結果的に広告の効果は広告屋自身が調べた効果の数字を信じるしかなく(信じる方がどうかしてるが)それによって膨大な市場が君臨していたワケだ。

しかし、ネット上で検索連動型の広告が…ある意味インタラクティブな傾向を持つ広告が登場したコトによって、この様相に変化が見えて来た。
ネット情報による広告は、そのまま販売サイトへ繋がり、実際の売り上げという終着点まで到達する。ネット情報を見て店舗で買うひともあるからそれだけでは無いのだが、現実の購買行動はかなり説得力がある。
あるジャンルに競合がでてくると一般的に品質が下がる。ワシら愚かな消費者は競合して商品の質が上がることを期待しちゃうんだけど、そうはならないみたいだ。
同じような商品が増え、新機軸はみなくなる。
今のネット上の広告システムは限りなく無能で売り上げの増加の役に立ってない。
自分の周りに自分が興味のある情報が増え、そこに潜り込んだステマが魅力あるものに思えてしまうような本当の情弱が引っかかっているばかりだ。
いずれにせよ、広告費として計上された予算はここに流れ込むようになった。総額が減ってる気がするのが不安だが…まあ、この仕事はしばらく糊口をしのぐのに役立つだろう。

さて、ネットを見ていると…例えばYouTubeなんかでも、ひとつひとつの情報はたわいもないモノが多い。秀逸なのは少数だ。
ああいう低品質なのをみて面白いと思うのは、文化の共有意識があるためだと思う。
つまるところ、自分の学校の学校祭だから、あのへたくそな演奏を聴けるのだ。
共有する意識が無かったら足を止める者すらいないだろう。
ネット上の多くのコンテンツは、ともにネットを盛り立てて行こうという利用者を巻き込んだ共有意識によって成り立っている。落ち着いてみれば価値のあるコンテンツは本当に少ない。
ちょっといいものがあったと思うと、テレビ放送を録画したモノだったり。
まあ、その道のプロでなく我々利用者と同等の立場の素人がやってるみたいだから共感するワケだ。

まあ、ネットはまだ揺籃期でこれから優れたコンテンツを作られるようになるだろう。…とも思えるが、媒体が何になろうともコンテンツを作るのはスペシャリストな連中。という考え方もある。
ネット配信に収益性があれば、同じ専門家集団がネット向けに良質なコンテンツを流すようになる。金儲けと言うより、構造的に成立するかという部分。
今まで、新聞雑誌、そんでテレビも含めて、総合情報産業的に様々なジャンルから情報を集め、再構成して利益を載せ販売してた。
マスコミの繁栄は、発信者の寡占が保護されていたから成り立った利権商売なのである。
このシステムの欠陥は、意味も解らない素人がもっともらしい嘘ばかり並べて、情報を垂れ流していた点にあって、結局はそれが自らの不信を招いてしまったワケだ。

これからの時代は、それぞれの元のコンテンツを持つところがそれぞれ独自に価値のあるコンテンツを配信する形になってくのでは無いかと思う。希望も含めて。

…とは言え、広告以外のコンテンツ販売に関するイメージは漠としてわからないというのは変わらないんだが…



■TV全番組ネット同時配信「20年までに」 有識者会議
(朝日新聞デジタル - 11月04日 19:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4276858
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