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2016年10月15日17:57

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【スメラミコト】って何?。私達人類は宇宙のどこからかやって来たのか?。

http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=447


日本の神道系ではよく【スメラミコト】が言われます。それは日本の天皇を指しているとされます。しかし、漢字で言うと「皇(スメラ)尊(ミコト)」、あるいは皇(スメラ)命(ミコト)の意味であって、天皇という漢字に「スメラミコト」を当てると本質的な言葉の意味を失わせてしまいます。


この【皇】の字は、本来は天帝たる神、万物の主宰者を意味したもので、絶対的な神に対する言葉であり、その天帝から降りた天子の意味も含めて中国で【皇帝】などに使われたのであり、日本でもそれに習って天皇家に「皇」の字を置いただけでしょう。
そもそも【皇】の一字を「スメラ」と呼ぶことさえ、日本語の観点からするとよく意味が解らないはずなのです。中国語の字音で「皇」は「コウ・オウ」です。また皇帝の【帝】も万物を主宰する最高神の意味で、中国での字音は「テイ・タイ」となりますから皇帝と書いて中国語でコウ(皇)テイ(帝)で、私達はそのままの字音を使っています。なのにどうして「スメラ」かとなると、その源は中国からではないとなります。すると、その「スメラ」の言葉はどこから来たのかとなります。

一部の行者・霊能者間で、この「スメラミコト」に「イエス」を当てるがあります。そこに隠された意味は「旧約聖書」に残される人類の終わりの日の前に、人類を救う為に旧約聖書の神は自分の御子を人類の上に遣わすがあります。まさに天から降り立つ創造神の御子です。その創造神の御子のことを【スメラミコト】と称する説です。それに該当したのがイエスだとの認識です。これは西洋では「キリスト」たる言葉の存在ともなるのです。


キリスト教はナザレの「イエス」をその旧約聖書の御子「救世主・メシヤ」に仕立て上げましたが、ユダヤ教はそれを認めていません。またイスラム教の開祖ムハンマド(マホメット)も、イエスは偉大な尊敬される大預言者とはしましたが、旧約聖書に記載される人類の終わりの日の前に現れる「救世主・メシヤ」たるキリストたる存在とは認めていません。

一部で旧約聖書に記載される「救世主・メシヤ」は日本人だと唱える方達があります。それは日本語の「スメラミコト」がその意味を持つからです。そうした中で日本の皇室絶対主義の方の中には、今生天皇(平成天皇)がその「救世主・メシヤ」たる存在とか、現皇太子がそれに該当するとか、現皇太子ではなくて「愛子」さんが該当者だとか唱えておられるような方も見受けられます。

私が神霊界修行として日本神道の世界から入って非常に驚いたのは、日本神道とは【旧約聖書】の世界なのか?。なのです。それはやがて解って来ました。日本神道とは【旧約聖書】の世界なのです。ただユダヤ教などでは厳密な一神教ですが日本は絶対的神が消されて多神教となっているので、主体は八百万の神達となります。それ自体は神界のピラミッド構成からすると、頂点は唯一の神であり底辺は八百万の神達となります。
例え創造神の存在が消されている日本神道でも、その存在はあると見て行くと【日ユ同祖論】も起こるべくして起こったものと言えるでしょう。


ただ、それは今の歴史を紐解いていくら論じても解りません。霊的世界を探っていると今の人類が知らない歴史があると言えます。その為には、聖書で言われる「水による大審判(ノアの箱舟)」が有ったのではないかという考え方は必要かも知れません。ノアの箱舟の洪水以前の中東に日本人の原点もあるなのです。

私は今生天皇(平成天皇)は、非常にご立派な天皇だと思います。しかしながら、救世主・メシヤを意味する【スメラミコト】に該当するかとなった時、それは無理筋だと言わざるおえません。人間の天皇であって神ではあられない。それでは旧約聖書が記す万物の創造神の御子たる【スメラミコト】には該当しないであろうなのです。
日本神道で語る「天照大御神」とは、仮に皇室の先祖霊だとしても旧約聖書に記される創造神とはまったく別物だからです。創造神に天照大御神を持って来ても意味が通じません。

私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声は、【日本神話の神代の話は、私が世の立替の予告の為に創作させたものであって事実の話では無い】と言われます。また、私が神霊世界に飛び込んでお世話になった豊受の神からも、日本神話の神代の話は事実では無いと承りました。だが、それが絶対的正しいとは私も申せません。
大本教の出口王仁三郎聖師から素戔嗚尊の【ス】の神論が展開されました。その【ス】の神はそれ以後の新日本神道系の中で【主(ス)神】論として大勢を占めています。しかしその素戔嗚尊とは、日本神話の中の伊弉諾尊の御子である素戔嗚尊ではないのです。宇宙創造神に対しての【ス】の神論なのです。


大本教で展開された霊界物語で主神は一柱神であり、霊界の愛国では主神は霊界の太陽たる天照大御神と顕現し、霊国では主神は霊界の「月」たる素戔嗚尊として顕現するとあるのもそこにあります。
つまり全宇宙を「○」として、その中に「核」を入れますと、その「⦿(目)」は昼は天照大御神であり、夜は素戔嗚尊とするわけです。そこに出て来るのは



真性【天照大御神】も素戔嗚尊も同一神



私は大本教神諭予告【九つ花】を紐解いて【ラ】神論となりました。これは日本神話に当てはめると天之御中主であり真性【天照大御神】ともなります。その大本教から言葉は【御言(ミコト)】であると出されました。ミコトには「命」の字がありますが、全ての命は【万物の創造神のミコト(御言)】にあったは、宇宙の初発の映像からすると間違いはないのです。その大本教から出されたのは【ス】のミコト(御言)なのです。
聖書では、これを【始めに言葉は神と共に在った】としたのです。


日本神話の素戔嗚尊とは伊弉諾尊から単独で生まれた三貴神とされていますが、大本教からは素戔嗚尊は月の母神である豊国姫(神界では豊雲野尊)の精霊体(御子)だと出されましたが、月の神なので「月夜見尊」でもあるのです。
一部の霊能者の間で素戔嗚尊=月夜見尊とされておりますが、それを知るには神界の深層(真相)に入らないと解りません。


そうなりますと、神の両目として「素戔嗚尊(月夜見尊)」の「ス神」論と真性「天照大御神」の「ラ神」論が成り立ちます。この二つの目(メ)は「ス」と「ラ」の御言(ミコト)です。だが本質的には「目は一つ」なのです。
大本教神諭に「一つの魂を二つに割って、東西で御用させてある」とありますが、これはその⦿(目)の半分は「素戔嗚尊」の神格で、半分が真性「天照大御神」の神格を保有している⦿(魂)という意味なのです。魂の半分は「瑞霊魂」であり、半分は「厳霊魂」になっているなのです。


皇の字は白(百引く−)の王で、九九理(ククリ)であることはスピリチュアルでも盛んに言われていることです。ただそれが「白山ククリ秘め」ばかりに向かっているので、御言(ミコト)の仕組みであることに気づかないわけです。

皇のミコト(御言)は、九九理(九つ花)秘めで解ける

スとラの目(メ)

私が大本教神諭予告「九つ花」から導き出したのは「米」の教えで、メシヤ(飯屋)の教えであり、「ス神の目にラ神」を置く「御言(ミコト)」と言えなくはないのです。
そこに、この「ス」の神と「ラ」の神で出させる「ミコト(御言)」は、「救世主・メシヤ」の意味すら出るのです。九つ花は「米」型で飯屋(メシヤ)であり九九理の「九制主」ともなるからです。


この日本で自分がその【スメラミコト(創造神の御子)】と称しておられる方はあります。だがそれはどこまでも御本人の自称であって、本当にその方がその該当者だと言う証拠はどこにも上がっていないと言えます。


一部の方の俗説に、霊的世界など絶対に認めない唯物主義の学者の間では誇大妄想と揶揄される論に、このスメラの言葉は【Sumer】であって、その言葉のルーツはメソポタミア文化のシュメール(Sumeru)からだとする説があります。
「SumerとSumeru」の違いです。
こうした論を頭ごなしに否定するは、霊的世界の存在を絶対に認めない唯物主義の学者の考え方なのです。自分自身が霊的世界に関わって神々と呼ばれる霊的存在を見て、私は日本語とシュメールの間には何らかの関わりがあると感じたのです。それは日本神界が旧約聖書の世界かと思わせることと、旧約聖書の原典を追求して行くと「シュメール神話」にぶつかるからです。
学者と言う方は言葉の発音記号が少し違うと別物だの一点張りになってしまい、視野が非常に狭いがあるからです。言葉はなまれば発音は違って来ますし、日本語となったポルトガルから来た言葉でも現地ポルトガルとは発音が違うのは当たり前だからです。

日本の皇室で使われる【十六弁菊花紋】はシュメールの遺物に太陽の徴として見られるわけですが、私が霊的に見せられたのは、この十六弁とは「菊」の意味ではなくて「光」の象徴を指していました。私が霊的に見せられたものからすると、日本の十六弁菊花紋は「天照大御神」を意味する神紋ではなくて「伊弉諾尊」の方でした。
私達日本人は日本神話の内容に飼い慣らされているので、どうしても天照大御神は女神だと決めつけに走ってしまいがちですが、大本教霊界物語という限定されたものにはなりますが、大本教霊界物語では「国常立尊」様が「伊弉諾尊」様を「日の神界」の主宰神と定められたとあります。その日の大神たる神紋が「十六弁菊花紋」です。



十六と書いて「イザ」



十六夜(いざよい)と言いますが、私は何故十六と書いて「イザ」と読むのか意味が長く解りませんでした。だが伊弉諾尊の十六弁の徴の教えで気がついたのです。そのイザの語源はよく解りませんが、イザヤ書のイザヤでは無いようなのです。

更に旧約聖書の原典を探って行きますと、シュメール神話へと入って行きます。しかし、古代エジプト文明とかメソポタミア文化とかシュメール文化などと論じる必要はあまりないのです。それらはたかだか数千年前の人類の歴史の話でしかないからです。

私達の魂は宇宙のどこからこの地球と呼ばれる星にやって来たのか?。こちらの方がより重要なことだからです。


大本教霊界物語に主の神【35万年前に御引退】とありますが、今の人類が知る歴史とは遙かに後の話だからです。神々の因縁とは、もっと古いことなのです。
ただ、今の神界は大本教神諭にある後発の神(枝葉の神)が盛んなので、根元の神の存在が忘れられてしまっていると言えます。創造神と呼ばれる様な存在の神が、貴方の現世御利益に関係しないということなのです。それらの後発の神(枝葉の神)は古代のことは何も知らないで、何を聞いても解らないなのです。
そうしたことはいくら考古学的な発掘をしても、古文書を研究しても明らかにするのは難しいのです。それは三次元物質界ではないから解らないなのです。

私は子供の頃、夜空を見上げて自分の故郷である星に帰りたいと泣いていました。その時に旧約聖書の神と名乗る声が私に臨んで、【そなたはこの世に降りた使命を果たさないのであれば、故郷の星に帰って来る必要が無い。地球と呼ばれる星で永遠に「輪廻転生」をしていなさい」と申し渡されたのです。


それよりも幼い頃から、自分は宇宙の星から人間界に「密命」を帯びて降ろされたと何故か知っていました。だがその「密命」が何であったかが今日迄も思い出せないのです。ですからその霊の言葉を疑問視することなく聞くことが出来たのです。
私は長い間自分が出た星を探しておりましたが、宇佐八幡宮の使いと称する方から「貴方はプレアデス星(スバル星)出身です。」との連絡があり、日本神道で使われている神々の名はプレアデス星のものと告げられて、日本語という言葉はプレアデス星から来ているのかも知れないと感じたのです。


私達人類は宇宙のどこの星から地球にやって来たのかとなりますと、プレアデスとかシリウスとかオリオンだったりしても別に不思議ではないのです。ただ、元の星に帰れなくなって地球で輪廻転生をしているなのです。

私達の魂の「輪廻転生」とは何もこの地球上だけの話ではなくて、宇宙の星にも転生しているのです

元の星の世界に帰る話が「かぐや姫」物語となるのです。世の大立替と呼ばれている一環には、自分の魂が生まれた星に帰るも含まれて来るのです。その「かぐや姫」の迎えを現代風に語ると【UFO】ともなるのです。



各自の魂は、その魂が分派した段階を遡って行きますと、自分の魂の本体たる【正守護神・本守護神】にと遡って行き、自分が過去世には宇宙に在ったと解って来ることなのです。



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