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2016年09月19日16:46

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8-25 丹沢湖から水ノ木林道を経て山中湖へ

2016年8月25日

丹沢湖→浅瀬→水ノ木林道→水ノ木→旧 本州製紙の山神社→切通峠→山中湖


画像は、
木々に護られる水ノ木の山神社、
夏の緑濃い水ノ木林道、
暮れなずむ山中湖畔と富士


http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000101009709&owner_id=12844177


0、晩夏の西丹沢 世附へ

ようやく塾の夏期講習が終わり、鈍った足に活を入れるべく西丹沢へ。
この日は20年 生きた実家の初代猫 トラくんの4回忌の翌日であり、帰りに実家に寄る予定だ。

西丹沢自然教室のブログによると首都圏を直撃した台風9号の影響で西丹沢の登山道では木橋流出などの被害があったが、総雨量が最も少なかった世附川流域なら歩くのに特に支障も無さそうだ。

世附川流域は現在では西丹沢の空白地帯といわれ、昭和30年代前半まで林業関係者の集落や木材を運び出す森林軌道があった大又の地蔵平と水ノ木も今は朽ちかけた遺構を残すのみでほぼ跡形も無く、山梨及び静岡の県境に至るこの広大な流域及び国有林の山域に人は居住していない。

立ち入るのは渓流釣り師、林業関係者、そして数少ない登山者だけで、到底、首都圏の神奈川県とは思えない山深さと静けさを保っている。

世附川の周辺には、江戸時代の甲相国境尾根紛争に深く絡んでただならぬ歴史を秘めた山神峠の山神社を筆頭に、謎の神々である白旗社、天獏魔王社(この二つを合わせて他の村からは「足沢権現」と呼ばれていた(新編相模国風土記稿)といった石造社がある。

今回は1年半ぶりにこの足沢権現に詣で、さらに奥の水ノ木で山林経営をしていた旧 本州製紙の山神社を初めて訪ねる計画だ。

西丹沢自然教室行きのバスに乗り込んだ乗客の半分以上は松田警察署の署員たちで、登山者は僅かに7人ほど、さすがは平日だとあらためて実感した。

警察署を過ぎると登山者だけとなり 、すっかり足取りが軽くなったバスは西丹沢へとひた走る。


1、神々の領域は工事中

丹沢湖で降りたのは自分だけ、時刻は8時半、既に陽は高く上り、強烈な陽射しが照りつける。

草地にユリが咲いていたので近付くと、大きなバッタが力強く跳ねた。
30年前、自分が小学生の頃には横浜市中心部の近くでも原っぱや雑木林にはバッタやカマキリがたくさんいたが…
昆虫探しに夢中だった少年時代のときめきがよみがえる。

丹沢湖周辺の山々をひととおり見渡してから落合隧道に入る。
隧道を抜けてひたすら西進し、丹沢湖に沈んだかつての世附集落の望郷の碑を湖畔に見てさらに歩いていくと、やがて浅瀬に至る。

陽炎が揺らめく舗装路が終点に近付くと、川岸にある迷彩の簡易テントから望遠レンズが突き出ていた。
この暑い中でお目当ての野鳥の飛来を待っている人の邪魔をしないよう、足音を立てずに脇を通りすぎる。
テントにこもる熱気の中、目を凝らし続けたレンズの向こうに待ち焦がれた野鳥が現れた瞬間の胸の高鳴りや、巣での子育ての様子を観察している時の楽しさは自分にも想像できるような気がする。

浅瀬のゲート手前や斜面上方には家並みが見えるが人が住んでいるのかどうかは判然とせず、いつも静かだ。

ゲートを抜けて浅瀬橋を渡ると右に地蔵平への大又沢林道を見送ってここからは 国有 水ノ木林道となる。

椿丸への取り付きを過ぎ、まだ日陰で暗く全貌が見えない落差70mの夕滝を横目に進んでいくと、工事車両に追い抜かれた。
そしてその先には工事中を示す標識があった。
芦澤橋を渡ったところに工事関係者がいたので「この先は抜けられますか?」と尋ねてみると、問題無いという。

平成22年9月の台風に伴う記録的な集中豪雨で林道の法面は各所で崩壊し、浅瀬では土砂崩れで建物が押し流される被害も出た。
一昨年歩いた時にもまだまだ崩壊は生々しく、コンクリート擁壁が斜面からずり落ちてひしゃげたガードレールが垂れ下がっていたり、水面から高い位置にある芦澤橋の欄干に流木が突き刺さっていたりと、自然の凄まじい猛威を痛感させられた。

しかしさすがに国有林を擁する幹線林道、その後 復旧は浅瀬側から順調に進められ、今回は芦澤橋の先の大崩壊地の修復が大規模に行われていた。川岸では重機が土砂の除去作業をしている。

目的の一つだった足沢権現は工事区域の中にあるので今日は訪問できない。古の神々も工事の音に驚いているだろう。

気を取り直して先に進むと、朝の釣りを終えたらしい高齢男性と擦れ違う。この後、山中湖側に下山するまでに出会ったのはこの男性だけだった。

まだ修復は手付かずの二つ目の崩壊地を渡り、山神峠への取り付きにあたる旧 三保山荘への壊れかけた吊り橋を見送って先に進む。

この先は未踏なのでわくわくする。


2、水ノ木 旧 本州製紙の山神社

峰坂峠あたりまで詰め上がるらしいブル道を見送り、草に埋もれそうな大きな廃倉庫を見て進むと「山百合橋」があり、いよいよ世附の奥地に入ってきたという実感が湧いてくる。

地図を家に忘れてきたので山には入らず、地図を見た記憶だけを頼りにひたすら林道を歩く。
東海自然歩道のサブルートではあるが、展望も何もないこのルートを歩く者はなく、道をどこまで歩いても誰にも会わない、というのはある種の修行というか、自分が何かしらの哲学を求めて歩いているような心境になる。

また、今日どこを歩くのか家族に連絡せずに来てしまったので、誰も自分の居場所を知らない。

11時50分、「水の木橋」にたどり着いたが地図の記憶よりも随分遠かったように感じた。
苔蒸した階段の先に台地上の地形があり、林業関係者用の休憩舎が見えたが人の気配は無い。
一旦 素通りし、踏み跡を辿って沢に下りてみた。

沢は幅が広く穏やかだが今にもクマが出てきそうなほど静かな山域で、近くに無人の建物があるとかえって静けさが強調される。

本線を外れて支線の林道に入ってみると、ひたすら自然林と沢が続くだけでどこまで道があるのかもわからない。
こちらはまたいつか探検する事にして、引き返して先程の建物を目指す。

台地状の地形は広場のようになっており、旧 本州製紙の「水ノ木 休泊所」は一段 低いところにある。
築 何十年とも知れぬ古い平屋建てだが、今にも人が出てきそうなほど掃除が行き届き、宿舎としての長期使用もできそうな雰囲気でとても丁寧に使われているのがわかる。

裏に山神社があるはずだ、と回り込んでみると径路が山に続いており、鳥居の奥の樹間に社が見えた。

この山神社については山神の研究家である佐藤芝明 氏の著書 「丹沢・桂秋山域の山の神々」(昭和62年)から引用する。

「馬印と水ノ木は同じ所であり、水ノ木沢の沢音が谷風と共に吹き上げられ、馬印のところで渦を巻いていた。水ノ木沢林道を少し入ると、左手上に、本州製紙の山林宿舎があった。こぎれいに整理された宿舎の裏手に小路があって、小尾根に通じている。 ここに丸太の鳥居があり、鳥居からは急な勾配の参道となっていて 、一気に奥の社に突き上げ、荘厳な雰囲気に包まれている。参道の両側から社の裏まで、ブナ・欅・カエデ・樅・ミズナラなどの大木が聳立し、参道のあちこちにその根を露出している。

社は一坪に満たないこぢんまりしたものであるが、よく見ると総欅造りであり、余計な装飾のない代りに、木組みなど寸分の狂いのない作り方であった。広大な山林経営をロングレンジのサイクルで行っている本州製紙の社風というべきか、経営理念と言うべきものがこの社に現れていた。社の中には神体を示す木碑が収められていて、その板の上には次のように印されていた。

奉修 大山祇大神(オオヤマズミ)

静かな山神社に立っていた私は、谷を渡って来たひよどりの一声に振り返った。見ると水ノ木沢の対岸にせまる稜線が樹林の間に見え、そこには座禅でも組みたくなるような澄み切った空間が展開していたのである。この山神は、ここに鎮座し、本州製紙の山林や山林関係者のみならず、世附川水系の全山林や、この谷に入谷するすべての人々の安全や管理など一切を司っていると確信したのである。」

ついに自分もこの念願の山神社を訪ねる事ができ、感慨も一入だ。ぜひまた別の季節に再訪したい。

社を後にして林道に下り、再び本線を辿る。左下には沢が続いている。
(西丹沢の名瀑の一つ「大棚」は見逃した。)


3、切通峠

樹間から覗く空には白い雲が増えたが必ずどこかには青空が見えている。
この時にはもう、県境の切通峠を越えて山中湖に下ろうと決めていた。
水ノ木を過ぎるとますます現在地がわからなくなり、ただ時折 現れる東海自然歩道の道標に従うのみとなる。

やがて切通沢橋を渡ると少し勾配のついた道となり、目視で前方の稜線に峠があるかと目を凝らすが判然としない。
ここからは首から下げた自転車のベルを頻繁に鳴らしながら進む。

沢屋さんや釣り師くらいには出会うだろうと想像していたし、山中のバリエーションルートではなく林道という正規の道なのに、朝から延々と続く無人行路。

11月まで休猟の世附猟区で増えているはずの鹿にすら一向に会わないとなると、そろそろ森のクマさんこんにちは、となりかねない。

14時10分、林道が終点となったところの道標には「 浅瀬入口バス停 15.1km 切通峠 1.0km」とあった。

峠まで1kmは山道らしい。ここまでは林道とはいえ上流に向かうほど土の匂いが濃厚で山深さも増してきたので藪を懸念していたが、幸い径路に藪は無い。

最初だけ赤テープがあったがすぐに無くなり、東海自然歩道とは名ばかりの心もとない薄い踏み跡を辿る。
樹林帯だが鳥の囀ずりも無く、ひっそりと静まりかえっている。

つい手っ取り早くその辺の尾根に乗りたくなってしまうが、尾根を詰めて峠に出るわけもないので、トラバース径路を見極めてひたすら辿る。
浅い谷の斜面を巻くように奥へとのびている長い径路を行くと次第に道がはっきりしてきて、前方には午後の日射しを受けた鞍部のような地形が見えた。
そしてそこが、目指していた切通峠だった。

かつて甲州 平野村から相模の世附村にはこの切通峠を越え、さらに駿州の駿河小山には明神峠を越えたという。
峠を境に空気や風土が変わったように感じたのは気のせいだろうか。

左に三国山、右に高指山を示す東海自然歩道の本線の道標があったが、14時50分、地図が無いので素直に山中湖を目指して下山する。


4、黒猫

斜面を削って掘った溝のような道をどんどん下っていくと、間もなく土のグランドが現れた。

峠から僅か15分、15時05分に下山完了。

ここは山の緩斜面に造成された簡易なサッカー場で、誰もいない。
そう遠くない距離からスポーツをしているらしい声がするので、さらに下ったところにもグランドがあるようだ。

ベンチにザックを置いて一息つき、着替える。
丹沢湖畔から歩いた距離は20kmあまりだが、数字以上に遥々歩き続けてきたように感じられ、達成感と同時に全身の筋肉の強張りを覚える。

グランドの端に転がっていたソフトボールの遠投に挑んでみたら、腿の裏と肩の筋肉が同時に悲鳴を上げた。

朝の浅瀬で拾い、ここまで世話になった熊対策の棒に別れを告げて、草原やグランドが見渡す限り広がる景色の中をさらに下ると、不意に目の前に黒猫が飛び出し、まとわりついてきた。

そこは雑木林を背にした人の気配の無い別荘のようなオシャレな家の脇だが、庭にはゴミの入ったドラム缶があり、物置の扉は開け放たれて中は雑然としている。
何となく、荒れた雰囲気が漂う別荘だ。

ずっと前からここで人を待っていた、とでも言うように甘えてくる黒猫を放っておけず、ザックを下ろして周囲の様子を伺う。

やはり家に人の気配は無く、道路との境界のフェンスが無いのをいいことに敷地に入って物置を覗きこむ。
すると、この猫のものらしい幾つか連結した金属製のケージと、寝床らしい布、乾ききって餌の残滓がこびりついた容器、更に水が入ってないお椀があった。

この別荘の主は飼い猫を放置したのか、それとも週末だけ戻ってくるのか、あるいはそもそもこういう飼い方をしているのか、事情はわからないが猫は特に痩せてるという事も無く元気ではある。

ともかく甘え方が尋常ではないので、横浜の実家に寄る時の為に準備してきた猫用のクッキーをザックから取り出して与えてみた。
すると案の定、袋ごと食い破らんばかりの食いつきで忽ち食べきってしまった。

あらためて全身を撫でてみるが皮膚の異常やダニの食いつきもなさそうだ。
じっくり見てみると黒猫というのは眼の金色と舌のピンク以外はすべてが真っ黒で、真っ黒な猫とこれほど触れあったのは初めてなのでうれしいし、この人は猫好きだ!と見抜いてすり寄ってきたのかもしれないと思うとその眼力がまたなんともうれしい。

膝にも乗ってきたのでしばらく撫でていると「別荘地パトロール」と書いてある車がゆっくり眼の前を通過し、またゆっくり戻ってきた。長居すると不審者だと思われかねない。

再びザックを探すと魚肉ソーセージが出てきたので、細かく切って与えるとこれも嬉しそうに凄い勢いで食べている。

ソーセージを食べきる前に一撫でして立ち去り、20mほど歩いて隠れて見ていると猫は道路まで出てきて、自分を探しているのか辺りを見回しながら鳴いている。
騙して見捨ててしまった気がして後ろめたいが、とにかく歩きだすと間もなくテニスコートが次々と現れ、高校生や大学生がラケットを振っていた。

多くが真剣にテニスに取り組む中、髪の毛が緑や金髪、体型や風体もテニスをまともにやるようには見えない一団が奇声を上げながらどんちゃん騒ぎをしていたが、あんな連中にコートを貸してもいいのだろうか。

やがてコート群を抜けると車道となり、ひとまず山中湖畔の平野を目指す。

平野のバス停には5年前に来たが、綺麗に整備され、コンビニの場所も移っていた。
場所柄、セブンイレブンは若い観光客が多く自分の姿は場違いだ。
どうしようか迷ったが、結局、猫のエサと缶詰、水を買い込んで猫のところに戻る事にした。
もし、山に近いところにポツンとある一軒家に放置された猫だとしたら、出来る限りの事をして帰ろう。

来た道を戻って乾ききった器になみなみと水を注ぎ、紙皿に缶詰の中身をあけ、エサも一袋まるごと置く。
一期一会の黒猫に別れを告げて、出発。


5、山中湖畔で夕暮れを迎える

夕方のテニスコート群にはもう人影は無い。宿舎が並ぶ一角ではやはりテニス合宿中の女子高生の一団がミーティングをしていたり、コンビニに向かうのか二列になって走っていく姿があった。

昔はテニス合宿といえば山中湖というイメージがあったがそれは今でも変わらないようだ。
自分はテニスなど無縁だったが、青春への懐古と憧憬にも似た思いが胸をよぎる。

平野からはバスターミナルがある旭ヶ丘まで歩かなくてはならない。
歩くには少々しんどい距離だが、日没と競走するように早足で歩き続ける。


18時05分、湖畔の雲間に沈む夕陽を見届け、5年前の旅行の記憶が残る道をひたすら歩くとやがて旭ヶ丘に着いた。
係員以外誰もいないバスセンターのベンチにザックを下ろし、御殿場駅行きのバス時刻を確認するとまだ時間がある。

そこで湖畔に行ってみる事にした。
階段を下りてまるで海岸線の砂浜のような湖畔に出ると、暮れなずむ風景の中に人影は無く、波打ち際に寄せては返す波音が物寂しい。

湖に真っ直ぐ突き出た遊覧ボートの船着き場には幾つものアヒルのボートが一列に並んで波に揺られて微かに軋み合い、遠くの湖面には大きな遊覧船が浮かんでいる。

この場所には5年前の3月初旬にも来ている。
勤務先の中学校の卒業生の女の子2人を連れて旅行に来たのだ。

初日は伊東のペンションに泊まり、その後、山中湖の貸し別荘に2泊。
中日の夜に大雪となり、翌日は3人で巨大な雪だるまを作った。
湖畔も真っ白な雪と灰色の雲に覆われた風景だったが…
その数日後に、あの東日本大震災が起きた。

今朝の時点では山中湖まで行こうとは考えていなかったので、この場所に5年後に再び立った事が感慨深い。


時刻は18時40分。
目を空に転じれば、残り火のような残照に映える藍色の空の傍らに富士の大きな山体が影絵のようにひっそりと鎮座していた。

一日の旅の高揚と疲労が風景の中へと穏やかに昇華していくのを感じながら一日を反芻する。

朝の青空を背景に揺れていたユリの花。
真夏の陽射しが照りつける林道。
広大な山林を司る厳かな山神社。
甲相国境を越える静かな峠路。
人なつっこい黒猫との一期一会。
青春の熱気溢れるテニスコート。
そして今、暮れなずむ湖畔に独り佇む。

思い返せばこの一日は長く濃く、しかしそのすべてが忽ち遠く過ぎ去っていったようにも思える。

手にした小瓶の梅酒の残りを飲み干し、湖に再訪を誓って帰路に就く。


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副管理人 S∞MЯK
モリカワ

(現 事務局長)

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