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2016年09月11日22:03

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今日の『真田丸』

今日は部屋のかたずけをしながら見ていたので、さして書くこともないなと思っていました。

秀忠の上田攻めがメインで、このせいで秀忠は関ヶ原に間に合わなかったんだよななんて思っていました。

そして、最後、三成の「いよいよだな」のセリフで、放送時間もそろそろの頃だし、「天下分け目の大戦が始まろうとしていた」のナレーションとともに家康の顔がアップで、今日はここまでかと思いました。
来週、45分かけて関ヶ原を描くのだなと来週に期待しようと思っていましたが、なんかまだドラマは終わらない。
たしかに尺はもう少しある。

そう思っていたら、耳を疑いました。

なんと、関ヶ原が今日中に終わっちゃうとは……!!
何これ?
なんか肩透かし食らったみたいです。

「花燃ゆ」で大政奉還が登場人物の話題にもナレーションにも出ずにスルーされたのに比べたらまだましかもしれませんが、ちょっとはしょりすぎですよね。
考えてみたら、本能寺の変もだいぶはしょられていましたが……

そんなわけで、来週はいきなり戦後処理なんですね。

関ヶ原といえばかつて律令時代に不破の関が設けられていたことが地名の由来ですが、昔の壬申の乱の激戦地でもあります。
そのほぼ同じ所で数百年後に天下分け目の戦いがあったというのもおもしろいですね。
源平の壇の浦の戦いとほぼ同じ場所で幕末には四カ国連合艦隊と長州藩の下関戦争があったのと同じような感じです。

そういえば、今の東海道線夜行列車の「ムーンライトながら」がただの各駅停車大垣行きだったころ、僕の友人がよくキセルして京都まで100円で行っていたりしました。
今ではもう不可能な手口なので書きますと、まず100円切符で大垣行きに乗車します。
そして終点大垣で接続する各駅停車の西明石行きに乗り換えます。
しかし、西明石行きは関ケ原付近で必ず検札が来るので、それをどうかわすかがキセルが成功するかどうかのカギとなっていました。
だからよく「天下分け目の関ヶ原」と言っていたのです。

ちなみに京都ではどうやって降りたかというと、彼はまず京都で降りないで国鉄(当時)奈良線でひと駅目の東福寺で降り、京阪電車に乗り換えます。
当時の国鉄東福寺駅は駅業務を京阪電鉄に委託しており、つまり改札内で国鉄と京阪はつながっていたのです。
(今では乗換改札があって、つながっていません)
そして京阪三条で、京阪の適当な駅名を挙げてそこから乗ったのだが切符を失くしたと練習した流暢な関西弁で言うのです。
国鉄の京都駅でそれをすると旅行者じゃないかと怪しまれるので、わざわざ京阪の駅で言うのだそうです。
犯罪といえば犯罪だけどとっくに時効だし、その彼も今頃どこで何をしているのでしょう?
僕と同じ年なのに、いつも二個か三個年上に見られていました。

もっとも自動改札が導入される前は、定期券を持っている人が定期区間外の遠い所まで行った時、帰りは最短距離の切符で入って定期で出るというキセルは普通に誰もがみんなやっていて、律義に定期区間までの切符を買っている人がいたら奇特な人だなあと思われたりしました。
そんな時代でした。
みんな犯罪者だったわけですが、もう時効です(笑)
自動改札が導入されてそういうたぐいのキセルができなくなってからは、JRや各私鉄の総売上額はグーンと伸びたんじゃないでしょうか(笑)

今日は話がずいぶんそれましたが、このあと大坂の陣までまっしぐらですかね。

今日はここまでといたします。
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