「夏が来れば」というタイトルは今更な感じもしますが、この文章を書き始めたのはまだ夏前、なかなか書けないまま、夏が終わろうとしています。
さて、
昨年夏は「夏が来れば思い出す」というタイトルで、いわゆる「戦犯」について書きました。
http://ameblo.jp/hamachann51/entry-12060214869.html
結論としては、「戦犯」とされた人だけに全ての責任が有るという考え方は如何なものか?という事です。
そして今年。
夏前に「シエラザード」(浅田次郎著)を読みました。
と言っても、この本を読むのはこれで3度目。
勿論内容は既に分かっているのですが、何度読んでも圧倒される思いです。
先の戦争直前に太平洋航路の豪華客船として建造された弥勒丸。
開戦によって乗組員もろとも徴用され、病院船として活動しておりました。
戦局が押しつまった戦争末期、国際赤十字の要請により日本占領地に残る連合国捕虜への物資を運搬する任務につくことに。
勿論、攻撃される事無く航行できる安導権を持っています。
ところが、任務を終え、大勢の民間人を乗せて本土へ帰投する途中、台湾海峡にて米潜の雷撃で撃沈されてしまいました。
そして時は流れて現在(多分1990年代か)、台湾の要人という謎の人物により、弥勒丸引き揚げの話が主人公らに持ち掛けられます。
そして…
交戦中の日米間で、捕虜の為のこんな取引が行われるなんて…そんな事有るのかなぁと最初は思ったものですが、実はこの小説にはモデルとなった事件が有ります。
それが阿波丸事件、連合国捕虜への物資を運ぶ…つまり弥勒丸と同じ任務です。
そして民間人も乗せたまま、台湾海峡で雷撃により撃沈されたのも弥勒丸と同じです。
戦時中ですから多くの軍艦が沈んでいますが、軍艦以外では、史上最大級の海難事件だそう。
公的には誤爆とされたようですが、阿波丸は協定違反である軍需物質を運んでおり、暗号解読や航空偵察などで、物資と民間人を満載した事で喫水が深くなっているのを確認していたことから、故意に撃沈したという考えもあるようです。
交戦中ですから誤爆が有っても不思議ではないとしても、だからと言って認められる事ではありません。
それより、何故それほどの民間人が乗っていたのか?
それは分かりませんが、「シェラザード」の中では、弥勒丸に大勢の民間人が乗っていた理由を明確に語っています。
この話の根幹に関わる事なので、それはここでは書きませんが…
20世紀の前半は国家総力戦の時代でしたが、核兵器が登場して国家総力戦など考えられなくなりました。
しかし、それでも戦争は無くなっていません。
どうも、人間ひとりひとりは平和を欲していても、国とか人類という集団になると、未だ「戦争」という誘惑を捨てきれないよう。
国によっても違うと思いますが、言葉とおりの意味で「戦力」を持たない時代は、少なくとも私が生きている間にはやってくる事は無いでしょう。
ケンカをしない為に、いつでもケンカできるような準備を怠らない…
矛盾かもしれませんが、まだまだそれ必要なようです。
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