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2016年08月28日21:47

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今日の『真田丸』

先週の家康事件のことについて書いたあとで、

「実は、史実では…それは今回の事件の数ヵ月後のことだから、来週やるかもしれないので今日は書きません」

と書いておきましたが、たしかにやりましたね。

でも、おお、そういうふうに来たか、ある意味意外、ある意味なるほどという感じでした。

先週書きかけた「史実では…」に続く部分は、(「史実」というより「定説」といった方が正解でしょうが)、今度は家康による三成襲撃です。

しかしこのドラマでは定説を覆し、家康の預かり知らぬところで福島や加藤が勝手に三成を襲撃しようとしたことになっていました。
そして、三成はその時に不可解な行動に出ます。
つまり、襲われて命からがら逃げて、逃げ込んだのがまさに敵の懐中である家康の屋敷だったのです。
もちろん、偶然とかではなくて計算してのことで、懐中に飛び込んだ三成を家康は逆に保護したというのです。

これは今や「定説」として定着し、大河ドラマでも「江〜姫たちの戦国〜」や「軍師官兵衛」でそのシーンが描かれました。
でも、実はこの家康に襲われた三成が家康の屋敷に逃げ込んだというのは、江戸時代に書かれた「小説」が元ネタで、いわばフィクションなのです。
フィクションが定説になってしまっている一つの例です。

このドラマでもそれを踏襲してしまうのかと心配でしたが、見事に描きました。
三成は家康の屋敷には逃げ込んだりしませんでした。
でも、最後は家康が動いてまるく収まるという、まさしく家康が三成を保護したということはそのままだけど間接的で、それだけにかえってリアルな描き方になってしました。

その家康が「どうしたものかな」とつぶやくシーン、「どうしたもんじゃろのう」とやれば受け狙いにはなったのにwww。
「とと姉ちゃん」で常子がこれを連発するのは「あまちゃん」の「じぇじぇじぇ」のように、流行らせようというNHKの魂胆見え見えで、でも実際は全然流行らずにすべっていますから、ここで家康が同じことを言えば受けたのに。
これ、常子が幼少を過ごした浜松弁だと思うけど、家康だって浜松城主だったんだからそう言ってもおかしくはない。
(最も常子たちが浜松出身だっていうのはドラマ上のフィクションの設定で、実際の常子のモデルの大橋鎭子さんは浜松とは縁もゆかりもない人だったそうな

話は変わりますが、福島正則は「市松」と呼ばれている、それはいいんですが、あんまり市松、市松と呼ぶとそのうち卑屈になって、自分のことをやたら「クズ」「ゴミ」と述んで半目、猫背になって「闇人形」とか「闇松」と呼ばれるような斜に構えた薄暗い雰囲気になって、猫松とも呼ばれ……あ、それは「市松」じゃなくって「一松でした」たらーっ(汗)
(ここ、何の話か分からない人は読み飛ばしてください)

それにしてもかつての茶々(淀殿)の向こう見ずな天真らんまんなキャラというのは、すっかり影をひそめてしまいましたね。
この時の茶々は31歳。演じる竹内さんの36歳という実年齢に近づいてきました。
でも、最後は追いぬいてしまうんですね。

こういう歴史ものの配役は、作中人物と俳優の実年齢のことで悩むでしょうね。
登場人物はどんどんあっという間に年をとっていきます。
でも俳優は1年たたないと年をとらないんですよね。それも1歳だけ。
どの時点でのその人物と俳優の実ん年齢を合わせるか……。

ところで、最後の「紀行」に正則小学校っていうのが出て、「武将名を冠した唯一の学校」という紹介でしたけれど、東京に正則学園とか正則高校ってありますよね?
(正則学園と正則高校は互いに全く何の関係もない別の学校です)
これは福島正則とは関係あるのかな?

というわけで、今日はここまでといたしまする。
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