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2016年08月18日07:39

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ギュレンとは

トルコは世俗主義だ。
建国の父と言われるアタチュルク将軍がオスマン帝国を潰してトルコ共和国を作ったときから。

世俗主義というのは、神聖主義を否定するっつうコトで所謂、政教分離政策ではある。
しかしキリスト教とイスラム教の違いがそれをとてもややこしいモノにしている。
キリスト教は、カトリックであるにしてもプロテスタントであるにしても、或いは正教であるにしてもその中心に教会という絶対的な組織がある。

中世の西欧社会は、教会が政治や統治と強く結びついたものであった。
それを切り離すコトが政教分離であった。
つまり聖職者が直接政治に口を出すことを禁じるだけで済んだのである。経済的な支配構造の解体なんかもあるが。
ともあれ、どこを抑えれば分離ができるかがはっきりしていた。
キリスト教の信仰そのものは否定されず、一般庶民の行動に制約を求めるものでは無かった。

しかし、イスラム…ムスリムの場合、教会に相当する組織がない。…キリスト教徒以外の人に誤解を解いておきたいが、「教会」と言うのは組織のコトを指す。建物は「教会堂」である。
神社仏閣と異なり、あそこの山に教会があります。と言うのとあそこの山に教会堂が残ってます。と言うのは意味が異なるのである。
ムスリムの場合、教会に相当する組織がない。「モスク」は建物だ。宗教指導者は居るがその聖職者に階級が無く誰が指導的立場にあるかというのは、はっきりしないのである。

まあ、そういうとシーア派はその頂点にカリフをもち、階級があると思われるかもしれないが、シーア派はムスリム全体の10%程度しかいないので全体の趨勢とはならないし。
イスラム系コメンティターの中にはカリフ制度を全ムスリムが採用すればテロも無くなるんでないかと言う人もあるが、カリフはその成立過程からのややこしいコトを抱えてて問題をかえって複雑化させてしまっている。

キリスト教社会が政教分離を果たした現在でも、法廷や議会において証言をするときは聖書に手を置いて、「神に誓って正しいコトを述べる」ことを宣言する。そういう根源的な部分において信仰は排除されては居ない。
しかし、イスラム法は生活の隅々まで規定しているから、統治のシステムや司法や政治のひとつひとつの判断の根拠になっている。
これを分離することが政教分離になってしまう。つまり、キリスト教の場合と違ってイスラム教の教えと対立するのである。

ギュレン(教団?)は、イスラム的な正しい行い…自爆テロとかでなく、困った人を助けたりするような穏やかな活動を生活に浸透させるムーブメントだった。
彼らもまた、その政教分離策を成立させるため…政治と宗教が別なモノとして存続できるようにするために政治に口を出さない、生活に密着した道徳のようなカタチでトルコの社会に浸透していたのである。

トルコというお国柄は、庶民は放置しておくとどんどんファンダメンタル(原理主義)的な…信仰に厳密な方向へ行ってしまうらしい。世界を制覇したオスマン帝国へのあこがれが愛国主義の表れとして湧いてくるのかも。
ファンダメンタルは頑なな信仰なので一歩間違えると、他の宗教にも、或いは内部のファンダメンタルでない、緩い信仰者にも攻撃を始めてしまう。
ギュレンは、そうならないよう、イスラムの根源的な他者への慈しみを大切にしてきたと言うコトだったんだが、そいう組織でも大きくなると力に訴える奴は出てくる。
…現在アメリカに居るギュレン氏が、騒動の元なのかは疑わしいが。

とは言え、トルコ政府の…エルドアンの一連の行動は自作自演の陰謀説も取りざたされるほどに強権的で怪しいこと甚だしい。
西欧社会としては、世俗的で理屈の通る政府がトルコに居て欲しいが、イスラムとのパイプという役割を期待してるから、イスラム諸国との間に壁ができても困る。
イスラムに限らず、宗教国家は合理的な取り決めができない。判断基準が信仰によってると合理的な推論が効かないのである。また、宗教的判断は相互条約や国際法廷やそういうのを全部チャラにしてくるし…

ともかく、ムスリムの問題というのはいろいろ読んでみてもさっぱり解決の糸口が見えてこない。
情報が少ないコトもあるが、さまざまな出来事が複雑な要因から成り立ってるみたいで、まずは世界観全体を読み解かなければならないめんどくささがある。(-_-)

■トルコ、大量の囚人仮釈放へ さらなる逮捕へ場所確保か
(朝日新聞デジタル - 08月17日 19:32)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4147885
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