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2016年08月15日18:48

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フランキー堺さんのこと。

 
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      ↑撮影・中島けん
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  本日の私のブログ「映画が中心のブログです」はフランキー堺さんをアップしています。
  私がフランキー堺さんに初めて会ったのは、彼がまだ新東宝に何本か出始めたころで、偶然
  に会ったのですが、気持ちよく写真を撮らせてくれて会話も数分でしたが、とても気さくで優し
  い青年だと思いました。
  そのあたりから個性的で人柄もいい彼は映画出演を日活、東京映画、日活と引っ張りだこ状
  態になって行ったのです。そんな中で大映での出演が「女は二度生まれる」「末は博士か大
  臣か」「六人の女を殺した男」「与太郎戦記シリーズ」など9本あります。

  フランキー堺さんは昭和4年生れで鹿児島の出身。ジャズドラム奏者、コメディアン、俳優、
  司会者と何でもこなす才能人ですが、慶應義塾大学時代から進駐軍のキャンプでジャズ・
  ドラマーとして活躍し、このころには後の活躍が予見できる才能開花時期に当たると思わ
  れています。

  彼を面白い男として映画界に引き入れたのは伴淳三郎でした。映画界での活躍はご存知
  の通りですが、テレビドラマでも大活躍、「私は貝になりたい」「赤かぶ検事シリーズ」は代表
  作です。他にも8代目桂文楽の弟子でもあり、桂文昇という噺家の名を持っていたし、多額
  の私財を投じて「写楽」の研究家であったことも有名な話です。
  平成8年(1996)肝不全で帰らぬ人になりましたが、67歳の早い死は万人から惜しまれまし
  た。
  「与太郎戦記」シリーズに共演した南美川洋子さんは、当時を振り返りながら次のように語
  っています。
  「フランキーさんには撮影中も笑わされて困りました。まだ18か19歳くらいでしたので、横浜
  に行ったことのない私を、ご自分のベージュのベンツに乗せて下さり、横浜のニューグランド
  ホテルへお食事に行き、地下だったでしょうか、ナイトクラブにも連れてってくださいました。
  大人になったような気分で、帰宅してから興奮気味で母に報告したのが思い出されます。
  続編、新と3作にご一緒させていただき、父のいない私に、毎回優しく接してくださり、本当
  に優しい方でした。キャストを見ると、ほとんどの方がもうこの世にいらっしゃらなくて、とても
  寂しいです・・・」と。
 
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