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2016年08月12日09:41

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相互理解という難題

道路の端に自転車を停めたり、立ち止まっていると…まあ、地図とかGPSナビなどを見てるときに白杖が自転車や体に当たることがある。視覚障害者の方は恐縮し、「すみませんでした」と言ってくださる。無論すぐに「大丈夫です。こちらこそ邪魔をしてしまいました。」と返すのではあるが。

ワシがそういう配慮ができる良い人だと言ってるワケでは無い。彼らの邪魔になる行動がどれか理解できていない人間だという反省だ。
よく視覚障害者が通る場所とわかっていれば多少注意もする。点字ブロックがあるところには自転車は停めないが…どういう配慮をしたら最適解なのかが良く判ってない。

視覚障害者をよく手助けする人もあるが、ワシはなかなかそれができないでいる。
それにはちょっとワケがあって…都心部で階段の手前などで困っていそうな白杖を持つ人が居たので声をかけたら、視覚障害者の為のシンポジウムのような催しにしつこく誘われたことがあった。
そもそも階段を上れなくて困っていたワケでは無いのである。

その頃はワシも若く、つたない思考しかできなかったから、人の親切心を利用するのは障害があるにしても…と軽い怒りを覚えた。
そういうコトが何度もあって、あまり声をかけないようになってったというのはあるかもしれない。
それとワシは基本的にとても他者の困難に気付かない…鈍い性格をしている。w
明らかに倒れている人間とかには反応するが。w

しかし、後から考えてみると白杖の人たちは人に話を聞いてもらえる方法はそんなに無かったはずで、そこに騙すつもりは無かったのだと思い至る。

障害者自身と障害のケアを専門にしている人たちは、障害者の目線(障害があることによって変化する認知の道筋)を理解しているが、一般人はそれを学習する機会は無い。
そうするとこういういらぬ誤解が生じてしまうのではないか。

また、バリアフリーになって障害者が不都合なく移動できるようになりつつある。無論ソレは重要で必要なコトだろうが、目立たないトコロに設置されたエレベータなどにより、更に障害者の存在が見えなくなっている。もっとも障害者も自分や、自分の障害が目立つことを望んでいないからそういう方向に行くことになるんだろうけれど。

指一本怪我して、包帯巻いてるだけで、それも利き手で無くても結構生活は不便になる。
腕や足を骨折すると、日常生活はかなりやっかいな作業に変わる。重大な病気や怪我などするとまったくもって他人のお荷物だ。目や耳の病気も然り。

健常者が、そういう状況になったとき世間に邪魔者にされたら抗議するだろう。
障害者はそれが継続している状況だが、抗議の声を上げるのはごく一部で、それも仲間の代表として勇気を振り絞って声を上げているから、声も大きくなりがちだ。
しかも障害者からは逆に「障害が無いことによって変化する認知の道筋」が理解できない。

それが前述のワシの誤解のようなパターンに陥る原因になってないか。
一般に障害者をフォローする人たちというのは、大抵はよく気付くタイプだ。関心が無いと気付かないと言うのはあるが、ワシのように関心があっても気付かない…感覚的な障害っつうか…のも居る。
障害者の生活上の問題というのは、普通に論理的に理解できないコトでは無いが、それなりに複雑な事象ではある。それを論理を飛躍したまま善意に頼っていると理解者の増加に限界がある。

まあ、これから超高齢化社会になっちゃうので、高齢による身体障害は必然的に多くなる。
それを自分で体験するはめになってから、その思いを知ることにはなるだろうけれど。
その前に少しは学んでおいた方がいいのかも。

連れ合いはワシを障害者好きと言うが、別にそういうワケでは無い。
ただ、障害…というか他と違った条件がある場合に変化する認知と行動について一般的な興味があるだけだ。それを趣味というならしょうもないが。(-_-)

■わかってほしい! 白杖で音を立てる理由 増える歩きスマホ、視覚障害者は… 日本盲人会連合に聞きました
(ウィズニュース - 08月12日 07:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=4139530
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