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2016年08月03日23:12

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男が百夜(ももや)通い給うこと 10


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さて、話は光元が沢女を伴って舞い戻ってきた例の屋敷にて展開する。
保栄が真剣な面持ちで笛の音を聞かせる相手とは・・・、

「おぉ、今夜は光元も来たのか」
「お久しぶりです、東三条院様」

敷地に入ってきた光元に対し、わざわざ御簾を上げて挨拶してくれた家主は現天皇一条天皇の母、藤原詮子(せんし)、出家してからは東三条院の院号を受けた女性であった。

「・・・光元?あれほど帰れと釘を刺したはずだが・・・?」

縁側に座っていた賀茂保栄が警告を無視された苛立ちを睨んで示す。光元は慌てて両手を振った。

「だ、だって保栄殿!沢女ちゃんがどうしても来たいって言うんですよ!!」
「沢女が?」

意外な言葉に保栄の声から険しさが緩む。そんな彼の前に配下の式、沢女が飛んでいく。

「や、保栄様ぁ〜、申し訳ございません〜〜」

謝る彼女の顔は既に涙で濡れていた。

「どうしても毎夜保栄様の向かわれる場所が気になりましてぇ〜〜それでぇご無理をして頂いて〜〜〜!」
「あ〜わかったわかった。だから泣くな、東三条院様の前だぞ」
「なんだ保栄、妖(あやかし)の女まで泣かせているのか?」
「までってなんですか?!」

冗談に頓狂な声返してきた保栄に対し、東三条院は薄く笑みを作る。

「笛の稽古をつけてくれ、と毎日通ってくれたのは私の事を思っての事だと見抜けぬ私ではない・・・そういう事だ。その心意気がとても嬉しかったぞ、保栄よ」
「それはその・・・はい」

反論しようとした保栄は、しかし図星だった故に言葉が見当たらなかったのだろう、正直に頷いて項垂れる。その横で光元は小首を傾げる。

「笛の稽古・・・?」
「そうだ。夜の仕事を兄様に押し付けてそんな事をしているなど、他人にはとても言えんだろう」

素直に語る保栄。どうやら隠していた事が続けざまにばれて投げやりな気分になってしまったらしい。

「東三条院様、夜も更けましたのでこれで・・・」
「あぁ、また明日」

保栄と東三条院が挨拶を交わし、陰陽師とその配下は連れだって門の外へ出る。
光元の横を歩く保栄の顔は不機嫌そうだった。部下と配下には命令を無視されるし、東三条院にはからかわれるし・・・さもあろう。不機嫌の主犯の一人として謝罪から始めるべきだろうか、それとも・・・。
何と声をかけようか考えあぐねていると、相手の方から口を開いてくれた。

「東三条院様・・・あの方は外見には出さないが重い病にかかっておられる。あと二年とも三年とも知れんが、遠くない未来に亡くなるだろう。私の夢占(ゆめうら)にそう出た」
「そうですか・・・保栄殿の、夢占に・・・」

光元が眉根を下げる。保栄の占術の腕が一級品なのを知っているからだ。

「ご自身も死期を察していらっしゃるのだろう、近い内、昔に慣れ親しんだ里に出て余生を過ごされるとおっしゃっていた。だからその前に・・・百夜欠かさず通う事であの方の誤解を解いておきたかったのだ。世の全ての男があの方の敵ではない、と。まぁ・・・杞憂だったかもしれんがそれでも、あの方の気晴らしにはなったようでよかったと思う」

東三条院は前々皇、円融天皇の妻であったが別の女性に后の座を奪われた過去を持つ。そのせいで円融天皇からの召喚に応じず、息子の顔を見せなかったというのだからどれほど恨んでいるのか、と保栄は懸念したのだ。

「弟の道長様が兄様と親友ということもあって話はすぐに通して頂けた。私にとって世話になったあの方は母や姉のようなものだからな・・・少しでも助けになりたかった。それだけだ」

照れくさそうな保栄に沢女が寄る。

「保栄様は、今も昔も変わらずお優しい方でございます〜」
「別に・・・あくまで自己満足したいだけさ。そうだ、今晩は丁度太鼓判を頂いたところだ。沢女、お前に最初に聞かせてやろうと思っていた。帰りながら吹こう」
「わ、私に最初に・・・ですか?!」

主人の突然の提案に沢女が目を丸くする。

「よろしいのです〜?」
「ん?そう驚かなくてもいいだろう?一応事情があったといえ、毎晩置いてけぼりを食らわせた原因ではあるしな」

いそいそと懐から笛を出す保栄に、光元はそっと聞いてみる。今日褒められた曲と言うなら、吹く曲は沢女を誤解させたアレになるのだろうから。

「・・・ちなみに保栄殿、その曲の意味知ってます?」
「さぁ・・・?『将来身のためになる曲』とは言っていたな」
「あぁ・・・なるほど」

保栄の平然ぶりからして、どうやら東三条院はその意味までは教えなかった曲者らしい。
真相を話そうかと思って開いた口を、しかし光元は静かに閉じた。
目の前の二人の温度差は激しいのかもしれない。
しかし男が女の為に笛を吹いている。女はそれを幸せそうに聴いている。その事実に変わりはないのだから。

「水を差すのは・・・野暮だよね」

流麗な音色が響く中、光元は薄くできた笑みを袖の下に隠すのであった。




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