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2016年08月02日19:09

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男が百夜(ももや)通い給う事 9


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その日初めて対峙した陰陽師という職の人間は、今まで一方的に蹂躙出来ていた村人や役人、武人とは格が違った。妖異と戦うために特化された戦術、技術、道具に仏神の加護。橋のたもとという己の絶好の領域であったに関わらず、橋姫はほぼ一切の抵抗をする間もなく膝を屈した。
相手が陰陽寮の最高峰たる陰陽頭だったと知るのは、もう少し先の話しだ。

「大きな力を持つと盲目になるものだけど・・・命というものはそう無下に扱うものではないよ」

疲労しすぎて上げられない瞼の向こうで穏やかな声が諭す。

「大切なものの存在は失って初めて気づくものだ。己の内のものだったり、誰かだったり、何かだったり・・・それはいろいろだろうけどね。さて、滅する事は簡単だけど、その前に少し反省するといい。自分がどうしてこうなってしまったのか、何をしてきたのか・・・君が納得出来ないろうから」

静かに諭してくるその声を子守歌にするように、急速に橋姫の意識は混濁し、途絶え・・・。



「・・・ぃ!おい、大丈夫か?!」

大きな声と揺さぶりに、橋姫は途方もないまどろみから意識を取り戻す。目の前に自分をはるか上から見下ろす、巨大な人間がいた。

「!?」

息を呑み唖然としていると、相手が両手で掬(すく)うようにして自分を顔の近くまで持ち上げる。

「その小さい体で・・・敵にやられたのか?ひどくボロボロだな」

その言葉に橋姫は気付く。見慣れた宇治川の河原のはずのなのに、周りの背景がやけに遠い。それに無敵と思っていた程持っていた妖力がほぼ底をついている。つまり先程の陰陽師の仕業だろう、相手が大きいのではなく自分が小さくなったのだ。
状況を理解してくると視野を広く持てるようになる。自分を見つめる相手は縹色の狩衣を来た若者だ。顔つきは女性のように可憐なのに声質は男性特有の深い響きがある。
空は相変わらず夜闇のままで、そんな中で闇を見通し自分を発見した彼は陰陽師かそれに連なる職業の人物なのだろう。こんな体で、しかも戦う力を完全に奪われた今は下手に敵対発言をしない方がいい。早急に判断した橋姫は首を縦に振る。若者は眉をしかめる。

「妖異同士で争う連中か・・・猿鬼辺りが最近勢力を増やしていると聞いた。この辺りにまで進出しているのかもしれないな。橋姫という悪霊がいるという話も耳にしたし、兄様に報告しなくては・・・」

一人勝手に推測を始める彼を、貴方の同業者にやられた橋姫は私です、と言えない妖女はただただ黙りこくって傍観している。沈黙を守る妖異に気付いた若者は我に返ったように目を瞬いた。

「そうだ治療をしないとな。今日の夜警はここまでとして、帰ろう」

そう言った若者は、しばらく橋姫を見つめ続ける。正体が暴かれたか、と橋姫は身を固くする。

「お前、よかったら私の式にならないか?」
「え?」

まさかの提案に橋姫は目を丸くした。相手の反応に陰陽師はまじまじと頷く。

「驚くのは当然だな、すまない。ただ治療して野に帰したところで、その雑鬼の如き小ささと非力さでは再び誰かに傷つけられたり食われたりするだろう、と言う様が易々と目に浮かぶのだ」
「ざ・・・」

自分が相手にもしなかった矮小な存在と同格に見られている現実に絶句する。現在の己がどれほど弱体化しているかひどく簡潔にまとめられた一言であった。

「本来妖異に慈悲は無用で容姿で判断などご法度と決意しているが、流石に宮廷でお見掛けする姫君方と同じ容姿の者が食われたりする様は見たくないし、な?」
「貴方様は、お優しいのですね・・・」

自分の現状を顧みれば差し出された提案はこの上ないほど理想的だった。が、彼女は首を縦に振れない。

「今の世で姫とは他の勢力と関係を結ぶ・・・言わばお家の道具では〜?人間の姫に似ているからというのは、それほど重要な事でございますか?」
「妖異のくせに変な事に詳しいな。女児に対してそういう基準の人間も・・・特に貴族には多いが、生憎私の家は専門職だけあってそういうお家の結びつきだの血縁関係だのにはほとほと縁がない。逆に言えば出世の道も遠いという事だが・・・権力争いなんて全く興味ないからな。だからもし仮に子が出来たら、良い家でなく良い人に嫁がせてやりたいと思う。娘なら家業の心配もいらないし・・・尚更だな」

と、自論に満足して一人頷く若者。

「と、少し話が逸れたが・・・まぁ、同じ人の姿をした者がやられる姿を見るのはいい気がしない、というのが正直なところだろう」
「左様ですか・・・包み隠さない正直なお言葉をありがとうございます」

自分の家族のような者とは違う人間・・・それが判れば十分だったが、彼の言葉でもう一つ気付かされた事がある。
この自分の身がもう人の形をしていても、決して人間ではないという事。そして、自分が人間とは認識の違う種族として識別されているという事。
この見てくれになってよかったのかもしれない。生前の自分に近しい姿以前の姿では、どうしても人であった頃の自分を思い出してやるせない気持ちになってしまったであろう。それに、等しく肩を並べたい、という欲求も生まれてしまうかもしれない。

「さて話を現状に戻すが、勿論無理にとは言わないが・・・どうする?」
「はい・・・不束者ですが、宜しくお願いいたします〜〜〜」
「決まりだな・・・そんな泣くなって。泣く要素がわからんぞ」

礼をする女の目からはとめどなく涙が溢れていた。

「だって・・・ック、だってぇぇぇ〜〜」

過去の因縁を断ち切れる期待と、求められる嬉しさと、自分が何たるかを認識してしまった悲しさと、そうなってしまった悔しさと・・・全てがないまぜになって言葉に出来ない感情の嵐が橋姫の中で渦巻いていた。
泣きじゃくる妖女を手に乗せ、保栄は困ったような、呆れたような顔でため息をつく。

「・・・とりあえずお前の名前を決めよう。触れた感じだと水気の気配が強いが、宇治川の精霊の一人か何かか?」
「な、何か・・・の方と思って頂ければと思います〜」
「そこは隠すか。まぁ自分の力の本質に関わる部分だから致し方ないか。では単純に見た目と言動で決めよう。お前の名前は―――うん、沢女にしよう」
「さわめ、でございますか?」
「あぁ、お前みたいな泣き虫、京のどの女性にもいないぞ。ふふ、まるで涙で沢でも作ろうとでも言うかのようだ」

作った皮肉が気に入ったのか、声に出して笑う保栄に橋姫、改め沢女はいたたまれない気持ちになって袖で顔を隠す。しかし、恥ずかしさはあっても嫌悪はなかった。むしろ嬉しささえ感じる。
お傍にいられるだけでいい・・・お仕え出来る事が史上の幸せ・・それが、人でなくなった自分が人の傍に居て求められる欲求の限界。その最前線まで許容してくれる主人が出来たことに。



「沢女さん・・・落ち着いた?」

頭上から声をかけられ、沢女ははっと顔を上げる。見上げた先には大きな人が自分を見下ろす―――つまりは自分が小さくなった―――見慣れてしまった光景があった。違和感があるとすれば、見上げた顔は甘い顔の主人でなく正真正銘の女性であり、しかも顔髪青目を有している、という辺りだろうか。
主人の顔を思い出す事で彼の思い人まで連鎖して回想されてしまい、沢女の目からたちまち涙が零れる。

「ふ・・・うぅ・・・保栄様・・・やすよしさまぁ・・・」

泣きじゃくる沢女を、彼女を膝に乗せた女―――青龍は悲しげな瞳で見つめてそっと指先でその頭を撫でる。彼氏である玄武は本来の仕事に戻ったのか、姿が見えない。

「はぁ・・・」

青龍の正面で大きめの石に腰かけた光元が重たい嘆息をつく。沢女の縮小は彼が行ったのだろう。

「確かに事情を話さない保栄殿も保栄殿だけどさ、理由も真意も聞かずに悪者扱いする君も・・・というか君の方が相当身勝手だよね」
「ちょっと、光元君・・・っ」
「だってそうでしょセーちゃん?妖異と人の恋ってそれだけでも敷居が高いっていうのにさ、片思いが叶わないかもしれないってだけで心中にかかるとか、横暴にもほどがあるでしょ」

少年は立ち上がり、青龍の前に膝をつく。

「確かに保栄殿は君に優しいかもしれないよ?でもそれは君が小さい体の、弱い存在に見えてるからだ。仮に、さっきの君の姿を見た場合に彼はどう思うだろう?大体、君もそれを知ってるからこれまで小さな姿をしていたんじゃないかな?」

泣きながら沢女は頷く。
日を追うごとに体内の妖気は元に戻っていたが、沢女はその事を保栄から上手く隠し続けた。自分が橋姫だと気付かれたくなかった、という理由が一番だがおそらく、その小さな身柄を個性として特別視されたかった、という下心もあったと思う。
配下の一員として、という前置きがあったはずなのに、それはいつの間にか恋心に置換されていて・・・。

「思い出しました・・・私が、欲しかったものは・・・ヒック・・・仇でも、私を愛してくれる誰かでもございません」

小さな妖女は独白する。

「私が欲しかったのは、きっと、生きていた頃の自分でございます。愛し愛される喜びを分かち合う事ができた、あの頃の自分でございます〜」

素敵な異性と出会い。普遍の恋をして、愛を深めて・・・それが彼女が望むものだった。

「他人を責めても、殺めても、得られるはずがございませんでした・・・私の欲しかったものは誰のせいでもなく、自分で捨ててしまっていたのですから・・・。もう違えません。私は人だった者ではなく妖異、橋姫として・・・一介の式として保栄様のお傍に仕えます。あの御方が必要として下さる限り」

死んでここまでの年月が経ち、他人に諭されてようやく答えに行きついた。沢女の顔には少しの後悔と、大きな達成感がある。

「そっか・・・それが君の行きついた答えなんだね」

彼女の返答を受け止め、光元は小さく微笑む。

「なら、これからどうするべきか・・・君はもう分かっているんじゃない?」
「はうぅ・・・ご助言、ありがとうございますぅ〜・・・」

沢女は深く頭を下げた。


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