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2016年07月24日21:55

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今日の『真田丸』

いよいよ秀吉が老けてきました。

しかし、これは前の「軍師官兵衛」の時の竹中秀吉についても書いたけれど、ちょっと老けすぎですね。
秀吉の享年は61歳。
なんだかこれではもう80代半ばのおじいさんみたいな描写です。
最も昔は老けるのが早くて60歳では「老人」と称されましたけれど、今の60歳の人におじいさんって呼んだから怒られますよね。
ピンとこない人のために言いますと、60歳ってあの今の明石家さんまさんの年です。
実際私の周りでも個人差があって、80代なのに自分でそう言わなければ誰もそうだとは思わないほど若くてぴんぴんしている人もいれば、70代でめっきり老けこんでいる人もいますけれどね。

今日出てきた寧の侍女のわくさ(マグダレナ)は、小西行長の母親です。夫(行長の父)はかつて石田三成とともに堺奉行でした。

「秀吉はキリスト教を禁止したのに、あんなに堂々と礼拝していいの?」と思った人もいるかもしれないので書いておきます。
秀吉が出したのはあくまで「バテレン追放令」で、禁教令ではありません。
イエズス会宣教師を国外に追放するという命令で、しかもそれはほとんど実行されませんでした。
秀吉はキリスト教そのものは禁止していません。
実際、バテレン追放令よりもずっと後に聚楽第で天正少年遣欧使節の帰国に同伴してきたヴァリニャーノ神父と秀吉は面会しています。

細川屋敷でのミサの描写はよく再現していると思いました。
1965年の第2バチカン公会議以来の現代のミサは祭壇の向こうに司祭は信徒の方を向いて、つまり互いに向かい合って祈りを捧げますが、それ以前は今日出てきたように司祭は終始信徒には背中を向けたままでした。
そしてやはりその公会議以降、ミサの言語はその国の言葉でということになり、日本では当然日本語で今ではミサを捧げますが、それ以前は世界のどこの国であれミサはすべてラテン語でした。
今日もガラシャたち信徒はラテン語で聖歌を歌っていましたね。

あの後ろ姿の神父様はオルガンティーノ神父なのかセスペデス神父なのか、オープニングのキャスティングではそれらしい名前はなかったので特に誰と設定せず「司祭A」だったのでしょう。
顔は全然写りませんでしたから本物の外国人である必要もなく、おそらく日本人で背の高い人がモブで演じていたのでしょうね。

ガラシャのセリフにちょっとクレームつけると(「信長協奏曲」のレビューでも書いたのですが)、ガラシャはマリア様が「神様に祈っている」と言いました。
しかしこの時代、神(Cami)といえばあくまで神社で祭られている神道の神のことで、キリスト教ではこの言葉は使っておらず、今のキリスト教がいう「神」はすべて「デウス様」としか呼んでいませんでした。
聖母マリアがなぜ神の母なのか、そうなると「三位一体」を持ち出して説明しなければならなくなるから話がややこしくなったでしょうね。

秀吉が最初は三成に政治を任せると言っておきながら、家康には家康に任せると言った、このあたりがのちの関ヶ原の萌芽になるのでしょうか。
ただ、関ヶ原は五大老VS五奉行という図式ではないんですよね。

そして今回はやっと「慶長伏見大地震」が描かれました。
「軍師官兵衛」ではスルーでした。
そしてその前の「江〜姫たちの戦国〜」でも描かれませんでしたが、それには理由がありました。
このことは前にも何回も書いたのですが、あらためて書いておきます。

「江〜姫たちの戦国〜」では当初、どうしても互いに心を開かなかった秀忠と江が、この慶長伏見大地震で焼け出されて罹災生活をする中で互いに心を開き、夫婦愛が芽生えていくという脚本だったそうです。
ところが、その撮影直前に東日本大震災が発生し、被災者心情への配慮から急遽台本が書きかえられ、慶長伏見大地震は徳川屋敷のただの火事にすり替えられたのです。

この慶長伏見大地震はドラマの中でもあったように伏見城天守閣は崩壊(ほかに天龍寺や東寺も崩壊)、死者は伏見城内だけでも600人以上にのぼったそうです。

そういうわけで伏見城は……あ、この先は来週出てくるでしょうから言わない。

では、また来週
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