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2016年07月23日08:58

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『敵』筒井康隆

 小谷野敦先生推薦の(私)小説を読んでいる。
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 『敵』筒井康隆(平成十二年十二月一日新潮文庫)。(私)にしたのは、この小説が私小説なのかどうか分からないからです。もちろん「私」であろうとなかろうと、そんなことは気にすることはないわけで、こちらの気に入るかどうかですから。そして、この小説は充分に気に入っております。主人公は75歳の元大学教授、妻には二十年前に死なれて一人暮らし。
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 目次のように「朝食」は毎日何を食べるかから始まり、「書斎」の両袖机の抽斗の一つ一つに何が入っているかも記されて、主人公が何に囲まれて生活しているかがわかります。「物置」には先祖伝来の骨董品もあるようですが、これを整理して売り払う気はないようです。
≪全部まとめて売れば儀助の数ヶ月分の生活費にはなるだろう。売りたい気はある。しかし一方儀助にはそうまでして貯えたくないという気持もある。それは物置の整理が億劫で鬱陶しいための言い訳かもしれないのだがその言い訳とはこうだ。物置に先祖代代の古いものがぎっしりあって死ぬのと全部売り払って死ぬのとでは死ぬときの心の豊かさが違う筈と想像できる。あの物置が素過素過で死ぬのは惨(みじ)めだろうなあ。何よりもそれを売り払ってしまった自分の無惨(むざん)さ、老後の安楽さへの執着と長生きへの執念が惨めだし、それらの無惨さは自分が安楽に長生きすればするほど自分に牙(きば)を剥(む)いて襲いかかってくるていのものに間違いないのだ。≫
「素過素過」はスカスカと読むのでしょう。あさ庭にやって来る雀は「痴痴痴痴痴痴宙宙宙注注注」と鳴くそうです。
「病」にはこんなところがあります。
≪健康でいようとすれば長生きしてしまうことになりそれは儀助の残り少ない預貯金が許さない。だからといって経費を切り詰めた不自由な生活も性に合わない。おかしいのはそうしたジレンマが儀助にとって楽しくもあるということだ。次第に減っていく預貯金の額からあと何年生きられるかを時おり計算して割り出しながら生きているというのは極めて迫力のある行き方だ。細ぼそと消費して生きるのではなく自暴自棄に陥って浪費してしまうのでもない規則正しい生き方をするからこそそんな楽しい計算も可能なのであり、だからこそ身を律することになるのだと儀助は思っている。≫
 まだ前半を読んだところですから、この後主人公の生活がどうなっていくのかわかりませんが、何も起こらなければ小説になりませんから、たぶん破綻の局面を迎えることになるのでしょう。楽しみです。

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