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2016年06月30日21:52

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男が百夜(ももや)通い給うこと 4

沢女は過去にない速度で飛んでいた。
夜の留守番中、自分の問題に他者を巻き込むべきではなかった、と冷静さを取り戻した頭で反省した。謝ろうと向かった道中で聞いた話・・・その真相を探るために。
いくつかの屋根を越えると、小さく笛の音が聞こえてきた。辺りを見回すと、目的の場所はすぐに検討がついた。明らかに専門家の手によるものだろう、築地塀沿いに強固な結界が張られた大きな屋敷が佇んでいる。
沢女は結界に触れない限界の場所まで高度を下げていく。月光で青く染まる広い庭に、縹(はなだ)色の狩衣姿がある。
白砂の庭に景観を彩るものとして設置された岩に座し、任務に向き合っている時のような真剣な表情で笛を吹いているのは探し求めていた人物、賀茂保栄・・・仕事一辺倒と思っていた彼の意外な姿だった。

朗々と響く笛の音に乱れはなく、耳に心地よい。達人ほどの卓越した技量はないが、人に聞かせるには十分な技量の音色である。その道に通じない者が聞けば賞賛で大きく手を叩くだろうし、通じる者でも首を縦に振って及第点だと評価するだろう。
しかし、そんな主人の演奏を聞いても沢女の顔は歪んだままであった。それどころか瞳に大きな涙の粒が溜まり、限界を超えてあふれ出す。
彼女の視線は保栄でなく、その前方にある屋敷に向けられていた。屋敷の御簾の向こう、明かりで浮かぶ人影の衣装は見まごう事なき女性のものだった。
そして、今保栄が吹いているのは・・・ここ最近都で流行している恋歌だ。
これだけの状況では、予想を否定する方が難しい。

「保栄様・・・」

沢女は深い深い悲しみを背負い、涙を拭う間もなくその場から逃げ出すように一直線に別の方角へと飛んでいった。




貴方についていくと決めた時からわかっていました。
どう努力しても越えられない壁、埋めようのない亀裂。その障害に苦しむ日が来ると気付いていました。
それでも貴方の優しさに、私へ向けられた言葉に惹かれてしまい、仕える事を選びました。
頼み事が出来た時、真っ先に呼んで下さいます。
困った時の相談相手に、いつも選んで下さいます。
夏の暑い日も雪降る冬も、都を駆ける供をさせて下さいます。
ご一緒に笑う事もありました。苦しく悔やんだ事もありました。
そんな貴方の時を・・・共に過ごせる事が嬉しゅうございました。

お傍にいられるだけでいい・・・お仕え出来る事が史上の幸せ・・・そう思って、おりましたのに・・・。

今、私の心は痛みを訴えております。
貴方の心を掴んだ方がいると知って、心の臓が早鐘を打っております。
覚悟しておりましたのに・・・理解していた事でしたのに・・・。
元より貴方が一番欲し守りたいものになれないと承知しておりましたのに、頭が痛みます。
貴方が私に求めているものではないと気付いていたのに、胸が苦しゅうございます。

貴方の頼み事を聞くのはその人で、
相談相手はその人で、
一年を貴方の傍らで迎えるのはその人で、
一緒に笑い悩み、苦楽を日々共に過ごすのはその人で、
愛し愛され、子をなし育て、先に見送るのはどちらになるカしら?

あぁ、貴方ガどんどん別の色ニ塗り替えラレていく・・・。
私ノ知らナい貴方に変わってイク・・・。

貴方ノ傍にその人がイる。
私でない誰かガいル。
貴方の瞳ニそノ人が映る。
貴方ノ瞳に私は映らナイ。

貴方ガ離れて
貴方が去っテ
貴方が消エテ
私ガ消えテ

・・・アァ、ヤハリ貴方モ私ヲ捨テルノカ・・・。




「っはー!やっと着いた!」

沢女と同様、結界の張られた屋敷の門前まで着いた光元は荒くなった息を吐き出しながら屋敷を見上げる。

「って、このお屋敷ってもしかして・・・」

光元が自分の中の憶測を述べようとしたその時、背筋を氷塊が滑り落ちるような感覚が彼の体を走り抜けた。

「なにっ―――!?」

ここまで走ってきた疲労も忘れ、光元は反射的に体の向きを異変の方角へ向ける。

「この気配・・・沢女ちゃん?でもこんな大きな妖気、彼女から今まで一度も感じたことない・・・」

明らかな異常に光元の目の色が変わる。
目の前の結界は外からの悪影響を強力に防ぐが、代わりに内部の人間が外部の異変に気付きにくくなる性質のものだ。おそらく保栄は現在の異変に気付いていないだろう。

「保栄殿にもお知らせを・・・いや・・・でも・・・・・・いいやっ!動きにくくなる!」

一度屋敷を振り返った光元であったが、すぐに踵を返して異変の方角へ走り出す。

「炎狐其の二!其の三!」

呼び声に応えて塀の上から追従してきたのは光元の式、二匹の炎で出来た子狐。

「遠征から帰宅中のセーちゃんに一言言ってきてもらっていいかな?たぶんあの辺りを通る塩梅になると思うんだよねぇ。もう一匹は北方で頑張ってる二人を援護して、片付いたら僕の所に連れてくること」

命令を受け、二匹は方角を変えて闇の中へと走り出す。

「あぁ〜沢女ちゃん、早まらないといいんだけど・・・」
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