さてと、緊急連載「北方領土史」の第13弾。前回、開国後必死に政権運営に励んでいた「幕臣・実務派」だったが、「ネオ・バカ殿派」が裏切り井伊直弼を中心として両「バカ殿派」が合体して逆襲してきた。その重圧の中で阿部正弘老中が39歳の若さで急死してしまい、幕府は制御不能の大混乱に陥ってしまった。ってとこまでやった。今回は少し戻って「幕臣・実務派」そのものの歴史について簡単に振り返っておこうと思う。これやっとかないと「維新動乱」について何にもわからなくなっちゃうからね(-_-;)。やれ西郷だ、大久保だ、勝だ、坂本だ、吉田だ、木戸だ、高杉だ、岩倉だ、ってもううんざり(ToT)。うんざりだよ!(ToT)。
どーーでもいいだろ、そんな下っ端(激怒)!
徳富蘇峰『近世日本国民史』以来、桑原武夫『明治維新と近代化』、中公文庫の「日本の歴史」に最近では井沢元彦の「逆説の日本史」等、ホントうんざりする(-_-;)。今挙げた8人全員いなくなっても150パーセント「明治維新」は起こった。だって、やつらがやったんじゃないんだから。何の影響もない「ただの三下」礼賛するのそんなに楽しいか?「明治維新」はみんなが教えられたより実は100年も前にすでに始まっていたんだ。
はじめた男の名前を「越智(松平)武元」という。
ふーーー(-_-;)。この人こそ田沼意次老中を抜擢し「幕臣・実務派」を創設した、「明治維新」の起草者だ。人呼んで「西の丸下(現・皇居前広場)のジイ」(笑)。そしてこの人何者なのかというと1764年から1779年に亡くなるまで「老中首座」として幕政を指導した「水戸黄門の弟の孫」だ。だから、幕末「幕臣・実務派」は水戸藩を中心とするあのイカレタ「尊皇派」と組まざろう得なくなったんじゃないか。いやでも何でもね(-_-;)。以下越智老中から幕末までの「老中首座」を明示する
後期江戸幕府・大老・老中首座一覧表
[1769-1786(18) 田沼意次(実務派元祖)]
1764-1779(15) 越智(松平)武元 田沼老中を抜擢した「水戸黄門の弟の孫」
人呼んで「西の丸下のジイ」
1779-1781(02) 大河内(松平)輝高 信明老中一族大河内家の総領
1781-1788(07) 松井(松平)康福 田沼老中の義兄弟(息子と娘が結婚)
1788-1793(05) 松平定信(バカ殿派元祖)
1793-1803(10) 松平信明(実務派)
1803-1806(03) 戸田氏教(バカ殿派)
1806-1817(11)(再)松平信明(実務派)
1817-1834(17) 水野忠成(実務派)後にバカ殿派に寝返り
1834-1843(09) 水野忠邦(ネオ・バカ殿派元祖)
1843-1844(01) 土井利位(ネオ・バカ殿派)個人的事情で実務派に寝返る
1844-1845(01)(再)水野忠邦(ネオ・バカ殿派)
1845-1857(12) 阿部正弘(実務派)
1857-1858(01) 堀田正睦(ネオ・バカ殿派)
1857-1862(05) 井伊直弼(バカ殿派)
1862-1863(01) 松平慶永(ネオ・バカ殿派)
1863-1864(01) 酒井忠績(バカ殿派)
1864-1865(01) 本多忠民(バカ殿派)
1865-1865(00)(再)酒井忠績(バカ殿派)
1865-1866(01) 水野忠精(ネオ・バカ殿派直系)
1865-1866(01) 板倉勝静(バカ殿派直系)
1867-1867(00) 松平定昭(バカ殿派直系)
1867-1868(01) 酒井忠惇(バカ殿派)
田沼老中はやり手で有能だったが、「足軽の息子」で600石の小身から遠江相良5万7000石の大名になった典型的な「成り上がり者」だったので「敵」が多く、越智・大河内・松井といった御連枝(徳川一族)や累代の譜代の上司を徹底的に「立て」て生涯「老中首座」には付かなかった。そのかわり身を守るために必死で「良縁」を求め、「義理」を欠かさなかった。そうやって自然にできたのが「幕臣・実務派」さ(-_-;)。田沼老中が若き日の松平信明老中を1784年に「奏者番(将軍の秘書)」に任命しエリートコースに乗せ後継者にしたのも「義理」を欠かしたくなかったからだし、阿部正弘老中が「幕臣・実務派」を継承したのも信明老中の孫・松平信宝と親族(兄の娘婿)だったからだ。「維新」はこの「インナー・サークル」内部で実に「100年近い時間」をかけて真面目で厳しい真剣な「議論と分析」を通じて「戦略」が練られ3代目リーダーの阿部老中によって1842年についに「実行」にうつされたものなの。
それを人づてに聞きかじった「チンピラ」共の「与太話」なんか信じんな!つうの!
坂本の「船中八策」なんてこの典型で、後に「四賢侯」と呼ばれることとなる4人の外様大名に阿部老中が協力を要請するために真剣に訴えた「戦略」そのまんまジャン(怒)!さかもとくーーーん、カンニングはいけないなーーー、ま、警官殺しで武器商社に偽装したテロ組織を運営する詐欺と恐喝と公金横領の常習犯である「死の商人」のきみにこんなこといってもしょうがないけどねーーー(笑)。も・う・「誰が見ても」ばーれーてーるーよーーーーーo(^-^)o。ふーーー、みんなさ、少しは「自分の頭」で「考え」ようよ!坂本竜馬直柔の有名なフレーズ
「日本を今一度洗濯いたし申し候」
てさ(-_-;)、
「これから俺が日本中を戦火に巻き込めば庶民はバンバンのた打ち回って死んでいくが、俺は武器を大量に捌いて大儲けだ!サイコーー」
って意味だよ?おいら、こんな「大暴言」聞いたこと無いよ(-_-;)。何でみんな怒んないの?坂本みたいな「魑魅魍魎」が文字道理「跳梁跋扈」したのが「維新動乱」なんだ。なにが「日本の夜明け」だよ(怒)、頭のおかしな連中多すぎる(ToT)。日本は「短期間で近代化」した?はぁ?始まったのは1764年(越智老中首座就任)で、とりあえず一通り目処が付いたのは1902年(日英同盟締結)、その間138年間、「短い」か?しかも、その21年後の1923年には日英同盟が失効して「崩壊」してる(ToT)(ToT)(ToT)。138年間もあれだけ苦労してあれだけ多くの血を流して、たった21年間でぽしゃって「俺達はうまくやった」?悪いけどそういう
オナニーみたいな自画自賛は気持ち悪いから俺の絶対見えない所でやってくれ(ToT)。
はーーー、書けば書くほど「法制通史概論」の必要性を「痛感」する。それが無いばかりに日本人の頭はどんどん「狂って」いく。何とかしたいと思わんのか?はーーー、なーーー、日本中の「自称」法学者の皆さんよーーー(怒)。ずいぶん、あなた方の書いた本、専門書も含めて読ませていただきました(-_-;)。歴史学者と同じ位いやそれ以上に「狂って」るのはよく判ってます。「人間の心」が少しでも残ってるなら少しは「努力」しようとは思いませんか?ま、「判ってます」坂本竜馬直柔同様、「自分の利権」にしか興味の無いことは、「判ってます」坂本竜馬直柔同様、無辜の人々が「どんなに苦しんでも」まったく気にならないことを。くそーーーー、なんでこうなっちゃうのかなーー(怒)。すまん、今日はここまで。流石に書くのが嫌になってきたよ(-_-;)。とほほ。
PS、歴史分野における「池上彰」とも言うべき極左の宣伝要員ナンバーワンである井沢元彦とその著書「逆説の日本史」の「悪影響」をもはや看過することはできない。あまりにも酷すぎる(怒)。アイヌ人始めとするあれほど多くの「日本人」を「虐殺」したレザノフ始めとするロシアを「誠実で忍耐強く礼儀を守る国」と逆さに書くの許されることではない(怒)。近いうちに井沢が常用する多くの「ペテン・ロジック」の解析とともに徹底的な批判的論理分析を施行する。ほんとふざけんなよ(-_-;)。
PSのPS、小林よしのりを批判したときにも書いたが井沢元彦の愛読者に対して一応「警告」しておく。おいらがどんなに精緻に批判したとしてもあなた方は「人間、間違うこともある」「わざとじゃないのよ」と必ず庇うだろう。それが愛読者というものだからだ。間違っている。井沢元彦は100パーセント確実に「嘘」を「嘘」だと判って書いている。彼は「他人を騙せる、私は賢い」と考えている「典型的な左巻き」であり、今回はその証明も含めて施行する。あなた方が私と同じレベルでどこにどんなタイプの「嘘」と「ペテン・ロジック」がどれだけあるのかを検証する能力と意思があるのなら俺は何も言わない、だが残念なことだがあなた方の「大部分」がそれをできるとはとても信じられない。井沢の著書から距離を置くことをお勧めする。
おまけにみくしー検索かけてみました。
「坂本竜馬」
日記 検索 (3件)ひっと。
「井沢元彦」
日記 検索 (0件)ひっと。
「逆説の日本史」
日記 検索 (0件)ひっと。
ログインしてコメントを確認・投稿する